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引きこもっても、生きて行ければいい

私は今まで生きてきて、家に引きこもっている期間があった。何度も学校を辞めて、何もしていない、いわゆるニート。何もかもうまくいかなくて、そうなると誰にも会いたくなくなる。

自分が情けなくて。こんな自分を見られたくなくて。永遠に家にいたくなってしまう。人の目が怖くなる。誰とも会いたくない。誰にも見られたくない。

友達の連絡先も全部消してしまった。家族ともあまり口をきかない時期もあった。

でも、生きてはいきたい。だって死ぬのは怖いから。でも、一人は寂しい。一人で生きていける強さがあったら、そもそも引きこもったりしない。強くないから籠もりたくなる。


籠もっている間だって、「このままじゃダメだ」って何度も思った。うじうじ閉じこもっているのは良くない。「外に出なきゃ」「でも怖い…」その繰り返し。結局は外に出ない方を選択する。

家にいる中でもインターネットを使って、少しだけでも人と関わってみたり、ちょっとした稼ぎでも仕事をしてみたり、“外に出る”わけではない行動をしてみた。それでも少しずつ人生が開けてきて、今がある。

友達は本当に全然いなくて、リアルで会う子なんて本当に少なくて、それでもnoteとかブログとか仕事とかで友達はいる。家族とも明るく話せるようになった。たぶん、私の居場所を見つけられたから。


働いている今もほとんどが在宅のリモートワークで、わりかし引きこもり。外に出るのは楽しいけど、その後はどっと疲れて、しばらくは家にいたくなる。社会とは関わっていきたいけれど、自分だけの居場所も欲しいと思う。

外に出て行きたい、という気持ちもある。外に出たくない、ときもある。というか大半で、家にずーっといても大丈夫。閉塞感から「外出る!」となることもあるけどね。自分では今でも半分くらいは引きこもりみたいな気持ち。


引きこもると、「外に出る」ように促されることが多い印象がある。物理的に外に出ることもたしかに大切だと思う。人はどうしたって社会と関わって生きていかなきゃいけない。その一歩として、外へ踏み出すことは大きな一歩だから。

でも、その歩幅をもう少し狭くすることもできる。物理的に外に出なくてもいい。たとえばSNSやブログで人と話をするでもいいし、在宅でやれるクラウドソーシングの仕事を始めてみてもいいし。

外に出たら自分が傷ついたり、相手を傷つけたりするのが怖くなる。でも、それは外に出なくても人と関われば誰かを傷つけて、自分も傷つけられて、人間関係はそういう摩擦だって気づく。

自分から意図的に傷つけてやろう、と思わなければ、それは自然と起こること。傷つくのは怖いけど、少しずつ慣れて、傷つかなくて良い方法も知っていく、と思う。

家の中に引きこもっていても、人と関わることはできる。社会とつながれることはできる。なんだったら仕事だってすることもできる。そのステップを踏んでから、物理的に「外に出る」をしてみても良いと思う。


だから引きこもっていても、社会とつながれるようになるといいなと思う。そしたら自分らしくいられる居場所も見つかるはずだから。

“物理的”に外に出るから変わるんじゃなくて、自分の内から外に出るという“精神的”なものがあれば、それも大きな一歩だから。

外が生きづらいなら中で生きればいい。中にいても、外と関われるような、そんな社会になったらいいな。


P.S.「#こんな社会にだったらいいな」に参加しようと思っていたけれど、期限過ぎてしまったので、個人的な思いとして記録。


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