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想像もしなかった世界に生きている

人生は自分の想像通りにはいかないものだ、とつくづく実感している、フリーライターのaoikaraです。

良い意味でも、悪い意味でも。

子どもの頃は、自分がこんな大人になるとは思っていなかった。きちんと学校に通い、卒業をして、就職をし、人と出会って仲間や家族を増やしていくのだと、信じて疑わなかった。その未来にはいない。

ただ、子どもの頃から“将来の夢”が具体的に思い浮かばなかった。漠然と「好きなことができたら」と述べていた。

だから、その瞬間、その瞬間にある「こうなりたい」という思いに従っていた。「思い描いた通りになれなかった」もあるし、「自分には合っていなかった」もある。失敗したと感じることが山ほどあった。どこにもたどり着けなくて、周りの人はみんな先に行って、背中さえも見えない気がして、絶望した気持ちになっていた。

でも、今の居場所は居心地が悪いわけではない。欲はいくらでも出てくるけど、今の居心地のよさも手放しがたい。思い浮かばなかった将来の夢は「好きなことをする」という漠然としたもので、そういう意味では叶えられているような気もする。


私には「許せない」と思っていたことがある。今でも、許していないこともある。たぶん、一生許さない。自分のことではないから、固い決意があるのかもしれない。

でも、「できれば許したいけど、許せない。このままずっと許せなかったらどうしよう」という思いもあった。だけど、思っていたよりもずっと早く許すことができた。心の中で収まりもいい場所に、その感情はある。

決して、許すことを推奨したいわけではない。許すことも、許さないことも、そう感じるその人自身だけのものだから。誰かのためとかではなくて、自分のためなら、どんな感情でもあっていいものだから。

「許せない」も、「許せる」も、どちらも持っている。何が自分にとって大切なのか、見えてくる。

私にとって「許せないかもしれない」と思っていたものが、「許せた」とき、新しい境地にたどり着いた、というだけ。でも、全てじゃない。これからも許せないものはある。自分もまた誰かにとっては許されないかもしれない、覚悟で生きている。


白黒はっきりしていることが好きな私は、自分が持つ人間関係も名前があるものばかり。要するに、家族や友人、恋人、仕事相手とかわかりやすい人間関係だと、距離感がわかりやすくて居心地がいいと感じる。

でも、そうではない、不思議な関係性がある。距離感をはかるのも難しい。決して、自分にも、相手にも、不誠実ではない。曖昧さが苦手だったはずの私だけど、これはこれでいい、と思えている。

良いことばかりではなくて、自分の抱いた期待が当てはまらないときもあって、マイナスな感情が湧くときもある。それは自分の期待を見直して、関係を構築し直せばよくて、曖昧なままの関係は続いていく。いや、終わるかもしれないけど、今のところは不思議なことに続いている。


全部、想像もしていなかった。想像もしなくても、世界はある。想像から外れていても、世界は続く。私がいる限り、私の世界は続く。そして想像の外を出た世界は、広くて、豊かだと知る。

もっともっと知らない世界が知りたい。

2022年11月29日(火)

No.1425

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