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No.549 バズりたいけど、バズりたくないけど、バズりたい

バズったことがない、フリーライターのaoikaraです。

SNSのフォロワー数やいいね数を戦闘力だと思ったことはないし、数を積極的に増やすために何かしようと日常生活がおろそかになることはない。それは絶対にないと言える。

でも、「全然気にしてないか」と言われると、「それはちょっと違うかも」とは思う。数だけを基準にはしないけど、SNSで発信しているわけだし、ちょっとは気になる。

予想外に「いいね」の数が増えると自分で驚くし、多くの人に共感してもらえたみたいでうれしくなる。

それとは逆に、自分には刺さったことを発信してみても、凪のような景色だけが見え続けて「ああ、そっか、他の人には刺さらないのか」と少し寂しくなるときもある。伝え方が悪かったのか、そもそも着眼点が悪かったのか、わかりづらかったのか。「全然気にならない、私は私だ」と思うときもあるんだけど。

この前やっていたテレビ千鳥のいい言葉選手権で、「声が世に出ない」ってフレーズがあったけど、比喩的な意味で「ああ、わかるなぁ」と思ってしまった。刺さらない、響かない、届かない、「声が世に出ない」、まさにそれ。


SNSで発信してるけど、バズったことは一度もない。でも、「バズりたい」と思ったことは一度じゃなくて、もっとある。狙ったこともある。バズったことがないので、全て空振り。三振なんてもんじゃない。

でもな、何が何でもバズりたい!!!ってわけじゃないんだよな、とも思う。私が書きたいことを書いて、それが何か届く人には届いて、それが1人でもいたらそれで十分じゃん、って気持ちもある。本当に。

バズるのが怖いなとも思う。自分とは何も関係ないところの大勢の人たちが私の言動を認知してるって、何か怖い。今でさえ何を言うか、言わないでおこうかとびくびくしてるのに、影響力なんか持っちゃったらもう全然無理。何も言えない、とか思っちゃう。


でもな、待てよ、と。バズってもないのに、何言っちゃってんのと自分にツッコミたくなる。バズった人が「バズるより、どこかの誰か一人でも届くものを書きたいよね」とか「影響力持っちゃうと怖いよね」とか言うなら経験してるからわかるけど、なーんにも経験してない私が言うのって何だ?

ってなると、たぶんバズれないから、バズれない自分を正当化するために「バズらなくてもいい」理由を挙げているだけなのかなと思ったりもして。その理由だって本当の気持ちではあるんだけど、じゃあバズるために何かやってるのかと言われた、別に何もやってない。

空から振ってきたみたいに、自分の自然な発言が大勢の人に響いたらいいな、と心のどこかで願っちゃってるわけ。それって、めちゃくちゃ自分を2特別な人”だと思っちゃってるよな。何なら「バズりたい!」と高らかに言ってる人より自意識強いぞ。

素振りの練習もしないで、ピッチングマシーンも使わないで、練習もしないで、練習試合もしないで、ただバット持って振ったらホームラン打てたらいいなってやってたら、そりゃいつだって空振りするよね。私ってそういうことなのよ。


だからバズりたいけど、(全然バズらないからそこにも価値があると思いたいし、実際に思うし、バズることによるデメリットだってあるから)バズりたくないけど、(でも発信を続けてるってことは)バズりたいんだろうなって、思う。

でもな、バズるってことだけじゃなくて、いろんなことに関して「忙しいから」とか言い訳して、「そうじゃない人生もいい」って折り合いをつけてるんだよね。それも悪いことじゃないんだけど。

でも、自分が本当にしておきたいことだったら、せめて素振りはしておかないとなと思う今日。なんで、今日から間食は控えます。え、ダイエットの話だったっけ?

2020年6月20日(土)

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