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男の性格(メモ癖)を道具で使う(GM全記録)

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 そろそろ立ち上げ準備のはずだ。

 十時二十五分。男は、メモ帳に記した。

「どうだい? やっぱり良いじゃないか」

 勝手口の敷居に仁王立ちをして腕を組んでオクサンは立っていた。

「先ずは、ぼくはなにをやればよろしいですか? 」

「最初は誰だって何もできやしないんだから、見てればいいんだよ」

 まわりが一瞬、黙った。男は、パニックになりそうになって、咳きこむ。

「アキさん。マスクね。そこにあるよ」

 ヤマさんは言った。

 男は氷水のピッチャーやジュース類が入る冷蔵庫を見る。脇に、紙マスクの箱があって一枚とりだしてつけた。

 座敷の窓側で立つミツルがロールカーテンをあげていた。男は尻ポケットに膨らみを確認する。メモ帳はある。男は安心して座敷にあがる。

 この日。男はあまりに緊張をして、だれかとなにかを話した、記憶はない。だが、男が話したスタッフに関しては、メモ帳にはこう記されてある。

■ミツル(札幌ナンバーのエスロク)二十六歳、リョーマの中学の親友、ホンダ技研の北海道支社にモトクロスレーサーで就職、現在は東京本社に勤務、中高と、喜ちゃん飯店でご飯を世話になった。今日は休日に東京からボランティアで来た。★リョーマは、もとはプロゴルファー志望だった。この店では絶対に禁句ですよ。店が傾くほど金をかけてなれなかったんだから…

「メモ帳、隠したほうがいいよ」

 ミツルは窓を拭きながら言った。顔は男に合わせない。

「やだね、あの子。メモ帳になにか書いてるよ。いくら紙に書いたって覚えられないんだよ。こういう仕事ってのは。ちょっとヤマさんからもなんか言ってあげてよ」

 背中から声が聞こえる。男はメモ帳をしまった。

「アキちゃん。背たかいね。サン拭いて」

 男はふりむいた。ミホが立っていた。ミホは男の肩口ほどの背丈だった。

「サン? 」

「そ、その鴨居の上とか、窓の下のホコリとかね。この濡れぞうきんで」

 男は濡れぞうきんを手渡される。

「桟ですね! 」

「そう。桟。ぜんぶおねがいねー」

「わかりました」

「やったー。楽しちゃった。背の高い人って良いわね」

「なんでもやりますので、なんでも言ってください」

「じゃ、それ終えたら、テーブルふきを教えるね」

「はい」

「そうよ。アキちゃん。それでいいよ。初日だからさー、気楽になー」

 厨房から声がする。男はふりむく。リョーマだった。男とミホにウィンクをした。ミホは男の背をたたいて座敷を降りた。

 男は頭を下げる。

 リョーマは笑顔を崩さずにマスターの耳元に口元を寄せる。マスターはうなずく。リョーマは眉間にシワを寄せて柱時計を見、だいじょうぶ、だいじょうぶだって。と男に、口パクをする。

 男はまた頭を下げる。中華鍋をかえして舞いあがる黄色いチャーハンをリョーマはオタマで叩いてほぐす。

 男は南側に面したカウンターに沿ってならぶ六畳と八畳の、座敷席の鴨居の桟を濡れぞうきんでふいた。

 桟の濡れぶきを終える頃になってミホはまた現れた。ミホに教えられたとおりに座敷のテーブル席の消毒スプレーと濡れぶきをしていると、

「アキさんさあ。背がそれだけ高いんだからさ、ほら、こっちにもきて! こっちの玄関の窓もふいてよ。ここも背丈が高いんだよ! 」

 玄関から入ってきたオクサンは顔を出して言った。

「はい、よろこんで! 」

 こたえたのはリョーマだった。リョーマの発したそれは、某有名居酒屋チェーン店のスタッフの掛け声だったので、店内に笑いがどっと沸いた。男とオクサンは知らなかったので笑わない。ふたりは目を合わせて首をかしげる。

