800文字日記/20240319/tue「じぶんの醜い顔」
800文字・15min
三月十九日。二十二時五十分。
元師匠のズームの文章個人レッスンは終わった。
三月下旬の室内は二十五度だ。部屋の暖房は点いている。あたたかいはずだ。なのにぼくの肩は小刻みに震える。ペン立てにささる手鏡をとる。じぶんの顔をうつしてみる。白髪染めで黒色に染めた髪に白髪が混じった無精髭。安いメガネは下にずれる。まぬけな顔だ。去年の今頃、師匠のもとから、逃げだしてしまったじぶんの醜さが丸見えだ。
安メガネは昨夏ソープランドのボーイで働いたその初任給で上野の駅ビルで購入した。じぶんの顔はいつまでもうだつがあがらぬ。万年コソ泥のような貧相な男だ。
深いため息をひとつつく。
長シャツの両脇がぐっしょりと濡れていてこれでは風邪を引いてしまう。すぐに着替えたいが膀胱も破裂寸前だった。トイレから戻って部屋のクローゼットをのぞくと隅で猫が丸まっている。
師匠との会話はかれこれ一年ぶりだった。それ以上かもしれない。
レッスンが始まる前は聞き手にまわると決めていた。はずだったのだが。レッスンが始まるとやはりアガった。じぶんから無駄にしゃべり過ぎた。
手鏡をまたもつ。惨めな顔だ。
師匠のもとから逃げた。
「負目」
「修復不能」
言(こと)の葉(は)が、頭をかき乱す。
じぶんから師匠の元を去った自責の念にさいなまれ、ぼくは頭の毛をむしり、机の椅子にあぐらを掻き、ベッドに倒れる。手鏡をにぎったまま頭から床に転び、そのままひざまづき、大声をあげそうになる。猫の鳴き声が聞こえるが。猫はまた沈黙した。
それでも久しぶりに見た師匠のスーツ姿を思いだして、胸に、安堵感が湧きあがる。左手首につける腕時計は祖父の形見だ。祖父はもう死んだのだ。
「八百文字日記はつづけているかい」
生きている師匠は言った。
「書いていますよ」
悪びれる様子もなくぼくは平然と嘘をついた。ぼくは己のことばに否応なしに苛まれる。
目の前に時計がふたつある。時刻が五分ズレた時計のほうに、手を伸ばした。
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