ただ、誰かと話したい
誰かと話したい、フリーライターのaoikaraです。
誰か、といったらまあ家族はいる。話そうと思えば、話せる。毎日よく話してはいる。割と、気兼ねなく話せる仲の親子関係だとは思う。
そうではなくて、たぶん友達が欲しい。私は友達が少ない。日常的に何気ない話をするとか、悩んだときに「助けて」言える友達はいない。昔、友達が彼氏とケンカしたとき、一緒に駆けつけて彼女の味方になると言っていた女優さんがいて、そういう関係ってなかったから「いいなぁ」とぼんやり思って記憶がある。
友達だけじゃなくて、誰に対してもなんだけど、気を遣っちゃうし。なんか元気になってから「こんなことあってさー大変だったわ~」って笑えるようになってから、話したいと思っちゃう。同時に委ねたいとも思うんだけど、失敗しがちだから臆病になって、結局自分で何とかしよう、となる。
でも、なんというか、話す人がほしい。何気ないこととか、何気なくないこととか、大事なこととか、大事じゃないこととか、だらっと話せる人がほしい。これ誰かに話したい、ってときに話せる人が欲しい。
そう思っているのは私だけじゃないから、「そりゃあみんなSNSでつぶやくよね」って理解できる。私だってSNSとかnoteとか、自分の思いを書いている。でも、それは一方通行だからな。私からのぐいぐい思い100%ゴージャスって感じだからな。もっと、ふわんふわんと紙風船くらいのキャッチボールのやりとりしたいんだけどね。私の思い、剛速球になっちゃってる。
相互のコミュニケーションが取りたいんだな。いや、今でも相互ではあるけどね。SNSもnoteもすごく楽しいし。
世の中こんなに恋愛のマッチングアプリがあるのに、友達とか話し相手のマッチングアプリはないよなぁと。“友達”と称しながら、出会い目的になっちゃってるものばかりで。
違うんだよね、ただ話したくて。話を聞いてほしいし、話を聞きたいし、会話をしたい。なんか人を査定するような目じゃなくて、フラットに相手を知って、それでお互い会話を楽しめたらいいのにって思っちゃう。
でも会話って、人間関係に付加する価値なのかもしれないな。友達だから、話し合える。家族だから、話し合える。恋人だから、話し合える。同僚だから、話し合える。他人だったら、関係がなかったら、そもそも話さない、かも。
だから“会話”だけしたいよって言うのは、都合のいい考え方なんだろうな。そういう人間関係を獲得してこなかった、築いてこなかった今までの自分に責任があるわけで、そういう人がいないのも仕方ないよなぁともわかってるんだけど。
でも、なんかすごく最近思っちゃうんだよ。ただ、誰かと話したいって。肩書きに入れようか、「aoikara@会話相手募集中」って。
あたりまえをあたりまえにできないのが、一番難しいことのような気がする、今日この頃。
2020年9月11日(金)
No.630
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