見出し画像

あのね、昨日はとてもいい日だったんだ。

昨日はとてもいい日だった、フリーライターのaoikaraです。

特別に何かあったわけじゃないけど、なんだかいい日だった。


朝から「やるぞ!」とモチベーション高く仕事ができて、書きたいことを書けて、しかも評価までしてもらえて、結果も出て、こんな全ての方向性でうまくいくことなんてそうそうないから、達成感があった。

それ以外でも、仕事で求めていただけることがあって、認められているうれしさと、ほどよくスパイスに効いたプレッシャーもあって、また「やるぞ!」って気持ちが高まった。

物欲があまりない私だけど、ときどき心をぎゅーんとわしづかみされて「欲しい!」となるものがある。そんな“ぎゅーん”に出会って、手元にやってくるまでドキドキして、いざやってきたら想像以上によくて、心のメーターがぐんぐん上がっていくのを感じて、ものすごく満たされた気持ちになった。

仕事でもプライベートでも充足感があったからか、心も安定していた。最近、過食でストレスを発散して、心と体をコントロールできていなかったけど、昨日は過食をしなかった。適正カロリーを摂れて(アプリで計算してる)、運動もできて、心穏やかに過ごせた。本当いうと体は万全ではなかったけれど、でも落ち着いていた。健やかだった。


昨日は眠りに就く前の布団の中で、「今日はなんだかすごくいい日だったなぁ」と清々しい気持ちに浸っていた。それが、なんだかうれしくて。


一日を統括して、「いい日だ」と思えることはあんまりない。一人で過ごしていると、特に。誰かと一緒だと、話をして楽しくなったり、刺激をもらったり、安心したりして、「ああ、いい日だったなぁ」と思えることも多いけど。

一人だと「今日もダメだった」とか「まあでも家事や仕事はしたんだから、及第点にはしておこう」とか「寝たら忘れる」とか、そんなのばかり。

それだけに、「いい日だった」と思えるのは、それだけでうれしくて、なんだか誰かに伝えたくなったし、伝えた。「いい日だったんだ」って。

今、noteにも書いちゃってる。


なんで伝えたくなっちゃうんだろうね、不思議。「いい日でした。うれしかったです」なんて、私が小学生のときに書いた日記や作文みたい。

たしかに、子どもが親に「あのね、あのね」って、自分のことをたくさん話したがるみたいな、素直な気持ちにちょっと似ている。

そういえば、『せんせい、あのね』って本があったな。読んだことはないけれど、子どもの頃に図書館かどこかで表紙だけ見たことがある。そのときは「普通のタイトルだな」って思っていた。失礼な子どもだな。

でも、大人になった今、すごくいいタイトルだなぁと思う。子どもが「あのね、あのね」って先生とか大人とかに言いたがる、その姿がとてもみずみずしく浮かんでくるから。

子どものときには“普通”と思っていたけど、それはとても“子どもらしい”姿で、そりゃあ子どもにとっては日常的で、大人になると子どもだからこその特別な瞬間なんだと気づくから面白い。


大人になるとさ、自分の内で収めることを覚えちゃう。みんな自分のことで精一杯。誰かの話を聞く余裕なんてない。子どもの「あのね」ですら、「今はちょっと待って」と言うときがある中で、大人の「あのね」の優先順位は下がってしまう。

「あのね」と言おうとしても、同じ大人として余裕のなさがわかるから、飲み込むって気遣いをする。子どもから大人になる成長のひとつなのかな。「あのね」と言わなくなってしまうのは。


でも、本当は大人も「あのね」と言いたいんじゃないかな。SNSとか、YouTubeとか、接客業のお店に行くとか、それこそ私みたいにnoteやブログで文を書くとか、いろんな形でみんな「あのね」って自分の話をしたがっているような気がする。

誰かと会話するのは、きっと「あのね」の応酬で、一方的ではなくお互いにちゃんと話ができていれば、聞き合えていれば、自分の「あのね」も受け止めてもらえているから、心穏やかになれるのかもね。

なんとなく心がもやもやとしてしまうのは、「あのね」と言えていないからなのかな。そうして自分の内で処理できなくなって、「私の話を聞いてよ!」ってたまりにたまって、伝えたいことが肥大化して、それをぶつけると攻撃的な言い方や伝え方になってしまうのかもしれない。

でも、せっかくなら強くぶつけず、「あのね」とそっと話しかけるように、自分の話ができたらいい。相手を気遣おうと言葉を飲み込むやさしさがあるなら、そのやさしさを自分にも向けて、心を子どもに戻して、「あのね」と対話する時間があってもいい。相手を振り回してしまうのは違うけれど、でも自分も相手もどちらも大事にできたらいい。


だから、あのね、昨日はとてもいい日で、それがすごくうれしかったんだ。言いたかったのは、ただそれだけ。

2021年3月24日(水)

No.822

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?