「みんな、なにがそんなに可笑しいンかねえ」とオクサンは言った。

「ぼくもわかりません」と男は言った。

 男はサンダルを履いて玄関の窓をふく。背伸びをするとちょうど窓枠の隅まで手がとどいた。

「良いねえ。背丈が高いってのは。アキちゃんは体格もいいし、いろいろ得をするんだろうねえ」

 オクサンは笑った。男への呼び名は『アキちゃん』にもどっていた。男はうれしかった。

「そこのグッピーの水槽もやるんですね」

「やってもらうと、ありがたいよ」

「了解です」

「それ終わったら、次は外だね。こっち、外にきなよ」

 外でチリトリとホウキをさげたままオクサンは男に手招きをする。

「オクサン」と厨房から声がする。男は突っ掛けを足に入れたまま止まった。それから厨房を見る。

「どうしたんだい? 」

 オクサンは店内に入ってきて男を見上げる。

「オクサン! 」また厨房から声がする。

「ほら、突っ掛け、さっさと履きなよ。サイズはちゃんと合うんだろ」

 オクサンは男に言った。

「ママ! 」

 声はリョーマだった。オクサンは厨房へふりむいた。

「オクサン、ついでによ、外の椅子も。ならべといて」

 リョーマは無表情に言った。

「あ、そうだった! 」オクサンは口を押さえる。

「よろしくー」

 リョーマの声は小さい。鍋をぶつける音のほうが大きかった。

「いちいちうるさいねえ、わかってるよ。あたしゃこの道いくねんやってると思って…」

「サンジュウクネン」

 言葉尻を喰いぎみに、リョーマの声がとんできた。

「椅子とはあのプラスチック椅子のことでしょうか。並べるのかな」

 と男は言った。

「外に来ればわかるよ」


 男は店の南窓の外側を一枚いちまい丁寧に拭いていく。背伸びすると、窓の上の隅までぞうきんはとどく。それからのれんをあげて一旦外にでてテラスとの間にまわりこんで、店の壁を隔てる窓をふいた。

 南の外側の窓の下にはパンジーの鉢がならぶ。青いのはネモフィラ。花壇にはペチュニアもある。こっちはムスカリとガーベラだ。春を彩る色とりどりの園芸種の草花が、店のまわりに所狭しにならぶ。男はポケットからケータイをだして、しゃがむ。写メを一枚、撮った。

「花木は好きなのかい? 」

「ええ、以前、盆栽屋に勤めていました」

「そういやあ、履歴書にそんなことも書いてあったね。たしか埼玉の羽生のほうの」

「ええ、雨竹亭です」

「禅をする寺みたいな名だね」

「ええ、ワビサビで商売をやっていました。盆栽ばかりじゃなくて砂を敷いて水を浸すスイボンに、ヒトガタや滝のカタチをした小さな石ころを置いて眺めるのを楽しむ。それと、店の敷地の一角に黒木で建てた小さなお堂がありました。雨が降ると、そこいらじゅうにナメクジがわっと湧くんです。テレビで台風の予報がでると社員は総出で棚にならぶ盆栽の鉢を縄でくくりつけていくんです。それでみんなで会社に泊まりこみです。夜は朝まで麻雀を…」

