魔法野菜キャビッチ3・キャビッチと伝説の魔女 70
「それで、このあとどうするの?」母が祖母にきいた。「妖精があらわれるまでずっとここで待つつもり?」
「いいえ」祖母は肩をすくめた。「どうやら粉送りたち、もうこの森の中にはいないようだから、場所を変えるわ。でもせっかくだから、ひとつやっておきたいことがあるの」そう言って祖母は、肩からななめにかけてある小さなバッグの口をあけ、中をのぞきこんだ。
ハピアンフェルがその近くに、ふわりと降り立つ。
「出ているわ」祖母がそっと言い、ハピアンフェルを見てにこりと笑う。
「そうね。出ているわ」ハピアンフェルも祖母を見上げてふわりとまたたく。
「なにが?」私は少し首をのばしてバッグの口の中をのぞこうとしたけれど、あまりよく見えずにいた。
「うふふ」祖母はそんな私を見てまた笑い、バッグの口を大きくひらいて私の方へさし出した。
「あっ」私は目を見ひらいた。
バッグの中にはなんと、土がこんもりとつめられており、その土のまんなかあたりから、黄緑色の小さな芽――五ミリくらいの葉っぱの赤ちゃんが二枚、ちょこんと顔を出していたのだ。
「これ……なに? キャビッチ?」そうききながらも私は、それがキャビッチの芽ではないことに気づいていた。形がまったくちがう。
「残念」思ったとおり祖母は首をふった。「これは、ツィックルよ」
「ツィックル――」私は声をうしなった。
「ええっ」ユエホワも、私の背後から肩ごしにおどろきの声をあげた。
「そう。ここに来る前に私の畑の土に種をひとつだけまいて、来る間ハピアンフェルに管理してもらっていたの」祖母はうなずく。「フュロワ神の力にふれたおかげもあって、さっそく芽吹きはじめたわ。いい感じ。どこか広いところに植えかえてあげたいのだけど」あたりを見回す。
「でもこの森の中で、ツィックルが育つ?」母は眉をひそめながら、足もとの土をつま先で少しけずる。「こんなかさかさの土で」
「そこは神に祈るのよ」祖母はウインクする。「せっかくこんな異世界まではるばる手伝いにきてあげたんだから、何かひとつぐらいこちらに、誠意を見せてもらってもいいと思うの」
それは――
私は心のなかにうかんだ言葉を口に出すことができずにいた。
「それって祈りじゃなくて、脅しっていうんじゃないの?」母ははっきりと口に出した。「神さまがかわいそうよ」
「あら、そうかしら」祖母と母はそんなことを言い合いながらも、ならんで歩きはじめた。私たちもつづく。
しばらく行くと、少しだけ広くなっている空間に出た。木々がとぎれ、家が二、三件入るぐらいの、まるいかたちの広場になっている――そしてなだらかな坂になっていて、広場のまん中が平らな底になっている。
「ここは池だったのでしょうね」祖母がその坂のとちゅうにたたずんで言う。「池の水が枯れてしまったものでしょう」
「え」私も立ち止まってまわりを見回した。
「妖精か」私のうしろでユエホワが腕組みをしてつぶやく。
「この広さだと水の量も相当なものだったろう」そのとなりで父が首をふる。「すごいな、妖精の力というのは」
「ここにするの?」母は、いちばん先頭にたって元の池の底ちかくまで進んでいたが、くるりとふり向いて祖母にきいた。「ツィックルを植えかえる場所」
「そうねえ」祖母はくるりとまわりを見回して少し考え「ハピアンフェル、どう思う?」と肩掛けバッグに向かってきいた。
バッグの口からふわりと小さな光が飛び出してきて「そうね、ここならのびのびと枝が伸ばせて気持ちよく育つと思うわ」と答えた。
「それじゃあ、ここにしましょう」祖母はそういって、母の立つ元の池の底にまでおりてゆき、バッグを肩からはずした。
「土は?」母が首をかしげる。「そのまま植えちゃうの?」
