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私が書けば、あなたが読むから

生きていくってのは、「私がいる」ってことに集約されるのだけれど、実は「私がいて、あなたがいる」ことなのではないかと思う。

「そんなことない。私は私。誰がいたって変わらない」という強い人もたくさんいる。すごく輝いている人たちだと思う。

“私”を形成していったのは、まぎれもなくその人ではあるけれど、たった一人ではなかったはず。「私がいて、あなたがいる」という経験が積み重なって、“私”を確立して、勝ち取ってきた“私”があるのだと思う。だから「私は私」と自分の足で立っていられる強さがある。

「私がいる」だけでも生きてはいけるけど、やっぱりどこかと誰かとつながっている。直接的じゃなくても、間接的にも、絶対に人と関わらないで生きるのは難しい。

そして生きる喜びや楽しさ、生きがいを感じるには「あなたがいる」から。逆に、悲しんだり苦しんだりするのも、「あなたがいる」から。

誰かが関わってややこしくなるのが人間関係で、そこに煩わしさも感じることがあって、「私がいる」だけでいいじゃんってなることもある。むしろ「私だけにさせて」と逃げ込みたくなることも。

それでも「私だけ」を実感すると、とてつもなく空虚で、「あなた」を求めて手を伸ばしてしまう。

私は昔、おごりから「私だけ」で生きていけると思っていたし、失敗するたびに「私だけ」になろうとした。具体的に言うと、自分は頭が良いと思っていたから進学校に行ったけど失敗して、何度も失敗して、ほとんど引きこもって生きてきた。

数え切れないほどの「あなた」に支えられていたのに、気づけなかった。私が「私だけ」と振り切ってきたけれど、支えてくれた「あなた」がたくさんいたのに。

私は引きこもりながらもできる“書く”ことを始めた。そしたら、誰かが読んでくれる。書けば、誰かが読む。小さい一歩でも、歩き続けていたら、それが仕事になった。

今は思う。「私が書く」だけでも、生きてはいける。でも、私が続けてこられたのは、生きてこられたのは、生きがいを持ってこれたのは、「誰かが読んでくれたから」。そして、「あなたが読んでくれたから」。

書いて良かった、もっと書きたい、もっと面白い文章を書こう、もっと上手になろう、私が書きたいこと書こう。そう思えるのも、決して「私だけ」だと叶わなかったことで、気づけなかったことで。

私が今生きて、頑張って行けているのは、私が書いて、あなたが読んでくれたから。「私だけ」の世界から、「私がいて、あなたがいる」と気づかせてくれて、ありがとう。


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