見出し画像

【小説】グレープフルーツムーン#1

 トリを飾ったバンドがアンコールを終え、ステージからはけて行った。
 今日の対バンイベントの主催で、オレたちのバンドが出演出来るよう直接声を掛けてくれてた大切な相手なので労いと改めてお礼を言うためにオレは彼らを追いかけた。
 最後にステージを降りて行ったボーカルの松本さんにすぐ追いつく。

「松本さん、お疲れ様です…」

 …しまった、声をかけてから気が付いた。狭い通路の途中でオレの呼びかけに振り向いた大柄な松本さんの影にすっぽりと隠れていて気付くのが遅れた、一人の女性と松本さんが親しげに話していたところだった。オレとその女性の目が合う。

「あ、ごめんなさい、お話し中に…」
「あぁ、いいよ、お疲れさん」

 松本さんはバンドでは渋いブルースロックをやっているのにMCではまぁまぁ汚い言葉で客席を煽っているような人だが、普段はとても穏やかで屈託なく笑う良い人だ。
 それにしてもキレイな女性を連れているな。けど、二人で居ると言うことは…、

「彼女さん、ですか?」
「いや違う。常連さん」

 常連さん、ファンとも、友達とも、違うのか?オレに松本さんの彼女と思われたのが嫌だったのかその女性は少し不満そうな顔をしている。

「そうなんですか、なんかいい雰囲気だったから」
「逆だよ、打ち上げ誘ったら丁重にお断りされたところ」

 そうか、さっき見たのはにっこり笑って断られていた場面か。そしてこのキレイな女性が今日の打ち上げに参加しないのは少し残念だな。なんてことを考えていたので、その間型の良い切れ長の瞳で彼女がじっとオレを見ていたことにようやく気が付いた。

「…ヘルター・スケルター、演ってたよね」

 初めて発せられた彼女の声に思わずドキっとする。思ったより少し低めの凛とした声だった。
 オレのバンドはオリジナル曲がまだ少ないこともあって時々カバー曲もセトリに入れている。ザ・ビートルズの『ヘルター・スケルター』は今までにも何度かライブで演ったが、こんな風に声をかけてくれたのはライブハウスの関係者か、たまたまその場にいたオレよりもかなり年上の男性か、ビートルズ好きの対バン相手くらいだった。オレよりは年上っぽいがまだ若くて、それもこんなキレイな女性に言われることはこれまでまず無かったので、それだけのことで妙にテンションが上がってしまう。

「ビートルズ、好きなの?」
「はい、かなり、好きです」

 テンションは上がったが同時に謎の緊張感が襲ってきた。せっかく声をかけてくれたのに、やり直せるならもうちょっと気の利いた返しがしたかった。

「ライブ途中から入ったから最初の方聴けてなくて、他は全部オリジナル?」
「あ、そうです。良かったらCDあるんで…」
「そうなんだ。…じゃあせっかくだし貰おうかな」

 すぐ近くの物販コーナーに置いてある自主制作のCDを1枚取って戻る。

「いくら?」
「いや、あげますよ」

 うちのバンドのメンバーがこの場にいたらしばかれそうだな。

「ダメだよ、ちゃんとしないと。ちゃんと払うから」

 真剣な顔で嗜められた。…そういうところも、良いな、この人。オレの周りには今までいなかったタイプの女性だ。

「500円、です」
「500円か、あ、良かったちょうどあった」

 財布から500円玉を取り出しニッコリ笑う。

「はい、ありがとう。じゃバンドがんばってね」

 そう言って彼女はオレの手からCDを受け取ると、さっと背を向け歩き出し、オレが半ば放心状態の間にとっくにライブハウスを出て行ってしまっていた。

「…おーい、大丈夫か?」 

 松本さんの声にハッと我にかえる。すっかり存在を忘れていたが、真横でオレと彼女のやりとりの一部始終を見ていた松本さんは呆れた顔でオレを見ていた。

「…まぁ、気持ちはわからんでもないけど、あの娘は、…やめといた方がいいよ」
「どういうことですか?」
「なんて言うか、訳あり、と言うか、詳しくは言えないけど、ちょっと変わってるというか…。大学は別だけどいちおうその頃からの知り合いで、…あぁ、あの娘と同じ大学のやつらがやってたバンドと昔対バンしたことあって、それでうちのバンド見て気に入ってくれて、以来ライブ告知のメール送ったら毎回じゃないけど、今でもああやって時々ひとりでフラッと来てくれる。けど打ち上げ誘っても一回も来たことないし、プライベートな誘いなんて絶対乗ってこない」

 ライブ以外の誘いを断られるのは他に理由があるのではと思ったが何も言わないでおいた。

「今の誰?キレーな人だったねー」

 うちのバンドのメンバーがぞろぞろやってきた。ちっ、見られてたか。

「あぁ、松本さんとこのお客さん」
「うちの音源買ってくれたの?」
「まぁね」
「えー、良い人!オレも話したかった」

 メンバーが口々に話し始めたところで松本さんが呼ばれ俺たちのもとから離れて行った。

「…連絡先聞いた?」
「あ!忘れてた…」

 音源まで買ってくれた(買わせた?)貴重な人だ、走ってライブハウスの外の通りまで出て辺りを見渡す。ライブの間に通り雨でもあったのか、濡れた路面と湿った空気の中を行き交う人々の流れの中に彼女を探してみたが、もうその姿を見付ける事は出来なかった…。


 素敵な女性の連絡先を聞きそびれるミスを犯し(聞いても教えてもらえなかった可能性もあるが)、しばらくはへこんでいたが、まだ大学に通いながらバンド活動をしているオレにはあまり余計な事を考えている余裕はなかった。1,2年の時にサボり過ぎたせいで、かろうじて留年は免れていたが、4年になった今でもまだ取れていない単位が多く、このままだと卒業が危うい。そしてバンド活動というものは滅法金がかかるので空いている時間には目一杯バイトを詰め込んでいる。主に居酒屋、単発で引越しや深夜の工場などを掛け持ちしていた。実家暮らしなので家賃がかからないのはありがたかった。あとはその隙間にバンドの練習。メンバー全員同じような条件で日々生活しているため、スケジュールを合わせるのが一番面倒くさかった。何せボーカルギターのオレに、リードギター、ベース、キーボード、ドラムと5人もいる。

 そして、そんなたいして彩りのない毎日をただ繰り返しやり過ごしていると、あっという間に次のライブの日がやってきた。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?