「だいじょうぶ」祖母はなぜか自信たっぷりにうなずき、バッグを地面におくとその中に両手をさし入れて、中の土ごとツィックルの小さな芽をすくい上げた。「これをね」そういいながら、両手をそっと下へおろし、注意深くその土をかわいた地面の上にそっと置いた。
ツィックルの芽はいきなりときはなたれた大きな世界の中で、今にも消えてしまいそうなほどに小さくたよりなく見えた。
「さて」祖母はすっくと立ち上がり、それから右手を空高くさし上げた。「水がめの神ギュンテよ、ここに雨を降らせたまえ」空に向かってさけぶ。
「えっ」私は目をまるくした。
「まさか」ユエホワもおどろきの声をあげた。
皆が見上げる青い空の中に、ふっと音もなく、白い雲が現れた。
そこからさあっと、とても柔らかい、霧のような雨が、私たちの立つ地面の上にふりそそぎはじめたのだ。
水がめの神、ギュンテ。
私はその神の名を知っていた。
なぜなら、前に会ったことがあるからだ。
菜園界の神フュロワといっしょに。
「ギュンテ?」私はぼう然とその名を呼んだ。「どうして?」
「まじで?」ユエホワがうたがうような声でだれにともなくきく。「なんで?」
「おう」その声は雲の上から聞こえ、そしてなつかしい水がめの神、赤くて短い髪の若い男の人の顔が、ひょっこりとのぞいた。「ひさしぶりだな」
「あら」こんどは祖母が目をまるくして私とユエホワを見た。「あななたち、知り合いだったの? まあ」
「おお」父がまた感動する。「すごい。すばらしい」
「おばあちゃんこそ、なんで知ってるの? ギュンテのこと」私は雲の上の神さまと祖母を交互に見ながらきいた。
「フュロワ神から教えてもらったのよ」祖母はふりそそぐやわらかい雨のなかに手をさしのべ、その美しいセレアの水を受けとめながら答えた。「ギュンテ神も地母神界へ水を与えるためにやってくるはずだから、ツィックルを植えるときに力を貸して欲しいと頼みなさい、と」
「すでに交渉済みだったってわけね」母が肩をすくめる。「さすが母さん、しっかりしてるわ」
「でもポピーまでギュンテ神と知り合いだったなんて驚いたわ」祖母は笑う。「鬼魔にも友だちがいて、神さまとも知り合いなんて、うらやましいわ」
「ポピー」ギュンテが雲の上から私を呼んだ。「元気にしてたか?」にこっと笑う。
「うん」私もその笑顔を見てやっと(というのか)うれしくなり、にっこりと笑った。「すごく元気!」
「キャビッチ投げも、強くなったんだろ」ギュンテがまた笑う。「そっちの悪たれムートゥー類に負けないぐらい」
「うん!」私もまた笑ってうなずく。「いっぱい技、覚えたよ」
「だれが悪たれムートゥー類だよ」ユエホワが低い声で文句をいう。
「よし」ギュンテはそういったかと思うと雲の上からひらりと飛び降りてきた。彼の腕には、以前に会ったときと同じく水がめが抱えられていた。
ギュンテがいなくなったあとも、彼が乗っていた雲はかわらず雨を降らせつづけていた。
「見て」祖母が感動に声をふるわせる。「みるみる成長していくわ」
祖母が見おろすその場所――ツィックルの芽が出ていた土のあるところを見ると、なんとそこには、五十センチほどの高さの小さな細木が生えていた。
「ええっ」私はおどろいた。「これ、あのツィックル?」
「そうよ」祖母がうきうきとした声で答える。「すばらしいわ。さすがは神の水ね」
「えへへ」ギュンテは赤くて短い髪に手を当て、照れたように笑った。「小一時間ぐらいで、この五十倍ぐらいにまで成長すると思うぜ。そうなったらもう、ツィッカマハドゥルもじゅうぶん通用するだろ」
「ええっ」私はまたおどろいた。「そんな短い時間で、そんなに成長するの?」
「すばらしいわ」祖母は両手を組み合わせて大よろこびした。「さすがは神の水ね」
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