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苦しみを受け止める人の苦しみはどうしたらいい

自分の苦しみを持て余している、フリーライターのaoikaraです。

なんとなくしんどいときとか、自分でどうにかしなきゃと思いつつ、自分ではない人を頼りたくなる。わがままだなと、自分勝手だなと思いながら、私を癒やしてほしい、なんて甘えたくなる。

たぶんブレーキがきかなくなるときは、苦しみやしんどさを垂れ流してしまう。結果的に人を頼ることになる。身近にいる人や、家族とか、noteでも見てくれている人がいるだけで、頼っているし、本当にありがたいなと思う。

でもブレーキがきくときは、つまりはブレーキをかけているわけで、なぜブレーキをかけるのかというと、申し訳ないと思ってしまうから。私が別の人に苦しみを受けてもらっているとして、その人は自分の苦しみをどうしているんだろう、と。

お互いに支え合うとか、頼り頼られる関係性なら、苦しみを受け止めてもらったり、逆に自分が受け止めたりして、関係は成り立つんだろう。実際、一方的に頼りすぎているとか、頼られすぎているとかすると、どちらかがつらくなって関係は保てないような気がする。


でも、「自分ばかり頼っているような気がする」と思ってしまうと、相手の苦しみは自分が受け止めているわけではない気がすると、自分の苦しみを受け止めてもらうのは無責任なんじゃないか、と思ってしまう。だからブレーキをかける。

一方で、自分がしんどくて頼ろうとしたけど、相手から頼られたときは自分のしんどさを引っ込める。なんてことないフリをする。バレているのかもしれないけど、でも大丈夫だって姿を見せる。

だって、自分がしんどいときに「こっちだってしんどいんだよ」と言われてしまったら、頼れないから。相手には同じ思いをさせたくないから、自分のしんどさを受け止めて、相手のしんどさだけを尊重する。

でも、あまりにも自分が受け止めるばかりが続いてしまうと、「私の苦しみはどこで受け止めてもらったらいいんだろう」なんて思ってしまう。で、持て余す。


たぶん私の考えが極端なんだろう。自分だけが頼りすぎていることもないし、相手に頼られすぎていることもないし、持て余しているんじゃなくて、持ちつ持たれつなはずで。

苦しいときは「苦しい」と言えばいいし、しんどいときは「しんどい」と言えばいい。相手も同じなら「今日はお互いにしんどいから、受け止めきれないね」と言い合って、時間を置いて、回復してからお互いを励ませばいい。

まるで私は自分から、しんどい方を選んでいるみたいな。小さなことでしんどくなるから、正当化する言い訳がほしいのかもしれない。だったら言い訳ではなくて、「私は小さなことでもしんどくなってしまうんだな」「そんな自分は嫌だな」って気持ちを隠さず、認めたらいい。


苦しくない人なんていないのだから、支え合うしかない。頼り頼られるしかない。甘え合うしかない。きっといろんな人と。全部を委ねるのではなく、少しずつ。きっと、そうやって、生きていく。

2022年10月24日(月)

No.1389

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