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「楽しい」と思う気持ちが自らを「癒す」

「辛いことがあっても前を向こう」「小さいことにくよくよするな」「もっと頑張れ」

こんな言葉を幼い頃から言われてきたし、たぶん自分も他人を励ますために何度となく言ってきた

そう、それは事実だし、そうしたらきっと未来は拓ける

そんな事、自分でもわかっている

出来ない自分に言い訳して、甘やかして、逃げてばかりじゃ何も始まらないし、成長しない

ただ

「辛い」「悲しい」「怖い」という感情を抱かない人間なんていない

そのインパクトや衝撃の度合いに個人差があるし、それをどう消化してどう対処するのか?は、他人の尺度を当てはめるのは無理がある

「これ位は出来るだろう」という予測や「これ位やって欲しい」という願望で基準が作られているのが社会という事も理解する

そして私自身、ほとんどの人の元々の能力なんて大差ないと思っている

その「能力」に対して心の知能指数(自己や他者の感情を知覚し、また自分の感情をコントロールする知能)が認知され重要視されてきている

接客業に長らく携わってきた私にとって、コミュニケーション能力は必要不可欠な「能力」だった

対人の仕事である接客業をするには、自分の感情を横に置いて、お客様の感情に敏感にならなければ、やっていけない

いろんな失敗や成功の経験をして、いろんな表現方法を学んだり試してみたりしながら技術を身に付けて培った「能力」

だけれど、それは仕事で必要な「能力」で、まったく自分自身の感情が無くなった訳じゃない

だからこそ仕事から離れたプライベートでは、「素直な自分」で居たかった

好きな事を好きと言いたい、楽しい事を楽しいと思いたい、嫌な事を嫌と言いたい、怖い事を避けたい

そんな願望が在りながら、立場を考えてそんな自分の感情を押し殺し見失っていた

そしてそれに耐えられなくなって、私は鬱になった

思考が止まり、身体が鉛のように重く動かせない

食欲も無く、眠る事さえ出来ない

意思も意欲も無く、ただ「もう何も出来ない」「辛い」という感情しかなかった

そして、献立を考えようとして過呼吸になったり、自動洗濯機の操作方法が複雑すぎて出来ないと感じる、今まで当たり前に出来た事が出来ない自分が怖かった

半年ほどの服薬で睡眠がとれるようになって、少しづつ動けるようになった時、「やらなきゃ」と思う事に対しては過呼吸になったりして出来ないのに、「楽しい」と思う事が出来る状態だった

これが、正常な人には理解出来ない、心の病になった人しかわからない部分だと思う

私だって正常な精神の時には理解出来なかった

「嫌だ」とか「怖い」とかマイナスな感情を抱いている訳でも無く、ただの日常の作業で「やりたくない」と思っている訳でも無いのに、出来ない

思考が止まり、意識が飛んでいく離人症状になって、動けない

無理やりでもやろうとすると、過呼吸になる

なのにちょっとした自分にとって「楽しい」事、何か飲みたい、食べたい、お風呂に入りたい、なんて動作は難なく出来る

「なんて現金な」と自分自身が思うけれど、どうしようもなかった

そして「ああ、これが病気なんだ」と実感したし、冒頭の人への励ますつもりの言葉がどれだけ人にプレッシャーを与え、暴力的な発言だったのかを知った

その頃見つけたブログとの出会いが楽しくて、夢中で書いていたらどんどん身体が軽くなって日常の作業も出来るようになっていった


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