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文鳥とお姉ちゃんの声

≪最期まで生きる自信がない≫

いとこのお姉ちゃんが亡くなったのは、ちょうどそんな時期だった。

わたしはその少し前まで精神科病院に入院していて、お姉ちゃんのお見舞いに行くのを励みに、退院した。

その数日後、お姉ちゃんは亡くなった。

わたしは母とお姉ちゃんの家に行った。枕元で亡くなったお姉ちゃんのお顔を見ると、安らかだった。朗らかささえ感じた。4年に渡る癌と、お姉ちゃんは闘いきったのだ。胸を張って晴れやかに逝ったのだとわかった。

母がご遺族と話ているうちに、わたしは文鳥の鳴き声がなにかを言ってるように感じ始めた。お姉ちゃんがずっと愛してきた文鳥。なにを伝えているんだろう?わたしは心を澄ませた。

はっとした。ああ、文鳥のむこうに、お姉ちゃんがいる。

「あの……。」

わたしは思わず皆の会話を遮って夢中で言っていた。

「文鳥が≪ありがとう≫って言ってる。いま文鳥のむこうにお姉ちゃんがいてね、文鳥に言ってるの。≪ありがとうって伝えて。いま、みんなに伝えて。ありがとうって伝えて≫って。それで文鳥がいま一生懸命伝えてくれてるみたい。」

皆が文鳥の声に耳を傾けると、じきに文鳥の声色が元に戻った。「ほんとだ。みんなが聞いたら、声がおちついたね。」皆もそう言った。

その日に、わたしはご遺族から、お葬儀でお姉ちゃんに手紙を読むという大役をいただいた。口数少ないご主人が、「これ」と言ってお姉ちゃんが書いた大切な闘病日記を、わたしに渡してくれた。その瞬間のことが忘れられない。わたしを信頼してくださったのだ。わたしに託してくださったのだ。無言のうちに心が交わりあったのを感じて、わたしは喉が熱くなった。

≪心をこめて書こう。できるだけのことをしよう。≫心が定まった。

夜遅くまでかけて、納得いくまで書き直した。通夜式と告別式ではちがうものを読んだ。

文鳥のこと。日記を読んでみて、闘病が本当に壮絶だったとわかったこと。でもお姉ちゃんは大変だったことが言いたかったんじゃくて、どんなことがあって、どんな人と出会って、どんなふうに助けてもらったか……そういう感謝が綴られていたこと。入院していても、困っている患者さんを助けたりと、お子さんたちが「いつも、人のこと思ってるお母さんだった」と口を揃えていたこと。それから最後に、わたしは最期まで生きてく自信がないけれどお姉ちゃん見守ってね。ご家族のこれからも見守っていてね、と言って結んだ。

告別式のあと、帰りの車に乗ろうとした時、いとこのお兄ちゃん(お姉ちゃんの弟)が遠くからわたしを呼んだ。

「小絵ちゃん」

大人しいお兄ちゃんの、久しぶりの声だった。振り向くと、少し笑ってお兄ちゃんは言った。

「ありがとう。」

わたしは「こちらこそ」と言って、またねと手を振った。車に乗ると涙が次から次へと涙が溢れてきた。

たくさんの人と心の通った数日間だった。

その後もお姉ちゃんの生き様に想いを馳せた。

3人のこどもたちが口を揃えて言った言葉の重み。人のこと思えるって大切なこと。すごいこと。昔本気で人を大切にできる人になりたいと思ってから、すごく難しいと気づいたから、これはわたしの人生のテーマのひとつ。お姉ちゃんは「人を大切にする人だった」。わたしも、こどもたちにそう思ってもらえるだろうか。ちょっと怖い。わたしはまだまだみたい。きっと到達点もないから、人を大切にできる人になりたいとあがきながら最期まで生きていきたい。

お姉ちゃんが亡くなって、数ヶ月経ったころ、ふと気づいたことがある。

≪そういえばわたし、最期まで生きるのが大変って、思わなくなってる≫

ああ。お姉ちゃんが守ってくれてるんだ。

聞こえない声が聴こえる。

鳥の声と一緒に。

「小絵ちゃん、お手紙ありがとう。真心ありがとう。小絵ちゃんならできるよ。生き抜いて!」

鼻先がつんとして、肩が小さく震えた。

「うん。」

いないけどそこにいるお姉ちゃんに、わたしは返事をした。

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