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タイムマシンがあったらいいのにって本気で思った

あー、なんでこんなことしちゃったんだろ。自分で自分が信じらんない。最悪だ。もう嫌だ。どうしてこうなっちゃったんだろ。あのときまで、戻れたらいいのに。タイムマシンがあったらいいのに…。

高校1年生の夏休み最後の日、本気で思った。布団の中で祈った。どうか、どうか夏休み最初の日に戻してくださいって。


高校に入ってから、朝起きられないことが増えた。布団の中で体が固まってしまう。何度も学校を休んだ。

ひどいことをされているわけではなかった。勉強にはついていけてなかったけど、学校へ行かなくなるほどの理由なんてない、もっとつらい思いをしている人もいるとわかってた。私が動けないのは私でもよくわからない。そんな自分が情けなかった。

ここで切り替えなきゃと、夏休み前の行事には積極的に参加して、楽しむことができた。達成感も得られた。夏休みの講習にも1日も休まずに行った。

ただ、体と心がひどく疲れているみたいで、何もする気が起きなかった。勉強もしなければ、遊びにも行かなかった。とにかく何もしたくなかった。

夏休みでもやらなきゃいけないことはたくさんある。これやらなきゃ、あれやらなきゃ。でも1個もやってない。こんなこと初めてだった。

そのまま、夏休み最終日を迎えた。「仕方ないね」「“何もやってません”って言うしかないよ」そんな風に言われて、始業式の自分を想像する。白紙の提出物を出す自分。恥ずかしくて情けなくて、耐えられそうになかった。全て、自業自得だとわかっているから、本当にバカみたいだ。

そして、冒頭に戻る。

あー、なんでこんなことしちゃったんだろ。自分で自分が信じらんない。最悪だ。もう嫌だ。どうしてこうなっちゃったんだろ。あのときまで、戻れたらいいのに。タイムマシンがあったらいいのに…。

本気で思った。そんなものはないってもう十分にわかっている年齢なのに、本気ですがるしかなかった。だって自分は頼れないから。頼りないから。

でも当然タイムマシンがあるわけでもなく、眠れないままに一夜が過ぎて、その日から私は学校へ行けなくなった。不登校が続き、1年生のうちに学校は中退して、中卒になった。

行けなくなった理由はよくわからない。「なんで?」「そんなことで?」と言う人の気持ちもわかるし、何度も言われたこともあるし、自分でもよくわからなくて、しんどいと言うのさえ申し訳ないというか、だから本当にただダメな人間なだけで。

私にとってこの時期は、当時のことを思い出すと苦しい。自分でも自分がよくわからなかったから。


今思うと、自分に求めすぎていたんだと思う。自分が求める自分は、本来持っているもの以上の姿で、完璧になろうとしていた。1つでも間違えば、もうそこで終わってしまうと思っていたから、1つまた1つと間違えた自分を認められなかった。

自分が思っているより自分はいろんなことができなかった。でも認めたくなかった。私はその後も何度か学校を辞めている。現実から逃げてばかり。

「自分はなんてダメなんだ」と思ったけど、「でも本当の自分は違う」とどこか思ってた。でも、本当の自分はダメな方の自分だったのだと思う。私は現実から逃げていたんじゃなく、ダメな自分から逃げていた。

私は失敗するたびに「戻りたい」と思うことが多かった。「やり直したい」と。たぶん、うまくやれていた頃の自分に。理想を叶えていた自分に。でも現実の自分でしかなくて、そこにあるダメな自分を認めなきゃいけなかった。


今はありがたいことに仕事をしている。信頼できる人たちもいる。あのときのような暗い気持ちは抱えていない。いきなりダメな自分を認めたってことはないし、逃げずに人生に立ち向かったかと言われると、たぶん違う。

とりあえず前に進むために一歩ずつ、いや半歩ずつ進んで、たまに立ち止まって、後戻りもして、逃げ出して、でもやっぱり前に進もうとしてきて、やっと今にたどりついた。

きれいに書いているけど、ものすごくたくさんの迷惑も心配もかけた。どれだけの人を巻き込んだか。本当に本当に申し訳ない。今もいてくれる人に、どれだけの恩返しをしなければならないか。周りの支えも大きかった。

いきなりではなくて、だんだんと「できない自分」を認められるようになったのだと思う。そこには他のところでの成功や成果があって、「できる自分」を認めてあげられたから、自分の弱さも認めることができたのだと思う。

「できない自分はダメだ」と思えば自己否定だけど、「できない自分もいる」と認めるのはむしろ自己肯定で、自分が自分を一番に許してあげないと、とてもしんどくなってしまうのだと思う。

でも弱さを認めるには、自信や肯定感も必要。長所があるから短所も認められるわけで、とても難しい。自分で抱えきれなければ、頼れる何かや誰かが必要。何かにすがってしまう人が多いのも理解できる。

だから、悩んでいる人に「もっと頑張ろう!」「立ち向かおう!」「できない自分を認めよう!」「自分の力で人生を切り開こう!」とは言えない。私はそんな立派な人間じゃないから。たぶん運が良かったのが大きい。

ちょっと前に進んでみて、経験して、ちょっとでも成功したら自分を認めて、自信や肯定感を養う。そして前に進んで…その繰り返し。そして、やっと弱い自分をやっと認められる。

でも前に進むのには勇気がいるし、その勇気は自信や肯定感から作られる。失敗してまた心が折れたらどうするの?何が自分を支えるの?誰も否かっらどうするの?自信や肯定感をどこで得たらいいの?と考えると、ものすごく難しい。

それでもやっぱり、ちょっと前に進んでみて、経験して、ちょっとでも成功したら自分を認めて、自信や肯定感を養って、また前に進んで…を繰り返していくしかない。そうして弱い自分を認めて、自分のままで生きていくしかない。


私は今、「できない自分で生きていくんだ」という覚悟を持っている。「できない自分」だからこそ、「できる自分」になるために努力することもできるし、人に教えを求めることもできるから。

やらかしたとしても次にどうするか考えるしかなくて、むしろ「やっちゃえ」って気持ちでやっちゃって、やらかしたら「戻りたい」とは思わずに、「さて、ここからどうしようか」って考えれば良い、と私は思う。


今だって失敗することある。自分がどうしようもないなってくらい、間違えてしまうこともある。後悔はする。これからだってたぶんうまくいかないことが山ほどあるだろう。

でも、「戻りたい」とは思わない。「ここからどうするか」しかないとわかったから。そして、やっぱり失敗する「できない自分」だって知ってるから。

今は今を見る。しんどくても。つらくても。逃げちゃっても。前を向いても。今、私にタイムマシンは必要ない。

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