オリンピックの記憶

「記憶にある、最初のオリンピックの思い出を教えてください」

 多くの選手がちょっと首をかしげる。最初の思い出は、意外とすぐには出てこないようだ。

 カール・ルイス、ボルト、円谷幸吉、アベベ。年代によってその答えは全く異なる。
 
 私にとっての初めてのオリンピックの思い出は、なぜか大会ではない。
 小学6年生の夏休み、ロサンジェルスに語学留学をした。なぜ両親が小学生をアメリカに送ろうという突拍子もないことを思いついたのか、なぜ参加しようと思ったのかあまり定かではない。

 海外への興味。未知の世界への期待。
 その程度だったのではないかと思う。

 語学留学の場所は南カリフォルニア大学で、夏休み中に学生たちが帰省して空いている学生寮に泊まり、カフェテリアで食事を食べ、英語のクラスを受けた。
 到着2日目。時差ぼけの中で英語のクラス分けがあり、午後には敷地内を見学した。
 1984年ロス五輪の開会式、閉会式、陸上競技が行われた場所(当時はすでにアメフト場として改装されていた)やサブトラックなどを見て回った。陸上競技場だった場所「コロセウム」の前には、ロス五輪を象徴する記念碑や銅像が立っていた。
 気温30度を超える炎天下、できたばかりの友達とおしゃべりに興じて、ほとんど説明を聞いていなかったけれど、ブロンズ像があったのはおぼろげながら覚えている。
 学内のストアで買った毒々しい色の謎の味のジュース、キャンパスが恐ろしいほど広く、暑さでウンザリしたこと、時差ぼけで鼻血を出したこと。そんなくだらないことはよく覚えている。
 
 夏休み明けの9月、お隣の韓国でソウル五輪が行われた。時差がなかったこともあり、授業中に先生がテレビで男子100mを見せてくれた。

 ベン・ジョンソンとカール・ルイス。
「どちらが勝つと思うか」

 先生はクラスに問いかけ、皆それぞれ応援する選手の名を口にした。
 カール・ルイスが好きだったけれど、なんとなくベン・ジョンソンが勝ちそうだ、と心の中で思っていた。目のギラつきがほかの選手と違った。
 残念ながら、予想通りベン・ジョンソンが金メダルをとった。
 ルイスは2位だった。
 ゴール後、とても悔しそうな表情をしていた。
 
 小学生の生活範囲は狭い。家と学校の往復で、自分に関わることの多くは身近なことに起因している。自分の手の届かないことに対して強く願ったり、祈ったりすることは、小学生の生活には遠い出来事だ。
 ルイスの敗北は、遠い海外で起きた出来事で、自分の応援が届くわけもなく、でもなぜか応援が届いていると思い、そしてなぜか自分も負けたような空虚な気持ちになった。夏休みにロスに行き、ルイスが走った場所をみたことで親近感を持っていたのだろう。

 ロス五輪のコロセウム前にあった例の銅像は、ずっとカール・ルイスの走っている銅像だと思っていた。

 最近、ネットで検索したら、首から下の銅像が2体ーおそらく男女のものーが並んで立っていた。
 カール・ルイスだとずっと思い込んでいたので、みまちがいだと思ったけれど、そっちが本物だった。
 オリンピックの思い出。
 一人ひとりにストーリーがあるけれど、私の思い出はちょっと情けなく、ちょっとほろ苦い。
 
 
  

 

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