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タイピング日記047 / 寝ずの番(冒頭) / 中島らも

昨日、師匠が死んだ。

七十六歳。百年に一人といわれた噺家橋鶴(はなしかきょうかく)の大往生であった。死因は静脈瘤(じょうみゃくりゅう)破裂。大酒がたたってのあの世行きだ。

“もういけない”というのは三日ほど前から聞いていた。奥さんの志津子ねえさんを始め、橋次、橋弥、おれ橋太、橋枝、橋七、それに落語作家の小田先生。主だったところはみんな病院に集まって、師匠のベッドを取り囲んでいた。

医者は六十過ぎくらいの貫禄のある先生だったが、昨日の夜、この人が首を横に振って、

「いよいよ、いけませんな」

と言った。兄弟子の橋次が師匠の耳元に口を寄せて、

「師匠、何か心残りはありませんか。これはやっておきたかったということはありませんか。できることなら尽力しますよ。おれは」

師匠はしばらく目を宙にやったまま、蚊の鳴くようなしゃがれ声で言った。

そそ、、が見たい」

かつては割れ鐘のような大音声(だいおんじょう)、塩辛声だったのが、今はそばにいる橋次以外には聞き取れないようなかすれ声。

橋次は腕を組んで皆に言った。

「そそが見たいと言うたはるが、さてどうしたもんやろう」

一同、“えらい遺言やな”と心中あわてている。

まさか看護婦さんに頼むわけにもいかんしな。かといって、その辺の道歩いてる女の子に頼んでも変態扱いされるだけや」

志津子ねえさんが言った。

「この人は、この期(ご)におよんで、まだそんなこと言うか」

ここでちょいと説明させてもらうが、「そそ」とは女性器の呼び名、もしくは性行為のことを指(さ)す。関西圏では普通、「おめこ」というが、京都あたりになると、はんなりと「おそそ」と呼ぶことが多い。九州では「ぼぼ」、東北では「べっちょ」、沖縄では「ほーみー」と、いろんな呼び名がある。昔、ボボ・ブラジルというプロレスラーがいたが、九州巡業に限ってリング・ネームを変えていたことは有名は話だ。関西には紅万子(くれないまんこ)さんという女優がいるが、あの人の場合、東京でのテレビの仕事をするときにはどうしているのかしらん。

誰が作ったのか知らないがこういう唄(うた)がある。


♬えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ、

 吉原あたりが大火事じゃ

 おそそで建てた家じゃもの

 ぼぼ〜燃えるは当たり前♪


というわけで、「おそそ」「そそ」は女性器および性行為をさす言葉だ。だからその言葉の通用する京都あたりでは「そそとした美人」だの、ましてや「そそくさと立ち去る」などの表現はタブーなのである。

橋次兄さんは腕を組んで言った。

「この中で世帯持ちは誰と誰だ。手をあげろ」

おれ、橋次兄さんが手をあげた。

橋次兄さんはそれを見て言った。

「その中で一番家の近いのは橋太だな」

「へ」

「お前、ちょっと家へ帰って、嫁さんを説得してこい」

「あの、なんでやすか。うちの女房にその、師匠にそそを見せろと」

「そうだ」

「兄さん、うちのかみさんの気性を知っててそういうことを言わはるんで」

「そうだ」

「うちはちょっと茂子のカンにさわると、皿や鍋(なべ)が飛(と)び交(か)う、ポルターガイスト現象みたいな家で」

「わかってる。わかってるけど、この際事情が事情だ。ぱぱっと説得して、すぐに連れてこい。師匠は今は意識はあるものの、いつ亡(な)くなるかわからないんだぞ」

「へ、わかりやした」

おれがすっとんで家に帰ると、茂子は鼻歌を歌いながら洗濯ものを干していた。

「あら、どうしたの。病院の方はどうなったの」

「さ、そこだ」

「どこよ」

「そこなんだ」

おれはことのいきさつを茂子に話した。茂子は聞き終わって、

「でもそれならどうして志津子ねえさんのを見せてあげないのよ」

「志津子ねえさん? あの人ははっきり言って婆(ばば)だぞ。B(ビー)A(エー)B(ビー)A(エー)ばばあだぞ。師匠だっていまわの際(きわ)にそんな婆さんのもの見たくないに決まってるじゃないか。お前みたいな美人のそそが見たいのは当たり前だろ」

