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きみへ#3


きみへ。

きみはいつも私のnoteを見てくれてるけど、実は気になっていたことがある。友達のnoteを見るって、どんな感じなんだろうって思っていた。「イメージ悪い方に変わった、こんなはずないと思ってた、なんてことないかな。なんか感想ほしい、気になる、ううん、いらない。」と思ってた。

でも、きみがnoteに投稿したのを読んで、ちょっとわかった。
ネガティブな方向へイメージ変わるとかはない。新しく見つけたのは、きみの延長上にあるきみだ、って感じ。

私たち、もちろん高校時代から年齢上がってるし、お互いの見えないところで成長と変化を続けている。だから知らないことも多い。でも、知らなかったからといって裏切られるようなことは基本ない。裏切られる、ってどんなことなんだろう、って考えてみた。「実は全然友達だと思っていなかった」だったらショックかもしれない。

「なにかしらの法を侵してしまった」「実は闇金に手を染めていた」「違法薬物に手を出していた」(きみの名誉のために言っておくと、極端な「もしも」のたとえ話ね。)みたいなことだったら、驚くだろうけど、そこに絶望はないかもしれない。そうせざるをえない、切実な理由があるんだろうと思う。それは、考え抜かれた思想によるかもしれないし、本当に生きるか死ぬかの地点に立って困っているのかもしれないし、わからないけれど、なにかしらのきみなりの考えがあるんだろうな、と思うから。いつでも正義があるわけじゃない。もちろん他の人の不利益になることをするのはよくない、でも、いつだって法律が絶対に正しいとは限らない。その行為が、その思想が、正しいかそうでないかは、結局は自分の中にしかないんだと思う。私はきみの中にあるものを信じているから、驚いたとしても絶望はない。きみの選択した行動がそこにあったんだろう、と思うだけ。

だから、きみがなにを書こうと、ネガティブイメージになったりはしないんだろうと思う。もちろん、きみに闇金をおすすめはしないよ!きみの人生が希望と幸せで溢れていて、不安の少ないものであることをいつも祈っている。そのために、私ができることがあればなんでもやってみたい。「自分の人生短い、自分のための人生」なんてよく言うから、自分の直接的な利益のためだけに時間を使おう、って人がいるけれど、私はあまりそうは思えない。私の周りの人、大切な人もハッピーに生きて、ハッピーに死んでいかないと、私の人生は本当に幸せだと思わない。だから、私はこれからも周りの人のハッピーも大切にして、自分の人生を幸せなものにしていきたい。


もう寝る時間だ。最後に一言だけ、きみの文章、ほんとうによかった。心が震えて何度か読み返した。恥ずかしいことはないよ。いい時間をありがとう。またね。

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