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No.570 アイドルと右京さん

アイドルと右京さんが好きな、フリーライターのaoikaraです。

アイドルは主に女性アイドル。かわいいね。

右京さんとは、ドラマ「相棒」の主人公、杉下右京のこと。鋭いね。


アイドルはキラキラ輝いていて、元気をもらえる。別に、キラキラ輝いてなくてもいいんだ。葛藤して、涙して、怒って、そんな風に一生懸命なだけで、頑張っている姿を見るだけで、頑張ろうって思えるからいいんだ。

もっと言うなら、私としては、頑張らないときがあっても良いと思う。人の何倍も努力しなきゃいけない、と周りからたくさん言われているだろうし、もちろん努力は必要だというのも理解はできる。

でも、たくさんのことを抱えきれなくなってほしくはないから、好きなことが嫌いになってしまうとつらいから、頑張らないときが一瞬でもあって、気が休まってくれたらいいなとも、思う。アイドルとしてというより、人としての心と体も大切にしてほしいから。


っていうのを、思わない人もいるんだよな、と気づくときもある。「お金もらっているんだから」「プロだから」「アイドルだから」そういった責任を付け加えながら、「こうすべき」「こうすべきじゃない」と説く人がいる。

それだけ強くて熱い思いを持って応援できるのは、素敵なことだなと思う。自分が100%アイドルに尽くしているから、アイドルも100%の仕事をしてほしいって、対価を求めちゃうのかも。

時間なりお金なりになって、本当にアイドルを“支えている”んだろうし、その“思い”の分だけ応えてほしい、というのは自然な感情だろうなとも思う。


でも、アイドルだって人間なんだよな、と思ってしまう。時折、「プロとして」「アイドルとして」を求めるあまり、その子がたった一人の人間なんだって忘れるような、人として尊重してくれないような“ファン”がいて、私は悲しい気持ちになる。


容姿や体型についてあれこれ言ったり、態度が良くないと説教したり、髪を染めたり、メイクやファッションを変えるだけで「彼氏がいる」と言われたり、ちょっとびっくりする。なんでそんなことするのって。

何で髪を染めたかったかって、「髪を染めたかったから」だよ。それ以外に理由なんかないよ。別に目的なんかない。「髪を染めたから~」っていう手段じゃなくて、「髪を染めたい」っていう見えているそのものが目的なの。

髪を染める。メイクが変わる。ファッションが変わる。それ何のため?自分のため。もちろんアイドルなんだけど、その前に一人の人として「なりたい自分になる」という思いを叶えているだけ。それが楽しいだけなのよ。

もちろん何も思わない、むしろ「かわいい!」「素敵!」と言ってくれるファンもいるけど、邪推している人を見ると、少々げんなりする。自分がなりたい自分になって、「君じゃないみたい」って言われなくちゃいけないのか、と。


「嫌いだから」じゃなくて、「好きだから」というのが、より怖い。だって、好きな側からしたら、100%の善意で、100%の愛情だから。相手に対して「つらい」とか「苦しい」って言ったら、ファンとしては大切な気持ちを台無しにされてみたいで、アイドルに対して激しい感情を抱いてしまうかもしれないから。

だから、ファンが嫌がることはやめようと、頑張る子だっていると思うよ。それを「いいね!他の子とは違うよね!嫌なことしないもん」って言われたら、「私だってこんな風にしてみたいな」って気持ちを押し殺すよ。それが報われないと「なんで頑張ってるのに」と思っちゃうよ。それなのに、「それが君の良さだよね」なんて言われたら、感情をなくすしかないよ。

もちろん、ファンがいての商売だから、「好きじゃなくなった」からファンをやめるってのは仕方ない。でも、「ファンを失いたくないなら、全てをファンが好きなようにすべき」ってのは同義じゃない。ファンがいてのアイドルなのはもちろんだけど、その子の人生があるってことも、忘れないでほしい。

しかも、「プロとして」「アイドルとして」と説いているのは、誰が言ったの?「みんな言ってる」っていうかもしれないけど、そのほとんどが「自分が思ってる」だけなんだよね。

「プロだったらこうすべきじゃない、と自分は思う」「アイドルはこうすべきだ、と自分は思う」というだけ。それ誰が決めたのかっていったら、あくまで“自分”でしかないんだよ。主語を大きくするのもずるいと思う。あくまで個人の意見なんだから。

個人の意見だから大事じゃないってわけじゃなくて、主語を大きくして相手に強制するのはしんどくなっちゃうよ、という意味でね。


アイドルの変化を疎ましく思う人もいる。でも、どんな人だって変わる。ましてアイドルをやっている女性は、10代とか20代とか、もちろんもっと上の人もいるけど、多いのは若い女の子。

