同い年の“モノ”

最近、「あ、同い年だ」とよく気づく、フリーライターのaoikaraです。

人ではなく ”モノ”とね、同い年だなって。モノというのは、たとえば建物だったら「築〇年」とか、記念日やイベントの「〇周年」とか「誕生から〇年」とか、「〇」が自分の年齢と同じ数字だとつい目に入ってくる。

同じ年数でも、人とモノでは時間の感覚というか、経年に対しての捉え方みたいなものが違うから不思議。

モノではなく、人と動物で考えるとあたりまえなんだけどね。人間の20年はまだまだ若いけど、犬の20年はもうずいぶん長生きしたね、となる。人とモノでも同じような現象が起きる。


その年に生まれた人は、その年の“印象”と結びつけて見られがちだけど、当の本人としては生まれてすぐの記憶はないわけで、その自分と生まれ年の“印象”を結びつけられるのはちょっとした違和感もある。

西暦××××年がどういう年か、過去を振り返るテレビの特集や教科書なんかを見る機会はあるし、知ってはいる。でも、物心がついてから情報として刷り込まれているだけで、自分の感覚としては後付け。

生まれた年のことは情報としては知っているけど、リアルタイムを生きていないから、本当の感覚はわからない。その年生まれじゃない人の方が、その年の感覚を肌で感じて、よくわかっている。

去年や今年生まれた子は「ああ、コロナが大変だった年ね」と言われるだろうけど、その子たちが大きくなって、もし今の状態が収束していたとしたら、リアルな感覚ではわからない。でも「コロナの年ね」とは言われ続ける。自分の出来事なのに、教科書を読んでいるみたいな感覚に近い。


とはいえ、というよりも、それでも、かな。それでも、生まれ年は特別に感じる。同い年だというだけで、意識はしてしまう。同じ時代を、同じ年数を生きてきたんだな、と親近感がわいてくる。

つい意識していまうのは人だけじゃなくモノも同じ。関心がなかったモノでも、同い年だと知ると興味がわき、親しみを感じてしまう。同じ時代を、同じ年数を歩んできたんだな、と。


生まれ年は自分と強く結びついて、だけど自分とイメージはそぐわなくて、だけど親近感はある、不思議で特別な感覚。

同い年だとわかった瞬間、親しみからお互いが自然とため口で話すように、人ともモノとも距離を近づけるきっかけになったらいいな。距離をあける時代だからね、心くらいは寄り添ってもいいじゃない。

2021年3月23日(火)

No.821

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