ここでおれは自分の女房をヨイショした。この「美人」という一言が、ぐらついた茂子の心を決定させたようだ。茂子はぽんと胸を叩いて言った。

「わかったわ。あたしだってこう見えて女丈夫よ。師匠のご臨終に恥ずかしいもへたた、、、もないわよ。見せましょう、こんなおそそでよかったら」

人払いをして、病室にはおれと女房と橋次兄さんと橋鶴師匠の四人だけになった。茂子はスカートのすそをぱんぱんとはたくと、

「では師匠いきますよ」

女房は病床の上に上がると、相撲取りのように股(また)を割った。そのまま師匠の顔のあたりまでにじり寄ると、顔を向けてスカートをまくり上げた。早々と、家を出るときにノーパンになっていたのだ。

その女房の股間を、師匠はじっと見ていた。

どれくらいその状態が続いたのか、おれにはわからない。七、八秒かもしれないし、二十秒くらいかもしれない。とにかく女房は役目を終えてそそをしまうとベッドを降りた。

橋次兄さんが師匠の耳元までいって、

「どうでした。師匠、そそをお見せしましたが」

師匠は弱々しく首を振って、

そそ、、やない、そと、、が見たいと言うたんや」

それから三分後に師匠はなくなった。


そうした一波乱があっての今日の通夜(つや)だ。

師匠の遺言通り、通夜も葬式も密葬である。

息子である橋弥が喪主になった。故人の親戚や弟子一連が神妙な顔をしている。遺影がかざられたその前に本人が横たわっている。おれの席からは見えないが、経かたびらをまとって、刀が一本、足の横に置いてあるらしい。

遺影は当たり前だが“師匠そっくり”である。つまり、“つぶしたブルドッグ”のような苦々しい顔だ。この顔が人々をして腹をかかえて笑わせ、敗戦後の日本の関西、絶滅しかけていた上方(かみがた)落語を復活させたのだ。

弟子一同、妻帯者はカミさん同伴である。うちの場合、茂子を連れてくるには、非常に苦労した。なにせひん死の師匠の顔にまたがって例のものを見せるという苦行を強(し)いられたうえに、しかもそれが“聞き違い”だったのだ。怒る気持ちもよくわかる。誰に怒りをぶつけてよいか、それもさだかでないから余計に腹立たしいはずだ。ぐつぐつと煮えたぎる鍋のように怒っているのをなんとかなだめて、冷ましてここに引き留めた。

坊主(ぼうず)がなむあみだぶつを一通り誦(ず)して帰った後で酒が出た。巻き寿司と煮魚、煮〆(にしめ)なんかも肴(さかな)と一緒に出た。





9頁〜15頁



中島らも 以下、Wikipediaより

中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日-2004年7月26日)は日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン。

本名:中島 裕之(なかじま ゆうし)ペンネームの由来は、無声映画時代の剣戟俳優、羅門光三郎から。活動当初は「羅門」「Ramon」「らもん」等のペンネームで雑誌にの投稿をしており、仲間内でも「らもん」を名乗っていたが「読者に名前を覚えてもらいやすいように」と1982年に「らも」に改名した。

兵庫県尼崎市出身。広告代理店社員のコピーライターとしてキャリアをスタートさせ、劇団・笑殺軍団リリパットアーミーを主宰する。俳優としても活躍。そのほか、自主的団体「全国まずいもの連盟」会長を自称した。

一男一女の父で、長女は作家の中島さなえ。



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