怒涛の師走上旬(スーパー大掃除の巻)
2903文字・60min
十二月二日(土)
昼間は家の垣根の剪定をした。二時間半かかった。親戚が趣味がてらにやってくれていたが、素人のぼくは一仕事だった。その日の午後は父親が入院先から無理やり退院してきたらしく。骨粗鬆症のためにリハビリ不足だと反発しました。「ここはおれの家だ! この家をでていけ!」と怒鳴られた。かなりのショックだった。が、「家族の血」を見つめるいい機会になった。ある小説のプロットが頭に浮かんだ。十五日までにレジュメにする。猫のトイレの引越し。心の弱き父に、初めて殺意を抱いた。
十二月三日(日)
家の二階の荷物の不要物をぜんぶ、ゴミぶくろに入れた。箪笥、昔の女性用(母の)衣装棚、本だな、三段プラケース、衣類用ケース(二十個ほど)、父の衣類、節句の品物など、祖父母の遺品、額縁、パソコン、初期のワープロ機、キャンプ用品、加湿器、鍋セット、餅つき器、金バケツ(祖父の選挙のつかったので十数個とか異常にあった)、軽トラックに二、三杯分あった。粗大ゴミの日、燃えるゴミの日、燃えないごみの日に分けて軽トラックで出しに行く予定だ。疲労困憊。足は棒。九時は寝た。
十二月四日(月)
父が退院した渡邉内科クリニックに、今度は自分の薬をもらいに行く。野口英世伝の「遠き落日」を紹介した人のいい「好々爺」ということばがぴったりの医院長だ。その老院長に、ぼくの小説を一部刷って置いてきた。年賀と餞別を兼ねて。父は、腰が痛くて救急車を呼ぶと日赤病院に運ばれた。日赤病院は「重大な患者にしかベッドがない」と言って、リハビリ施設のない今の渡邉内科クリニック透析病院に。重大な患者ってどんな患者なんだ? まさに野口英世の強慾さとおなじく盲目な医師(クライマーズ・ハイで「大きな命・小さな命」を読んで感動したあとだったので尚更に医療現場での命の軽さをつよく感じた)次回から渡邉内科には行かない。コレステロールの薬は精神科でもでる。営利や利権で動く病院は嫌いだ。夕方に散歩をした。
十二月五日(火)
ダウン。そういえば昨日、母の補聴器の調査で、散歩がてら補聴器を扱うメガネ屋さんを二軒はしごしたのだった。家にくる保険屋のA沢さんが実際に耳に付けていたSHARP製の最新補聴器は誰も知らなかった。業界の当事者たちが時代に完全に乗り遅れていた。曇りで寒く疲れやすい。Yさんに手紙を書く。大澤家の盛衰と没落をまとめる。母の友人であるS家とN澤家に一部「上陸者たち」を刷る。二十二日に診察に行く精神医療センターの主治医に一部(副院長のA医師およびセンタースタッフ一同さま)檀一雄の「火宅の人」を読む。家族や血筋を考える。二十一時には寝た。
十二月六日(水)
二階の和室にベッドを移動。書斎と寝室の仕分け。二階から本棚を階下に下ろす。昼前に散歩。暖かい。床掃除に、生まれて初めてクイックルワイパーを使う。カルチャーショックだった。いままで床は腰を落として濡れ拭きをしていたが、「こんなに楽できれいになるとは! 」いまだぼくはアナログ人間だな。つくづく実感する。朝書いたメモをココに。「母が玄関を閉める音がうるさい」「電子レンジのチンを放置しないでほしい」母は朝一、レンジを温めてトイレに入る。何度も「チン!」が耳にうるさい。耳が遠くなったからか、当人はいいがやはり他者は耳にうるさいのだ。二十一時には寝た。
十二月七日(木)
