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No.554 「小さな違和感」と思いたいのかもしれない

“違和感”の後にどの動詞を付けようか迷う、フリーライターのaoikaraです。

ライターらしい悩みですね。「違和感を感じる」って「感」が続いていてなんか違うかな~と思っちゃう。まさに違和感。だから「違和感を覚える」「違和感を抱く」って書くかな。調べたら「違和感がある」「違和感が生じる」もあるのね。


違和感、見つけたらどうしてるだろう。大きな違和感だったら、「ちょっと待てよ」と立ち止まって、じっくり眺めて「これは違う」と判断できる。

でも、小さな違和感だと、見過ごしちゃうことが多いかもしれない。「ん?」と心が揺れたけど、すぐに落ち着かせられる揺れ。だから、「ま、そういうこともあるか」と揺れを落ち着かせて、流してしまう。

流しておきたい、のかもしれない。違和感を見逃しておいた方が、自分にとって知らなくていいことを知らずに済む。知ってしまうより、知らない方がいい。

あとは、自分には「それは違う」と違和感を断定する強さがないから、という理由もある。小さな違和感がたくさんあったはずなのに、そう見てしまう自分が意地悪なんじゃないか。自分を正当化しようとしてるんじゃないか。「自分が正しい」と自信を持って言えない。

あくまで、私が感じる個人的なこと。かつ、“私の感覚”とやらは、よく世間や社会や人とズレてるから、「私がおかしいのかな」って思ってしまう。

でも、小さな違和感がたまりにたまって、ある日気づく。「いや、これおかしい。全部おかしい」って。その頃にはとんでもなく大きな違和感になっていて、もう耐えられなくなる。結局、違和感もろともいろんなものを手放す選択をする。

全てのことが終わってから、人に当時の「小さな違和感」を話すと、「大きな違和感」だと驚かれる。

あー、そっか。私が「小さな違和感だ」って思いたかったのかも。違和感に気づかない方が、たぶん幸せだなって思ってたから。今考えると、「いやおかしくない?」って小さな違和感がたくさんある。


だから今は、違和感があったときには人に話してみてる。話さないことで、隠していたことで、「それはおかしい」ということに気づかなかった反省を踏まえて。

そうすると、私が考えすぎているとか、逆にそれは大きなことだと指摘されることもある。誰かに委ねるのは、自分の目に、自分の正しさに自信がないからで。

それでも、今でも“小さな違和感”や“ちょっとした引っかかり”として、自分の中の違和感を矮小化しようとしてることに気づく。

私が気づかなければいっか、ってなる。その方がラクなんだよね。違和感をしっかり両目で見ると、耐えられないものに気づいちゃって、手放したくなるかもって怖い。でも、手放したくはないの。でものでも、結局大きな違和感になったら、手放すんだけど。


でものでものでも、私のことだから、「私がどう思ってるか」が一番大事なんじゃないかなと思う。また小さな違和感を誰かに委ねようとしたけど、その前にまずは「私がどう思っているのか」を整理してみよう。

「違和感」の正体と、「小さな」とつけてしまいたくなる理由と、探れば自分の本心があるはず。自分のことぐらい、自分で理解しなきゃね。

でも、自分の本心なんてものが一番ややこしくて理解できなかったりするんですよ。でもでも、理解しなきゃね。

結論、「でも」が多い。本心を隠そうとしてるな。本心、探そ。

2020年6月25日(木)

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