「助かるよ。あとはたのんだよ」

 オクサンは店内に去った。

 窓をふき終わると男は駐車場の西でミツルの姿が見えた。腕をくんで男が置いた黒いロードバイクを矯(た)めつ眇(すが)めつ眺める。男はミツルのところに、走った。

 ミツルはしゃがんで、サドルに片手を置いてギアとディレーラーを観察していた。

「スペシャライズドっていうアメリカのメーカーのやつです」

 男は言った。ミツルはふりむく。

「なかなかいいやつだ。おれはオフロードバイク専門だけど」

 ミツルは言うと男は笑顔を見せた。

「去年、車はやめたんです。経済の事情で廃車にして。それで奮発しました」

「で、いくら? 」

「半額セールで三十五万円です。税込みです」

「ひゃ〜。でもよく整備してある」

「そういうのは好きなんです。車は自分で整備はできませんけど」

「チェーンを専用のクリーナーでちゃんと洗浄してあって、ルブは適度に差してある。バイクのチェーンもそうだけど、定期的に整備やってないとチェーンってこうは光らない」

 男はうなずいた。

「エスロクは」

「ググれば、相場はでるよ」

 男はうなずいた。

「帰りにエスロクの写メ撮っていいですか? 」

「いいよ。でもおれ、ただの手伝いで来ただけ。むかし野球部のころに山ほど飯を食わしてもらったから。今日たまたま会社が休みで。終わったらすぐに東京に帰る」

 男はうなずいた。

 男はミツルについて歩く。サンダルが思いの外きつかった。左足の親指の付け根の出っ張った骨がサイドに当たる。男は左足を引いてあるく。

 それから男はミツルに駐車場の西にかかる蛇腹の門を開けるのを教わった。外の道路に車がならんでいて門を開けると二台が入ってきた。

 ミツルは男が引き摺(ず)る足元を一瞥した。それから門柱に片手を添えて駐車場を見わたす。

「ココ、店が建つ敷地は第一駐車場だ。んで、開店前に客が勝手に店の前に立ってならんでたりする路地、自販機のある北側に公民館の敷地があるのわかる? 」

「出島をでた左前の? 」

「デジマ? ああ、ここの敷地のことな。そうだよ」

「はい、フェンスの内側に桜の古木が並木になってありました」

「その公民館前の、割れたアスファルトの敷地がウチの第二駐車場だ。借地らしいんだけどあっちには門はない。キホン放置」

「了解です」

「夏は地元の花火大会が近いから、そこに出店をだすんだ。缶ビールやら弁当やら、それと店のグッズも売れるからボロ儲けらしいぜ」

 男は先ほどプレハブの棚の上でホコリを被っていた団扇などのグッズを思いだした。

「花火大会はコロナで三年連続自粛だったみたいだけど、今年あたりはやるんじゃねえかな」

 そう言ってミツルは腕時計を見た。

■十時四十分。裏門(第一駐車場)をあける。と男はメモ帳に記した。店の入り口からオクサンの声が聞こえる。

「先に、あちらに苗字と人数を書いておいてくださいね。それっからおならびになってくださいね。あとでウチに文句を言われてもね。困るんですよ。ウチは忙しいですからね、対応ができないんで。よろしくおねがいしますねー」

 車から降りてきた客に、自動ドアの前に置かれた名簿を指差している。それからエプロンで手をぬぐって店内に入った。

 男はメモ帳の裏表紙を一枚めくった。

★初日までに覚えておくことは? メニュー。卓番。伝票の書きかた。注文とり。くばる(卓・人数)作法。ダスター(フキン)の定位置。さげ(乗せかた・順番など)。ヤマさんの名前を聞いておく。

 

男はミツルと勝手口から店内に入った。

 店内は慌しい雰囲気に変わっていた。

 シゲはカメラをにぎってスタッフの脇にすっと滑りこむ。笑顔を見せると、相手も破顔して口が弛む。

「へい。シゲちゃん。忙しいのにまだカメラまわすんかい」

 リョーマはツッコむ。

「再生数で恩返しします」

「百再生か」

 笑いが起こる。

 シゲは店内を、スタッフの活気を撮影する。手の空いたスタッフに声をかけてはレンズをむける。

 オクサンはミホとヘラで餃子の皮に餡をつめていた。

「え、電池切れかい」

 カメラを置いてシゲは笑う。

「テイク2、行きまーす」

 タツは大声で言った。

「やだよ、逆に緊張するじゃないか」

 オクサンはタツに言った。店内には笑いが起こる。

「就職させたんですよ。東京へ。明治神宮の横にある。なんてたっけ」

 オクサンは厨房にふりむく。

「あ、広東大酒店。大名店ですよ。そこに行かせてたんですよ」

「修行をかねてね。こういう職業はまず人間関係がね。大事だから。行ってみると親のありがたみってのがわかるかなって」

 となりで皮を包むミホは笑う。

「でも、頑張ったんでしょうけど。みるみると痩せてきちゃってね」

「厳しいのは良かったんですけとね」

「いいんだよ。ってね。言ってやったんです。もう私たちみたいに頑張る時代じゃないよ、ってね。だってそうでしょ。メニューはお父さんのマスターが二十五年かけて作った人気店のがあるんだ。味を盗みに向こうに行かせたわけじゃないんだ。時代ですよ。だから帰ってきなって」

「帰ってくるとこんどは水を得たような魚ですよ。周りからいくらボンって言われてもね。よくやってくれてますよ」

「ボンでーす」

 厨房からリョーマの磊落(らいらく)な声が聞こえる。

「はやくあたしを引退させてくれないかね」

 笑いが起こった。

 シゲはオクサンに挨拶をしてこんどは厨房に入った。焼き豚を切っているマスターにカメラを向ける。シゲはどのように録音をしたのか。どんな技術を使ったのか男はわからないが。男の耳にはマスターの声しか聞こえない。

