見出し画像

わたしの血潮

血液検査をただじっと見る、フリーライターのaoikaraです。

ここのところ体調不良だと書いているけれど、それとは関係のない、定期健診。ぷつっと刺されて、一気に鮮血が流れていくのを、ただ見ている。

ほかの人は何をしているんだろうか。目をそらしたり、世間話をしたりしているのだろうか。私は子どもの頃から、ついじっと見てしまう。

子どもの頃より痛いような、貼られたばんそうこうの跡が引くのも時間がかかるような、そんな大人になり具合を感じている。


思春期の頃、貧血だったけど、検血で困ることはなかった。たいして時間がかからない。検血が大変なんだ、とても時間がかかって苦労するという人の話を聞いて驚くぐらいには元気な血流のようで。

整っていない体と心であるはずなのに、私の目から見てもそれは、すごく生き生きとしていて、不思議な感覚。まあ、本当に生き生きとしているのかは、検査の結果を聞かなければわからないことではあるけれど。


ああ、なんだっけ、そんな言葉があったな、と思った。生き生きとしているというような。「手のひらを太陽に」だ。自分のそれを見ながら、「ぼくの血潮」というフレーズを思い出していた。

1 潮のようにほとばしり出る血。「―に染まる」
2 体内を潮のように流れる血。激しい情熱や感情。「熱き青春の―」

デジタル大辞泉(小学館)

というのが「血潮」の意味らしい。子どもの頃は知らない言葉なのにわざわざ調べなかった。でも、歌を聞けば、伝わる音と詞だった。

私も「血潮」と呼ぶにふさわしかった。まだまだこれから。その身体で生きているのだから、私の血潮のように生きていきたい。

2023年1月21日(土)

No.1478

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?