4歩歩いた先にコーヒーがある 6(下)
お姫様って、どういうことだろう。考えても考えても、わからないままだ。何か記念日だったのだろうか。いや、付き合って1年目とかそういう記念日ではない気がする。というよりも、予想できないことばかり起こっていて脳が処理できていない。非常に混乱している。
「お待たせ」
混乱する私に対し、巡さんが颯爽と帰ってきた。
「あっ、お、お帰り・・・」
「ただいま。じゃあ、行こうか」
そう言って巡さんは店のドアを開けた。そして、私に先に出るように促す。
「えっ」
「ほら、お姫様。どうぞ」
はっきりと言った、今。私をお姫様だって。本当に今私をお姫様だと言った。
驚きのあまり私が動けないでいると、
「ははっ。そんなところもかわいい」
そう言うと、巡さんは私を抱えた。本当にお姫様だっこをするように、ふわりと抱き上げたのだ。
「えっ?!ねえ、巡さん?」
驚きと恥ずかしさで思わず声が大きくなる。しかし巡さんはそんな私を気にすることなく、
「ありがとうございました!」
巡さんはそうお店の人に挨拶をして店を出た。下ろしてくれるかと思いきや、車の座席に座るまで私は巡さんにお姫様だっこをされていた。
「え、ねえほんとに何?!どういうこと??」
戸惑う私に巡さんは
「さあね」
と、意地悪げに笑うだけだった。
しばらく車を走らせて、海岸沿いの綺麗なレストランへやってきた。日はすっかり落ちて、海の向こうで太陽が去ったのを空が悲しむような紫色をしていた。
私が海を見ていると、
「菫、冷えちゃうよ」
「う、うん」
「菫は、海も好きなんだね」
思えば巡さんと海に来ることなんてあまりなかったかもしれない。車で海岸線を通ることもあまり無かっただろう。私たちの住んでいる街は海から割と離れているから、自然と行っていなかったのだ。
「うん。花と同じくらい好きだよ」
「そっか。もう君と付き合って何ヶ月も経つ中で、君のことは沢山知っていったはずなのに。知らないこともあったんだな」
巡さんは私の方を優しく抱きながら言った。その声はどこか切なげだった。私がなにか言おうとすると、
「でもほんとに冷えちゃうから。入ろう」
巡さんは私をお店に入れた。少しだけ後ろを振り返ると、波が静かに揺れていた。
フレンチのレストランだったが、このレストランもめちゃくちゃ高級そうである。そもそも私はレストランなんて行ったことがない。ホテルのバイキングが限界だ。しかもなんか高級な味がする。少なくとも私が食べたことのない味だった。
食事を終えて海辺のテラスで二人きりでいるときだった。
「ねえ、巡さん」
「何?」
「そろそろ教えてよ」
食事中も、どうしたのか聞いてもまだ内緒、と交わされてしまっていた。さすがに聞けないまま終わるのは嫌だった。
「何が?」
「だから、どうしてこんなことをしてるのかってこと」
すると、巡さんはああと言ってお店の人を呼んだ。そして、何か耳打ちをすると私の方を見て、
「そろそろ言ってもいいかな」
巡さんがそう言った後、お店の人が戻ってきて何か紙袋を渡した。そしてそれを受け取ると、そのまま紙袋を私に渡して、
「開けてみて」
と、優しく言った。何のことかわからず紙袋の中の箱を開けると、
「・・・リングのネックレス?」
でもどうしてこれを?そう思ったときだった。
「今日、誕生日でしょ、菫の」
それを言われて全てを思い出した。そうだ、今日は誕生日だ。最近いろいろ仕事が忙しかったりで誕生日どころではなかったし、何より巡さんとも誕生日の話をしていなかったのですっかり忘れていた。
「あ、もしかして・・・」
「やっと思い出した?」
巡さんは立ち上がって私の隣に立った。私は巡さんの方に身体を向けた。私のネックレスを手に取るとそれをゆっくりと私の首にかける。それが終わると、私の手を暖かく握った。
「Happy birthday dear my princess.」
巡さんはアメリカ育ちの流れるような英語で言うと、にこっと笑って、
「菫、お誕生日おめでとう」
その言葉を聞いたとき、涙があふれた。本当に彼が愛おしくてたまらない。私みたいないつまでも子供な人間を女として扱ってくれて、エスコートしてくれて。たまに無邪気な子供のようにはしゃいで。悩んでいたら常に隣にいてくれる。
そんな巡さんが、本当に、本当に大好きなんだ。
私は思わず巡さんに抱きついた。おお、と巡さんは笑い、
「嬉しかった?」
「うん。うん・・・!本当に、本当に嬉しい」
巡さんは私をゆっくりと離すと、ネクタイを緩め、ワイシャツの首元のボタンを開けた。そして、
「これ、俺とおそろいのなんだよ」
その言葉を聞いて、また私は巡さんに抱きついた。目からは涙が止まらなかった。思えばおそろいのアクセサリーなんて持っていなかった。ずっとほしいとは思っていたけど、大人っぽい巡さんが持っててはずかしくなっちゃわないのかなと思ってしまいそのままでいたのだ。
「巡さん」
「ん?」
「ありがとう。本当に、ありがとう」
「こちらこそ。いつも菫のお陰で心が安らぐよ」
巡さんは優しく背中をさする。巡さんの温かい手の感触が伝わってきた。
「君に気づかれないようにいろいろ手配するのがなかなか大変だったけど、こんなに喜んでもらえて嬉しいよ」
巡さんはそう言うと、私にそっと口づけをした。
「愛しているよ、菫」
月明かりに照らされるテラスで、私たちはもう一度口づけを交わした。
波が静かに浜辺に打ち寄せる。街の喧騒も、車の通る音ですらも全てを洗い流すように。
私の人生で最高の誕生日になったな・・・。幸せをかみしめながら、
「私も、愛してるよ」
と、巡さんに身を預けながら言った。巡さんは後ろから抱きしめながら、ゆっくりと頭をさすった。
世界にはまるで私と巡さんの2人だけしかいなくなってしまったかのような、美しくて静かな時間。この時間が永遠だったらいいのに。このまま時が止まってしまえば良いのに。
そんな思いを運ぶかのように静かに、夜が更けていった。
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