「おれはこのミチしかねえからよ」

「若いとき広瀬の老舗、大陸飯店に入った。同僚なんかは二百人の上はいたよ。そっからもう五十年になる。ここ開業してもう三十一年か」

「開店当時? こんな小せえ店でも開けた日にゃあ五百人きた。それから二年ぐれえおれとオクサンで、二人でまわした」

 後ろでリョーマは拍手をする。

「でオクサンはいちど倒れたんだ。夫婦だけじゃできねえ。それっからだんだん従業員が増えてきた」

「原材料? 」

「おれは計算してねえけど、いま上がってるもんね」

「いま原価三一くらいじゃねえか」

「メニューは五月に一回あげた」

「頭はいたいやね。いま考え中だ」

 シゲはカメラを抱えたままオクサンの元にもどった。

「え、もう一回? あたしがスタッフの紹介かい? 前にいちどやったんべえに。視聴者むけにかい。うまくできるかわからないよ。ダメだったらうまくカットしとくれよ」

 オクサンは言った。

 厨房の手前にタツは大声で、はいこれからオクサンのテイクスリー、入りま〜す。と言ってひとさし指を口にあて、カウボーイが縄をまわす仕草をする。まわりには爆笑が起こった。

「一番向こうがマスターなんですよ。はい」

「で、手前の一番古いのがタっちゃん。溝口たっちゃん」

 オクサンはタツを指さす。その腕に翡翠(ひすい)とカラフルなパワーストーンの数珠が、きらりと光った。

「この子は新前橋の料理師専門学校のアルバイトから入って、そのまま従業員になった」

「その向こうのトモちゃんっていう笠原くんも。そうなんですよ。調理師学校からアルバイトで二年、それからウチに入って従業員」

「息子もそうなんですけど、みな調理師学校からおなじなんです。みんなには店はマスターの代で終わりのつもりだからって言ったんですけどね。ほんとに優しい良い子ばっかりですよ。家族なんですよ」


 裏の通路でリョーマがしゃがんでいる。

「何をしているんですか?」

 男は中腰になって訊ねた。

「コメだよコメ炊き」

 通路に業務用の一升炊飯器がならぶ。リョーマはそのひとつにスイッチを入れた。

■十時四十五分。一升炊きにスイッチ。男はメモ帳をひらいて記した。

「悪いね。ああいうんだウチのオクサンは。悪気とかまったくないんだ。アキちゃんがやっていけるようにバックアップはする。けどあうあわないってのはあるんだよな。どこの店もそうだと思う」

「わかりました」

 しゃがんだままリョーマは動きを止める。頭を掻(か)く。

「あとホールがこの時間に何かやるっつったら、ピッチャーのセッティングくらいだな」

 男はリョーマに頭を下げてホールにでようとふりむく。

 勝手口からオクサンが現れた。両手で番重をかかえている。

「ほら、どいてどいて」

 番重には餡を包んだ餃子がきれいにならんでいた。

「アンタ。こんな所でつったって何ヒマこいてんだよ! 」

 番重の角で男は脇腹を押された。男は腋をかかえてよろける。

「ジャマだよ! この木偶の坊! 」

 と言葉を浴びせかけられ、男は全身の毛穴が一斉に粟立った。この木偶の坊! 生まれて初めて言われた言葉だった。ほかに多義的な意味がふくまれていないか思考をめぐらせる。一義的な意味しかない。男は結論を下した。脇の下が、ジワッと濡れた。

 リョーマは男に目の前の大型冷蔵庫をアゴで示した。ドアを開ける男の手はふるえていた。男はだれにも悟られないように、ふるえる腕を青磁のように硬くさせる。濡れた脇は冷たく冷える。

「ほら、だれかひとり来てよ。ミホさんでいいよ! 」

 オクサンは勝手口にふりむいてさけぶ。

「はーい」

 店内からミホの声がする。

 リョーマは男を見あげてまぶたを二度またたかせた。それから頭をぐるりとまわして首をコリコリと鳴らした。男は冷蔵庫の取手に手を添えたまま身体はこわばらせ、息を止めた。

