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大変よく頑張りました!(台湾2年目突入)

2022年9月21日。桃園国際空港に着くやいなやタクシーにぶちこまれ、ホテルに10日間幽閉され、10月2日に解放された(ただの隔離)

対面授業が始まり、グループミーティングの度に周りの英語力と比較して毎日へこんでいた10月。

「Freshman1週間目の課題の量じゃないだろ!」と毎日愚痴っていた10月。

周りより台湾到着が遅かったせいで対面に参加した時には既にグループが出来上がっていて、なんとなくアウェイだった10月。

8時から20時まで授業だった1学期。

友達を作るためにPEで配った寶可夢飴玉

あれから1年が経ったなんて信じられない。昨日のことのように思い出せるのに。
この1年間、人種も国も違う人たちとたくさん出会って色々な経験をした。
台湾人と言い合いになったり差別されたり、嫌なことも沢山あったけど、その分強くなった気がする。

日式拉麵食べに行った日


死んでた2学期


この1年で1番辛かったのはやっぱり、家族との死別。
あれから半年以上経っても考えない日はない。
台湾に来て本当に正解だったのか?
自分が日本に残ってたらお見舞いに行けたのに。
「葵に会えなかったことが心残り」なんて、思わせなくて済んだのに。

出会いが多かった分、別れも多かった1年だった。
素直に辛いって打ち明けられるくらい仲が良かった友達は自国に帰ってしまったし、5年くらい付き合ってた彼氏とも別れた。

2学期、お葬式の次の日に台湾に帰ってきて、気持ちが切り替えられてないまま授業に出て、課題をこなして…って感じで。
表面上はうまく取り繕ってたけど、「大学辞めたいな、帰りたいな、辛いな」ってずっと思ってた。心が死んでた。

朝起きられなくなって、ベッドから動けなくなって、何食べても全然美味しくなくて、好きな音楽も雑音にしか聞こえなくてうるさかった。
辛いって言える人がいなくなったのが1番苦しかった。

そんな暗黒の2学期だったけど、沢山の人が誕生日を祝ってくれたり、日本から彼氏や友達が遊びにきてくれたりして、周りに支えてもらってなんとか6月まで乗り切れた。

23歳の誕生日


1年を振り返って

台湾での1年を振り返って分かったことがある。
私には、「どこに行っても絶対良い人に出会える」才能がある。
母にも小学生の時に「あんたはいつも良い人たちに囲まれてるね」って言われたことがあるけど、台湾に来て確信した。国も言語も違うのにこんなに優しい人たちに出会えるのって、絶対才能。

ジムで出会ったインドネシアの人は1回しか会ったことなかったのに、誕生日にケーキを買って来てお祝いしてくれた。
学部の先輩はテスト前に日本語の手紙をくれたし、初めてできた友達は銀行口座を作る時にわざわざ着いて来てくれた。初めてのテストの時は、自分が理解できるまで勉強に付き合ってくれた人たちもいた。
理数科目が苦手な私のために、経済と統計学の問題を根気強く教えてくれる友達もいる。

台湾人の先輩がくれた手紙。壁に貼ってモチベにしてた。

感謝してもしきれないくらい、周りの人に助けてもらって過ごした1年だった。

夏休みの2ヶ月間リゾバした箱根でもご縁に恵まれて、毎日が楽しくて仕方なかった。出会えたお客様も従業員も優しい方々で、「中国語と英語話せて良かった、台湾に行って良かった」って心から思えた。

沖縄でもアメリカでも台湾でも箱根でも、「こんな人になりたい!」って思わせてくれる素敵な人たちに囲まれて、私とっっっっっても幸せです。
この1年支えてくれた周りの人と、乗り越えてくれた私、ありがとう〜!
残りの2年半も頑張ります!

1番仲が良い3人
十份。みんな国籍違う
箱根で出会った人たち。大好き( ;  ; )
「葵が箱根いるから」って理由で沖縄から来てくれた友達。すき。

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