No.548 OOSDは何の略?

ダイゴと聞くと、「ウィッシュ!」でもなく、メンタリストでもなく、「クセがすごい!」を思い浮かべる、フリーライターのaoikaraです。

「(夜中皆が寝静まった頃)ジープに紐くくりつけて松の木引き抜く夫(男かも?)」もいいですね。千鳥の面白さに気づいたとき「大人になったなぁ」と思ったなぁ。年齢関係ないか。

さて、今回は別のダイゴさんことDAIGOさん(「ウィッシュ!」)の真似をして、DAI語のタイトル。

最近、私は「OOSD」状態になりました。さて、何の略でしょうか?

正解は…

オンリーワンソーシャルディスタンスONLY ONE SOCIAL DISTANCE)」


ユニクロのエアリズムマスクを求めて並ぶ人を見て、「日本人って並ぶよなぁ」と思った。いや、これは偏見か。他の国にも並びたい人はいるだろうし、日本人でも「並ぶのは嫌!」って人もたくさんいるもんね。並んでもいいよって人が日本には多そう、という表現でどうでしょう。

かくいう私も、この前久しぶりに外に出て、並ばなければならない機会があった。私は「並ぶのは絶対に嫌!」ってほどではなくて、「並ぶのなんて全然平気」ってほどでもなくて、並ぶのは苦にならないけど好きではない、くらい。でも並ぶ必要があったから、並んだ。

久しぶりに外に出るからね、人が並んでいるってだけでも「密だ~」って思っちゃう。ぎゅうぎゅうに並んでいるわけじゃないけど、普段の距離感ぐらいに感じる近さ。「あれ、近くない?」って思っちゃった。

足元を見ると、ちゃんと「ここに並んでね」ってソーシャルディスタンスの目印がついているの。でも、並んでいる人たちはその印よりも距離を詰めているんだよね。

私はどうしても気になっちゃって、目印通りに距離をあけて並んだ。私の前だけぽっかり空いているから、変な列になっていたかもしれない。でも、移したくないし、移されたくなかったから。

だから、OOSDオンリーワンソーシャルディスタンス。私だけソーシャルディスタンスやってた、っていう話。


これ、私が正しいでしょ、とか主張するつもりはない。ソーシャルディスタンス取って並びながら、「でもなぁ、社会的距離としては正しいけど、社会的には私の方がそぐわないのかもな」とか考えていたから。

そのとき思い浮かべたのは車を運転するシーン。法定速度を守るのが絶対だけど、車の流れが滞るように運転すると迷惑になる。車の流れに合わせると、法定速度以上になってしまう。法律的には速度を守るのが絶対に正しいけど、車社会とか道路事情とか考えると社会的にそぐわないってされちゃうのかなと。

そんなのに似てるなぁ、と。まあ、私のソーシャルディスタンスの場合は法律でもなければルールでもなくて、新しい生活様式というマナーくらいのもので、認識されているようでされていないもので。

みんながやってない中で私だけやってたら、それはソーシャルディスタンスなのか、孤立なのか。あ、孤独ってなっちゃったのかもな。


みんな信じたいものを信じるし、自分にとって居心地がいい方を選ぶ。気が緩むというけれど、ずっと張り詰めていた状態が続いていたら、そりゃあ気を緩めたくなる。私だって気が緩む。

「もう前には戻れない」とよくいうけれど、やっぱり「また元に戻りたい」って多くの人が思ってるもの。心がそう思っていたら、行動だって元に戻る。手洗いの回数が減るとか、マスクをしている人が減るとか、ソーシャルディスタンスがなくなって距離が近づくとか、いろいろね。

それが悪いと言うんじゃない。気持ちはよくわかるから。私だってそういう部分はあるから。

少し前までは、少しの気の緩みも許されなかった、少しでも間違うとバッシングされていたように感じる。それから「もういいよね」が主流になったら、今までやってきたことをやっている方が“そぐわない”ようになって、今度はそっちが叩かれちゃうのかな。


私も私が信じることをしたいけど、大勢の中で“私だけが信じている”状況だと、仮に間違っていないことでも、指をさされたり叩かれたりするんだろうな。私だけが狂った世界にいるみたいな。

それなら、自分の信念を曲げてでも、“みんな”に合わせていかなきゃいけないのかな。それもまた生きやすいのだと思う。指さされないし。でも、生きにくい方法でもある。自分の信念を曲げるわけだから。あーあ、どちらにせよしんどいっすよ。

ってことを考えなくていいように、積極的にステイホームしてしばらくは生きていこ。マスクをしないで歩いたり、人と外でも手をつないだりハグしたり、大賑わいになったり、そんな光景を「早く」と待ち望むのは私も同じだから。

2020年6月19日(金)

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