「アキちゃんは店内でピッチャーを置いて。それでいい」

 リョーマは男に言ってテラス側の勝手口に消えた。

 ミホと入れ替わりで店内に入るとディシャップではヤマさんが取り皿に黄色い粘土のようなものを練っていた。

「それはなんですか? 」

 男はメモ帳を開いて訊(たず)ねる。

「マスタードだよ」とヤマさんは言う。

「和からしですね」男はメモ帳に記した。■十時五十分。和芥子練り。と男は記した。

「これは決まった時刻はないよ。手が空いたときでいいんよ」

 ピッチャーの置きかたはヤマさんが教えてくれた。もち手の上部に◉印があるのとないのがある。

「それね。◉印はカウンターだよ。あとは座席だ」

■十時五十分。氷水が入ったピッチャーを卓番に置いていく。◉印はカウンター席用。と男はメモ帳に書いた。

「アンタ、なにをコソコソと書いているんだね。ウチでそんなことやっても意味ないよ」

 オクサンは勝手口で仁王立ちをしている。

 男はメモ帳をポケットに仕舞った。

「嫌だねあの子は、背中まるめてメモ帳なんか構えてもって。コソ泥みたいに見えるよ。ウチのメニューでも盗む気でもあるのかいってヤマちゃん。なんとか言ってやんなよ」

 ゴホン。

 だれかが、大きく咳きこんだ。

 厨房のコンロ場の前に置かれた、縁がへこむカゴメケチャップの業務用の空き缶に、蛇口から水が流れる。タツは、窓の外をながめ、缶に溜まる水をオタマで一杯、北京鍋にそそぎ入れる。

「雲行きが怪しくなってきたぜ、雨でもふるのかなァ。なんだかジメジメとすんなァ」

 竹のささらを使って素早くオタマを洗う。鍋は強火で熱されたままだ。タツは洗ったオタマで缶から水を入れ、こんどは鍋をまわし洗う。鍋にまわる汚れた水を、奥の受けにまけた。

 男は窓の外を見た。雲ひとつない快晴だった。

 タツは、鍋を布巾でまわしふいた。

 オクサンはそわそわと落ち着かないようすだった。のれんをあげて店の外に出ていった。

 ヤマさんが和からしを練るカウンターの、隅に置かれたコードレス電話が鳴った。リョーマが駆けてきて、もちあげた。

「はい、よしちゃん飯店です」

 リョーマはレジ横にあるペン立てからシルバーの重厚そうなボールペンを一本ぬいた。ディシャップに伏せてならぶ伝票を一枚、ひっくりかえす。

「はい、どうぞ」

 リョーマはにぎったボールペンを、なか指の腹で弾いておや指の根を軸に、くるりとまわした。男はそれを、予備校時代に覚えてよくやった。いまそれをやったらできるだろうか。男は思ってポケットからボールペンをだした。

「チャーハンをよっつと五目そばをよっつ、以上で」

 リョーマはまたくるりとボールペンをまわす。

「はーい、じゃあ、お名前をよろしいですか? …わかっていますよー。いちおうカクニンね。ほら、オトクイサキのお名前の書き忘れはさすがに失礼だからさー。ホソノさんね。おれさホソノさんのなまえさ、頭でおぼえたのはYMOの細野晴臣で入ったんだよ。そうやって覚えてからは忘れないよ。YMOテクノミュージックで牛を育てる細野牧場って。はっはっは。おれ? なにYHJって? なんだそりゃ。おいおい細野さんひでーなァ、喜ちゃん飯店ジュニアかよ。はっはっは。それと、いつものリョーシュウショね」

 そのあいだリョーマは、ボールペンをなん度もくるりとまわした。最後に反対まわりにまわした。男はひさしぶりにやってみる。ボールペンは存外にかるくするりと床に落とした。

「はい… くりかえしますよ… ではお時間までに。お待ちしておりますねー」

 リョーマは受話器を置いて、書いた伝票を剥いだ。カーボンコピーされた青字の写しがのこった。

「予約だ。伝票の書きかたはあとな。ゆっくり後で教えるよ」

 ペンを拾う男の尻をリョーマはたたいた。

「出だしから、幸先は良いよ」

 男は立ち上がってレジに最初に置かれた伝票を見る。

「どうした? 今日は無理にオーダー取らなくていいよ」

 リョーマは男に言った。

「伝票はどうやってならぶんですか? 」

「手前のレジから、順番に奥に」

■十一時三十分。細野YMOテクノボクジョウ。チャーハン四。ゴモクそば四。計八。領収書。と男はメモ帳の裏表紙に記した。

「十一時半にチャーハン八つ。ホソノ牧場さんから注文いただきましたァ」

 リョーマは伝票をレジ横に置いて厨房にむけて言った。

「ありがとうございます! 」

 厨房から活気のある声が上がった。


「外でお客さん、待ってから、早めに入れちゃうよ」

 店に入ってきてオクサンは顔をだした

■十一時より前。営業開始。男はメモ帳に記した。


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