多感な時期だし、今日いいと思っていたことが、明日には嫌いになるような、そんな時期なんだよ。ホルモンバランスだって安定しないし、心だって体だって管理するのは難しい。

「自分が選んだ道。嫌ならやめればいい」たしかにそう。だからって、相手の嫌がることを言うことは正当化されないよ。それとこれは論点が違う。

「自分は相手のためを思ってる」それだったら何をやっても、何を言ってもいいの?自分が同じことをされても平気?平気だとしても、相手が嫌だといったら、それは“嫌がらせ”なんだよ。

「でも〇〇ちゃんはやってる。プロ意識が足りない」って他の人と比較するのも、それは違うよ。同じだけ頑張っても、出る結果は違うもん。気持ちだけで、努力だけで何とかなったら、この世で悩む人も病気の人もいないよ。悩む人や病気の人も「生きる覚悟が足りない」っていうのと同じだよ。誰かと比べるのは、自分を苦しめることにもなるよ。


全員の「自分が求めるアイドルになりなさい」に応えていたら、その子自身はどこにいっちゃうの?みんなが勝手に創り上げた「アイドル像」を叶えていくことがアイドルの仕事なのかといったら、違うと私は思う。


だから、究極はね、その子がその子である限り、受け入れて応援したらいいと思うの。

ファンが「なんか違うな」と思ったら、「前みたいになってよ」とその子を変えようとするんじゃなくて、自分が受け入れようと考え方を変えてみようと思うか、もしくは離れるかなんだよ。「自分の思い通りになって」は応援じゃないと思うんだよ。

「自分の思い通りになって」を何十人、何百人に言われたら、しんどいじゃない。誹謗中傷と同じでさ、自分は1個しか投げかけてないと思ってるけど、自分が1個投げかけたってことは、それ以上に何倍も何十倍も何百倍もそれ来てるってことだよ。

逆の立場だったら、受け入れられる?「あなたはこうすべき」「あなたはこうしちゃいけない」「あなたらしくない」そんな言葉だらけで、自分を見失いそうにはならない?

だから、私は好きなアイドルは、どんな姿でも「素敵だな」って思うんだよ。「頑張ってるな」って。もちろん、人道にはずれたことをしたら、「それは悲しい」って思うし、厳しい言葉も言いたくなるかもしれないけど、それだって言葉を選ぶ。相手を人として尊重して、発言する。

それをするだけで、お互いに心が穏やかになるはずだし、そんなに“裁き”はいらないと思う。


とここまで書きながら、私自身に思い当たることがあった。それは、私の「右京さん像」。ドラマ「相棒」を見ながら、「右京さんならこんなこと言わない」「右京さんならもっと違うやり方をした」「右京さんがこんなに鈍感かな?」とか、めちゃ思ってるし、言ってる。

というのも、「相棒」はいろんな脚本家さんが書くので、その話ごとに若干右京さんの人物像が異なる。それもドラマの面白さでもあるんだけど。

長年見てきて思い入れのあるドラマだから、私の中で勝手に「右京さん像」ができあがっていて、そこからはずれると「なんか違う」と思ってしまう。

いや待てよ…これ、今まで私がアイドルのファンに対して言ってきて、「プロとして」「アイドルとして」という「自分のアイドル像」を通そうとしている人と、やってること同じじゃん!!!


なるほど、あくまで“自分の”アイドル像を押しつけてしまう人がいるように、私もあくまで“自分の”右京さん像を押しつけてしまってたんだな。

私は右京さんじゃないんだけど、右京さんを尊重して、いろんな右京さんのあるがままを受け入れるべきだった。作品作りをしている人たちのことを、右京さんを尊重していなかった。これはダメだな。反省。

思いがあるからこそ、「こうなってほしい」「こうしてほしい」と思う、アイドルファンの気持ちもわかったよ。私以上に、お金も時間もかけているアイドルファンならなおさらだよね。相手を傷つけるかどうかという基準を忘れて、「自分が思っているから言う」ことを優先してたな。

でもね、やっぱり相手は良い気持ちにはならないし、本当に好きなら好きな人が悲しむのは一番つらいことだからさ、傷つけないことを考えたらいいなと思うんだよね。

受け入れられなくなったら、離れればいいだけだからさ。受け入れられないから、「おまえが頑張れ」は違うもんね。


私も、これから気をつけよう。愛されようと思わなくても、愛すべき存在だよ。アイドルも、右京さんも。それを愛するのみよ。

2020年7月11日(土)

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