見出し画像

杉の木のようにスクスクと大きくなるように

「杉子」という名前の人には、まだ会ったことがない。フェイスブックで検索すると、二人いらっしゃるみたいですが、そんなにたくさんある名前ではない。

有名なところで行くと、確か、武者小路実篤の「友情」という小説の中に、二人の男性から愛される美しい女性として登場するようだ。昔NHKでこのドラマが放映されたときに、岡江久美子さんがこの杉子さんを演じていたように記憶している。でんぐり返しをするとか、ちょっとおてんばな女性だった。

この名前は、昭和4年生まれで、3年前の暮れに亡くなってしまった父が名付けてくれた大切な名前。父は、最初、裁縫が上手になるように糸という字を書いて「糸子」だとか、炊事が上手になるように米という字を書いて、「米子」という名前も候補にしていたようだが、この二つとも気に入らないと母や祖母が不満を口にしたら、この、「杉子」という名前が候補に登ったのだと、母から聞いた。

その母も、父の後を追うようにして、2年前の桜の咲く頃に亡くなってしまったので、その話題で一緒に笑う人は、もはや誰もこの世にはいなくなってしまった。本当に、最初の二つの候補の方でなくてよかったと心の底から思っている。

昔は、結婚した時に、「杉子」に似合いそうなも苗字が、なかなか思いつかなかったので、好きな男の子の名字を当てはめてみては、「あー、この人と結婚することはないなあ、なんか似合わないから、運命の人ではないか」とか、大好きなのに、「杉子」に合わない苗字だったりすると、「この人とは結婚できない運命なのかもしれない」と勝手に悲しがってみたりしたものだ。おめでたい妄想に、打ちひしがれて、泣いてみたりした、感傷的な少女時代も確かにあった。

しかし、「杉子」という名前は、今では結構気に入っている。

名は体を表すというが、父の理想の通り、スクスクと育ててもらった。

父はよく、「女の人だからといって、好きな仕事を選べば良いし、自分の将来を、女性だからといって、限ることはない、好きなことをしなさい」というようなことを常々言っていた。

それに比べると、母からは、女子は、こうでなければならないというようなことをこれまた、お風呂に入りながらとか、常々ひつこく言い聞かされた。母の示す女性像に輝かしい未来はないけれど、父の示す方向には、素敵な将来の希望に溢れていた。だから私は、子供の頃、とてもお父さんのことが好きで、ファザコンだった。

そして、いつもお母さんというよりは、お父さんの味方だった。

今から思えば、本当に申し訳ないことであるが、父と母の夫婦喧嘩の時、父に布団蒸し(今の人はイメージできないと思うが、布団にぐるぐる巻きにされた状態(笑))にされるかわいそうな母をからかう父側に立って、その状況をいじめっ子に味方する弱い奴ら的な雰囲気で、俯瞰してみていたりしたこともあった。

ご飯の時、おかわりを一口入れて欲しいという父の希望に対して、母は、いつも一口よりは、明らかに多い、お茶碗の軽く半分くらいを入れては、父に、多いと苦情を言われていた。父の好きな私は、「どうしてお母さんは、お父さんの頼みを、ちゃんと聞いてあげないんだろう、私なら、ちゃんと一口を入れてあげることができるのに」と、思っていた。また、実際に、「杉子、ご飯を一口入れてくれ」と、おかわりをよく私に頼んだ。

父は被爆者で、15歳の時に、陸軍経理学校の受験で広島に行っているところに、被爆して、鳥取まで、兵隊さんに歩いて連れて帰ってきてもらったという、奇跡的に生還した者の一人だった。

その体験を語ることができないまま大人になり、このままではいけないと、思い立って、本格的に平和活動を始めることになった。お正月や、会合の後などは、平和活動や様々な原水爆禁止に関する活動の仲間が、いつも集まっていて、うちでワイワイと楽しそうに、お酒を飲んで語ったり、歌を歌ったりしていたが、その宴会の席に、ビールを持っていくのは、いつも私の役目だった。

「おーい、杉子、ビール持ってきてくれー」

父に、母ではなく、私が名前を呼んでもらい、用事を頼まれるということが、また、嬉しかった。

後で考えると、母が、ご飯を多めに入れていたのは、父にもっとたくさん食べてもらいたかったという気持ちの表れだったと思う。

子供が生まれてからは、母のおおらかな性格や、その清濁併せ呑むことができるタイプの人柄が、どれだけ、人を和ませ、波風立たぬようにしてきたかが、やっと、わかるようになった。商売を営む上でも、まっすぐストレートな、理想主義の父に対して、母が、上手に立ち回ることができたおかげで、バランスが保てていたのだろうなと今なら、想像することもできる。

名前は、家族の関係性の中で、役割を担い、さらに意味を持つものなのかもしれない。父の理想の詰まった、母や祖母が合意して選ばれた名前「杉子」には、私の大切な、生きるための指針になるものが詰まっている。

お客さんでも、仕事仲間でも、勉強会の仲間でも、なぜか、私のことを苗字ではなく「杉子さん」と呼ぶ人が少なくない。なぜだかとても不思議なことだが、年齢に関係なく、そういう人まあまあいる。

また、そう呼ばれることが、なんとなく、結構好きだったりもする。

鎮守の森に、空に向かってそびえ立つ杉の御神木を目にすると、胸のすく思いがする。ポキンと折れてしまいやすい、柔らかい材質だけれど、だからこそ、幹の太く、滅多なことでは倒れることなど想像もつかないほど大木を目指して、すくすくと、大きくなって、長生きしようと思っている。

https://idani.co.jp/?loaded=true

この記事が参加している募集

名前の由来

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?