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自由じゃないからフリーランスにしかなれなかった

「私はフリーライターです」と名乗ると、とても自由な響きだと受け取る方がいる。たしかに、その人が手にしていない自由を私は手にしているのかもしれない。あるいは、そう見えているのかもしれない。

フリーランスになる経緯として、企業や会社に勤めた経験があって、経験を積んで、スキルを高めて、人脈を作って、自分のやりたいようにやるために独立した、みたいな想像をするのが一般的なのかな。「自由になりたいからフリーランスになった。そして自由を手にした」というようなイメージで。

でも私は、「フリー」を名乗ったときに、目を輝かせてくれる人に申し訳なさを感じてしまう。独立してもやっていける実力や人脈があったわけでもないし、会社という枠組みを窮屈さを感じて自由さを求めたわけでもないから。

自由じゃないからフリーランスにしかなれなかった。私は中卒で3つも学校を中退して学歴がないし、資格もないし、職歴もないし、コミュニケーション能力や継続力も不足している。つまりは会社勤めできる要件を一つとして満たせていないから、就職できる自由がないから、フリーランスにしかなれなかったのだ。ただ、それだけ。


もちろん、他のフリーランスの方と同じような自由さもあると思う。いわゆる勤務時間は自由で短くても長くても良い。仕事の都合が合えば、自分のライフスタイルにマッチした時間帯や時間の長さを選択できる自由がある。

でも有給なんてのは当然ないから、働かない間は稼ぎはない。仕事する時間が自由な分、短ければ稼ぎは減るし、長ければ稼ぎは増えるし、時間をかけた分が収入と比例するかというとそうでもないし、自由だけど不自由だ。

飲み会の強要とか、上司やら部下やら同僚やら人間関係のしがらみもほぼないというのもフリーランスの自由さかもしれない。おそらくフリーランスにとって人脈は大切なので、人間関係を築く喜びを感じている人もいて、不自由だと感じない人もいるだろう。

私はトラブルは起こさないけれど、あれこれ考えて勝手に自分がしんどくなってしまうという意味で、人は好きなのに人との関わりが得意でないので、フリーランスでの人間関係のしがらみのなさは良いのかもしれない。好きな人との信頼を築いていきたいなとは思うしね。

でも、しがらみがあるからこその、介入する人間関係をうらやましく思うこともある。たとえば、会社勤めをしたことがない私としては、ビジネスの基本的なマナーやしきたりを全然知らない。

もちろん調べているけれど、間違ったまま先方とお仕事させていただいていることもたぶんあるだろう。でも間違えていても、相手はマナーとして指摘しない。だから、永遠に間違っていることに気づかない。

社内で間違いがあれば指摘してもらえる。叱ってももらえる。それがない。やんわり、仕事がなくなる。「何がダメなのか」を明確に示してくれる人間関係は、仕事ならではなのかなと思う。パワハラとかになっちゃダメだけどね。


フリーランスの私からすると、会社勤めだといいなと思う自由もある。有給とか、退職金とか、残業代とか、産休・育休とか私にはない制度があって、私はその点には不自由さを感じるんだよ。仕方ないとはわかっていてもね。

でも、制度としてきちんと収入を得られると、いくらかのお金の余裕という自由を手に入れられるようなと思う。もちろん何もないブラックな会社もあるんだろうけど。

相手から見た私と、私から見た相手。どちらにも自由と不自由はある。働いている誰かに“自由さ”を感じているとき、実は“自分が手にしていない物を手にしている”だけなのかもしれないね。


自由じゃないからフリーランスなんだとは言ったものの、私は今のフリーライターという仕事は「たしかに自由だよな」と思うし、好きだな。学歴や職歴がなくて、コミュニケーションが苦手でも、なんとか続けられているし、確定申告して納税できるくらいには“社会人”やれているから。

私が好きなアイドルの曲を聴きながら仕事できるし、すっぴんに部屋着でも良いし、好きな物を食べたり飲んだりできるし、「外に出る」とか私の苦手分野を避けて仕事もできる。今の仕事の自由さは、私にとってすごく大切。

何より私は“言葉にして考える”タイプで、“書く”ことで自己表現したり、承認欲求を満たしたり、“息する”みたいに“書いている”。ま、書くことが好きなんだね。

「書くことが好きで、書くことができる仕事」という自由さを手に入れていることに満足している。


働くことは自由な部分と、不自由な部分がある。制限があるからこそ、その範囲内での可能性を広げることもできる。

「働き方の理想」ってのは、どの自由さを求めるのか、どの不自由さを妥協できるか受け入れられるか、あるいは不自由さを愛せるかってことなのかも。

時間に余裕はあるけれどその分稼ぎが少ない人は、果たしてお金に余裕がないから不自由で不幸せなのかといったら、これもまた断言はできない。時間の余裕という自由さがあるから、稼ぎが少ない不自由さは受け入れられるものかもしれない。

あるいはめちゃくちゃ忙しくてプライベートの時間がないほど働いている人は、果たして不自由で不幸せなのかといったら、断言はできないよね。その仕事が本当に大好きで、プライベートなんかいらないほど働きたいってのが本人の願望なら、プライベートの時間がない不自由さはむしろ愛せるわけで。


端から見ていたら自由でなくても、本人にとって愛せる自由があればそれは良いことだし。自分にとって求める“自由さ”を手に入れられる働き方を、働く人それぞれが見つけられたらいいな。

自由じゃないからフリーランスになったけど、私は自分の欲しい自由さを手にしているし、不自由さも抱えているし、そのバランスを取ってより生きやすい方法を模索していきます。そんな感じ。

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