トイレの扉で剥がれている所に竹下夢二の絵を貼る。散歩をする。晴れたいい日だ。公園でサンドイッチを食べる。銀杏の葉が絨毯のようだ。車庫から張りだした庭石を移動する。大作業だ。これは庭作業じゃない。もはや造園だ。疲労困憊だった。夜、Yさんへの手紙に赤をいれる。爪が痛い。四日の大仕事で右ひとさし指の爪が剥がれたようだ。浅い。日にちが経てば大丈夫だ。今日のメモ「今まで愛したはずの二十人の女のだれにも愛されていなかったのではという疑問。逆説をいえば自分が女を愛せなかったこと(に気づかれて)の裏返しなのか? もしそうだとしたら恐ろしいことだ」二十一時には寝た。
十二月八日(金)
いままでの散歩は二千八百歩だったが、今日は五千歩の散歩だ。体力がついたか。散歩の途中季節外れのたんぽぽやバラの狂い咲をみる。廊下の暗い色調の油の風景画を外して母の絵手紙をならべる。トイレの扉にも。三時過ぎに軽トラックにプラケースをいっぱいに積んで市が運営するゴミ高熱処理場へ行く。重さで二十キロで三六〇円。母親のために一週間の献立ルーティンを作成する。
十二月九日(土)
開かずの間である一階の北の部屋(祖父母の衣類部屋)の処分をする。箪笥から祖父のへそくりが出る。聖徳太子の万札から、大阪万博の五千円硬貨、東京五輪の百円硬貨から五十銭札(換金不可)まで。尾身幸次の額縁「初志貫徹」や元伊勢崎市長の新築祝いなどが出てくる。祖父が死ぬ直前まで修理に出していたロレックスもでてきた。祖母のモノクロ写真は美人だった。衣類をすべてゴミ袋につめて箪笥、衣装棚を空にする。夕暮れ前に、最後の力をふりしぼって箪笥を家の敷地の端まで運びだす。疲労困憊。母もぼくも腰が痛い。弁当のカツ丼が美味かった。二十一時前には寝た。
十二月十日(日)
遅く起きた。尿がオレンジ色だ。疲れが取れない。猫の相手ができず。戦利品の確認。新品のダチョウ革の財布とキーホルダー、母が父に買ったパーカーが二着、祖父の黒皮のトレンチコート、旅行鞄、大量の一円玉、寿司屋の湯呑、酒類、裁判履歴(書類)など。午後は神棚を掃除、使えるタオル類などの仕分け、段ボールを紐で結く。仏壇の中を引き戸をあけて中をぜんぶだしてゴミ袋に。二時半時に一服。ゴミだしの計画を立てる。粗大ゴミは年内に一度にぜんぶは出せない(町内からひんしゅく)。なので年内は庭の西にまとめてブルーシートを被せる。するとその準備でバラックの後ろを片付ける。父のバイク修理のオイルで汚れていた。日没までにブルーシートかけは終了。軽トラックに火曜日にだす粗大ゴミも積んでおいた。もう疲労困憊。ふたりとも腰が痛い。夕飯は鮨。それから夜は母とスーパー銭湯の湯楽の里へ。帰りにはコープで買い物を。先日、僕が作った「週間献立表」を見ながら買い物。明日は、寄せ鍋だ。明後日は焼き魚か豚の生姜焼きだ。
十二月十一日(月)
遅くに起きると母は仕事にでていた。十時にキッチンの棚を開けていらない皿類を出し始める。午前中かけてほぼ出す。母が昼休みに帰ってくる。午後に仕分けをしようと言って母は午後のパートへ。ぼくはロードバイクでのんびりと郵便局へ。祖父のへそくりが四万五百円になる。母に借金の三万円を返し、通帳にはドコモの通話料金の先月分の未払い分だけをのこす。財布には五千円のみ。ロードバイクにまたがってゆっくりとドラクエウォークをしながら帰ってくる。夕方の日没前に母と二人で明日の粗大ゴミの日の前置きをしに出かける。今日は力も出ない。集中力もない。父が耳が遠い母に偉ぶって怒鳴っていたのが心に槍のように突きささってくる。夜は寄せ鍋だ。つみれ団子が生姜風味で美味しかった。大量の一円玉の処理に困る。とりま、ラピュタのジオラマを作って見栄えだけ。
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