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小説 花の意志 第4話 a. 狂愛

廃都市の果て。
此れより先は大量の灰色の砂が一面を覆い、建物も極端に少なくなっている。
昔はそれなりに建物が建っていたのだろうけれど、風化し、砂と化したのだ。

そんな光景を見ながら師匠とふたり、崩れた壁を背にして座っていた。恐らく元は家の壁だったのだろうけれど、もはや座高ぐらいの高さにまで崩壊し、うっすらと間取りを浮かび上がらせる程度だった。
彼女の顔色は悪く、少年と対峙していた時の余裕や威厳は消え去っていた。

暫くの沈黙の後、彼女は深い溜め息をつき、呟いた。
「あの子……お節介なんだから」
ルカの事だろう。ふたりは付き合いが長そうだった。
「あなたも巻き込んでしまって申し訳ない」
今度はわたしの方を見て言った。
「いえ……わたしは助けてもらった身ですので……」
彼女はふふっと笑い、視線を真っ直ぐに戻した。その瞳は昏い。
「……撃てなかった。脚だけでも、撃たなければならなかったのに」
彼女はそう言って、義手の左手を額に当てた。額には脂汗が滲んでいる。
「あの人は一体……」
わたしが訊くと、彼女は苦笑いをして言った。
「あの人は……私の夫なんだ。……あの人が、私の左腕を斬り落とした」
わたしは絶句した。愛する人が傷つける、その狂気に。
「……どうして」
わたしは無意識に呟いてしまっていた。
彼女は、自分自身でも整理するように、ひとつひとつ話し出した。感情の起伏なく、淡々と――。


私達は18歳の時に、国の運営するシステムで出逢った。
この国では18歳になると、国民はすべてそのシステムに登録され、男女のマッチングが行われる。花の侵食に対して、人間という種を存続させる為の対策だそうだ。
そう聞くとゾッとするような嫌悪感を覚えるが、そのマッチング性能は異常に高く、実際、殆どの人がお互いに魅力を感じ、惹かれ合った。私達もそうだった。それは幸せな事かも知れなかった。
そうして私達は、毎年のように子供を産んだ。子供は生まれて間もなく、養育の専門機関に引き取られていったから、私達はずっとお互いだけを愛し続けた。
だけど時間が経つにつれ、その環境のせいか、異常に性能の高いシステムの弊害か――と私は考えているが、お互いを想う愛情は歪み始め、人間の、より本能的な欲望が顕現し始めた。
あの人には、その残虐性が強く現れたのだ。

――僕は、君のすべてを喰らい尽くしたいんだ。身体の奥も、心の底も、心臓の裏までも――

本当なら恐ろしい事なのに、どうして彼が言うとそれは甘美に聞こえるのだろうか。
私は洗脳されているのか、もしくは薬漬けにでもされているのか。
それともこれこそが、私が本能的に持つ欲望なのか。

――まずは、その美しい左脚が欲しい――

そう言って彼は、白く美しい太刀を抜いた。
振り下ろされる直前まで、私は何を考えていたのか覚えていない。
彼が太刀を振り下ろしたその瞬間、私は咄嗟に脚を庇い、代わりに左腕を失った。
私はそのまま彼から逃れ、国のシステムも、自分さえも信じられなくなって、下界へ逃げた。


「2年ぶりにあの人を見た。身体が震えた。だから引き金が引けなかった。これは恐怖なのか……それとも歓喜か」
――歓喜?そう思った瞬間、彼女を肩の上から抱き締める両の腕が見えた。
背にしていた低い壁越しに、あの太刀を持っていた男が後ろからしっかりと彼女を捕らえ、耳元で囁く。
「僕の足音には気づいていただろう?逃げなかったという事は、帰る気になった?」
そう言うと男は、有無を言わさず彼女の首を右腕で締め上げ、気絶させた。
一瞬の出来事だった。

男は、気絶した彼女を愛おしそうに抱いたまま言った。
「君は何人もの人を殺している。罪人だよ。僕は狂った言葉を吐いたかも知れないが、殺してはいない。君には罪を償ってもらわなくては」
そう言って、彼女の下唇を親指でなぞり、そのまま指を口の中へ入れる。その行為はどことなく妖艶で、彼女の死を連想させた。
わたしは男の右腕に、両手で思い切り爪を立てて引き剥がそうとした。
「この人をこれ以上傷つけないで!」
だってわたしは、彼女に助けられたのだから。彼女があの男を撃ち殺してくれなければ、わたしは死んでいたのだから。
男は冷たい視線をこちらに向けて言った。
「傷付けているんじゃない。僕は彼女を間違いなく愛している。どうしようもない程に。君にはわからない話だよ」
男はわたしの頬を左の手の甲で思い切り引っ叩いた。その勢いで男の腕を放し、地面に倒れ込む。
「君はよくも僕の前から彼女を連れ去ってくれたね。憎まれて当然だと思わないか?」
そう言って男は、彼女のコートの内側から拳銃を取り出した。銃口をわたしに向ける。その無駄の無い動作と真っ直ぐな視線は、何の躊躇いもなくわたしを殺すつもりだと直感した。
わたしに成す術は無く、両肘で顔面を護るようにして頭を抱え、ただただ身を縮めた。
銃声が聞こえると共に、足が吹き飛んだと思う程の激痛が走る。
絶叫を聞いた。喉から絞り出すような叫びを。それが自分の声だと判るのが遅れたほど恐ろしい叫びだった。
撃たれた足を両手で押さえる。生温かい血液が次々と溢れ出してくるのが見なくてもわかった。
男は穏やかな口調で言った。
「心配しなくていい。僕は救助隊の人間だ。すぐに別の隊員を手配するよ」
わたしを撃ったくせに救助隊を手配する、その矛盾が理解できなかった。
「助けるなら、どうして撃ったの!?」
わたしは泣き叫んでいた。
決して殺されたかった訳ではないけれども、その理不尽さに何か言わなければ気が済まなかった。

男は答えないまま彼女を両腕で抱き上げ、立ち去ろうとしていた。
この人にとってはわたしなど何の価値もない、虫けら同然の存在なのだろう。悔しさと絶望で涙が零れた。
男は踵を返した。しかし束の間静止し、肩越しにわたしを見下ろして言った。
「人間は本来、残虐で暴力的な生き物だ。僕は、その本能に従って生きることに決めたんだ。花にはなりたくないからね。ただ、人間の数が減るのは不本意なだけだよ」
そう言って、男は歩き出した。

遠ざかる男の後ろ姿を見つめる視界がぼやける。
そのまま何も見えなくなり、わたしは、血が流れる足を両手で強く押さえながら、ひたすら救助隊を待った。薄れゆく意識を手放さないように、奥歯を強く噛み締めながら。その時間はとても長く感じた。

どれほどの時間が経っただろう。
意識を失ったかも知れない。
耳元で声が聞こえる。
それはまるで雑踏の中で話しているかの様に、風の音に紛れて聞き取りづらい声だった。

――憐れな人間たち。個の意志が強すぎてお互いを潰し合う。ただ己が生きることのみに専念すればいいのに――

誰?何の話をしているの?

――ひとつになりましょう。永遠に平穏に生きる為に――

何も見えなかったはずの目に、わたしを見下ろす巨大な花が見えた。

-- END --


(↓番外編として創作)


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