No.528 許されなくても仕方ないけど、生きていくことは許してほしい

フリーライターのaoikaraです。

中卒で、学校を何度もやめて、家で何か働ける方法はないかと2014年12月からウェブでライターの仕事を始めて、今まで続けてきた。書くことが好きで、なんとか続けられて、社会人として生きてこられた。

私の経歴において、否定的に感じる方がいるのも当然で、それはやるべきことをきちんとやってこなかった私の責任なので、嫌だなと思われても仕方ないと思う。

私がやり抜くことができない、を何度も繰り返したのは、誰かのせいではなくて自分のふがいなさだから誰も責めない。誰のせいでもなく、私のせいだと思っている。私のふがいなさで、当時たくさんの人に迷惑をかけてしまった。

それでも一生懸命に生きてきて、納税するとか保険料を払うとかして、なんとか社会の一員になれた。私の力というより、私を支えてくれた周囲の人や、こんな私でも信頼してくれた人のおかげと、運の良さだと思っている。たくさんの人に感謝したい。

でもつい自分がダメな人間だった、ということを忘れて、まるで自分が清廉潔白なような意識を持っていることがある。私が正しい、という意識で言葉を連ねていることがある。多々ある。

でも、違う。そんな立派な人間じゃないぞ、と。過去の経歴においてもだけど、ライターという仕事を始めてからもたくさん間違ってしまった。ライターを始めたばかりの頃は、やってはいけない間違いをやってしまった。

弁解をするなら、ルールを知らなかった。悪意は全くなかった。知らないことを悪いことだと思わずに、やってしまった。

犯罪とか社会のルールや規範を破ったわけではない。社会的にも問題な誹謗中傷に加担したわけでもない。ただライターとしては絶対にダメなこと。当時は本当に知らなかったけれど、今はわかる。だからこそ、今は二度としないようにしている。

だからといって、じゃあ法律を知らなかったから違反しても仕方なかったね、で許されるわけではないのと同じで、私の間違いも責められるべきで、許されないと言われても仕方ない。

そして、間違いをなかったことにしようとして、はっと我に返って自分に甘い自分に気持ち悪くなった。それもまた間違いだ。探せば私の間違いは出てくる。それを私は消さない。間違いをなかったことにはしたくない。私は間違えた人間だ。

間違いを犯した上で、未熟な状態でも受け入れてもらって、正しくあろうとして、きちんとルールを守ろうとして、続けてこられた。続けさせてもらっている。本当にありがたい。


私のライターとしての間違いを知って、信頼できないから仕事を発注したくないという方がいても、仕方ない。私が大切だと思っていても、離れていく人がいても仕方ない。軽蔑されて、批判を浴びるのも仕方ない。

どうしても「許せない」と思う人がいて、批判をしたり、罵倒したり、それがこれから先ずっと続いたりしても、許す許さないはその人が決めることだから、受け入れるしかないと思う。

第三者だとしたら、間違いを正す、指摘する“批判”はしても良いけど、個人の尊厳を蔑むような“侮辱”や“誹謗中傷”、“罵倒”は一線を越えてしまっているし、良くないと思う。

でも、もし私が責められる側になったら、責める人に「責めないで」と言う資格はないと思ってしまう。受け止めなければ、と思ってしまう。

他の人も受け入れなさいという意味では全くない。他の人については、「第三者だとしたら、」のくだりで書いているように、一線を越えた言葉は切り離して良いと思う。

自分が受け止めきれなくなって、もう二度と言葉が届かない場所へ逃げようとするかもしれない。私は、全てを受け入れる覚悟があるほど強くはない。自分に非があるとわかっているからこそ、自分への否定的なものは正当性があるとわかっているからこそ、恐ろしい。

こんな風に言うのはずるいとわかっている。まるで脅しのような言い分だから。本当は言いたくはない。でも、私は「全てを受け入れる覚悟があります」と言えるほど強くはないから、正直に書く。

それでも、今の私が何よりも怖いのは、自分が無になってしまうことだから、今のところはその選択肢はない。でも、もしずっとずっと責められ続けて、でも仕方ないことだからと受け入れ続けるのを想像しただけでも、「こんな場所にいたくない」という気持ちにはなってしまった。

私が笑うときも、楽しいときも、感動するときも、「間違ったくせに」と誰かから見張られていると思ったら、正当な鋭く突き刺す目線から逃げたくなるかもしれない。だから、わからない。

それはしたくない。みじめでも、みっともなくても、間違いを受け入れて、間違いと向き合って、もう同じことをしないように、生きていきたい。

“生きる”ではなく、自分の意思を持って“生きていきたい”と思う。生きていくために、社会で居場所の少ない私は、今の生き方や仕事をしたい。ライターでなんとか食べられるよう、生きていけるようにしたい。

ただ、私の間違いで人が離れて、私がしたい仕事をする場が奪われていくとしたら、それは私がまいた種だから仕方ない。やっぱりそれは仕方ない。

でも、そうなってからも、生きていくのだけは許してほしい。生きていくために何かすることがあっても許してほしい。許してくれとは言わない。許せないという気持ちは理解できるから、許されなくても仕方ないから、生きていくことは許してほしい。

今も思っているように、これからも、誰かを意図的に傷つけようとせず、私が生きにくいと感じるときもあるから誰かの生きやすい場所をちょっと作れたらと、大きな力はなくても自分と誰かのために生きていく。間違えないように、気をつけて。

2020年5月30日(土)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?