見出し画像

実家とは変化するもの

まだ両親が健在だった頃は、お正月にはまだ幼かった子どもたちを連れて実家へと遊びに行ったものだ。
子どもたちが成長し、だんだん親と行動を共にしなくなると、実家への足も遠くなった。
両親が亡くなり、子どもたちもそれぞれ結婚し、家を出て行くと、今度は自分たちの家が子どもたちの実家となる。出向く立場から、今度は迎える立場へと変化する。

今年は、コロナ禍以降久しぶりに全員そろった年末年始だった。

総勢12名で迎えるお正月は、賑やかを通り越して戦争のようだった。
食べることから洗濯、お風呂も大変だが、何より家が秒で散らかっていく。そして大音量の会話が常に頭の上を飛び交っている。

いつもは、老夫婦二人だけで、シーンと静まりかえっているウチの居間は、そこら中におもちゃやおむつ、洋服などが散乱し、テーブルの上には飲みかけ食べかけのものが置いたまま。
ゲームで盛り上がっている人あり、わずかなスペースに埋もれてうとうと寝ている人もいる。

洗い物が山のように積まれたキッチンの片隅で、私は一人静かにコーヒーを飲む。
誰かに見つかると「私も飲むー」といわれてしまうから、こっそりと隠れて飲むのだ。
みんなが健康で集まれる、こんな日が来ることを、ずっと待っていたように思う。
そして、子どもたちには、この日を思い出す日が来てほしいと願う。

いつか自分たちが実家となる日が来るその時に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?