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首を垂れるほどにあなたを想っていたのに


 道を歩いていると、生垣の椿が散って道に花を落としていた。その家の主は椿が好きなのだろう、濃いピンクや薄いピンク、白など、本当にたくさんの椿を咲かせていた。しかし、やがてはバラバラと椿は道端に頭を落として、人や車に踏まれてしまう。

 知らない間に、私も椿を踏んでしまっていた。白かった椿は私のピンヒールの跡がついて灰色になってしまっている。その椿の周りを見れば、踏まれたりして傷んだ椿がたくさんあった。私は、その周りの椿も踏みつけた。それと同時に、涙が頬を伝っていった。


 ついさっき、私は好きだった男性と別れた。本当に好きで好きで好きでたまらなくて、せっかく付き合っていたのに。お互い忙しくて会うことも少なくなり、そしてさっき電話がかかってきて、別れようと言われた。もうほとんど連絡も取っていなかったから、今更駄々を捏ねるわけにもいかなかった。すんなりと受け入れて、そのまま別れた。涙も何も、流さないように私は歩いていたのだ。

 本当に好きだった。初めての感情だった。不器用で話し下手な私を、彼はそっと受け入れてくれて、付き合えると分かった時はもう舞い上がっていた。これからの私の人生は、輝いて、明るくて、幸せなんだ、そう思えていたのに。どうして私は何も言えなかったのだろう。どうして「別れたくない」の一言くらい言えなかったのだろう。彼以上の人なんて、この先現れるかも分からないのに。

 彼の言葉は絶対だった。彼がスカートが好きだといったらスカートを履き、彼が黒くて長い髪が好きだといったら茶色く染めようとしていたのをやめて髪を伸ばし、ヒールのない靴が好きだといったら、ペタンコ靴やスニーカーを履くようにしていた。そうすることで彼に愛想がつかれないような気がしたし、彼の理想とする女性になれる気がしたのだ。でも、私がそうする度に、どこか寂しげな笑顔を浮かべていた。

 強がって、虚勢を張って。器用なフリを最後にしたかった。最後くらいは、不器用で泣き虫な私じゃなくて、強い女を演じたかったのかもしれない。なぜなら、彼はすぐに泣く女性はあまり好きじゃないといつだかいっていたからだ。


 本当は、ピンヒールが好きだった。本当は、ズボンが好きだった。本当は、茶色のショートカットの髪が好きだった。それでいて、泣き虫でどうしようもなかった。

 あんなに好きだったのに、私、本当の気持ちを出せていなかったんだ。

 落ちた椿を踏みつけながら思う。涙がボロボロ止まらない。彼は全てを見抜いていたんだ。本当は私が彼と真逆のものが好きなんだということに。それを見抜いていても、彼は決して私を突き放しはしなかったし、別れる時ですらも優しかった。嫌われたくない一心で、彼に首を垂れて、ひれ伏して。それだけ想っていたはずなのに、私の恋は終わりを告げた。でも、その恋は一体どちらから引導を渡していたのだろう。あんなに好きだったのに、私は告白する時以外本当の自分を彼に見せたことがなかった。


 こうして私の初恋は終わるんだ。苦しいほどに胸が高鳴っていた恋も、いつかは終わる。それが今なんだ。
 足元の椿はすっかり傷んでいる。椿に八つ当たりをしたって、何も起こらないのに。悪いことをしてしまったな。
 足元にまた椿が落ちる。薄いピンクの椿。私はそれを拾った。
 これが、私の初恋の形見。首を垂れてそのまま落ちては踏まれていく、私の恋の形見。

《了》

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