No.452 どうしようもない強がり

今日、人との別れがあった。人の死とか恋愛とかではない。それでも近しい人との別れ。いろんな理由があって、別れる理由は私から伝えられなかった。別れることさえ、本人は知らなかったかもしれない。

別れの瞬間にも立ち会わなかった。相手が整理できてないかもしれない気持ちをさらに混乱させることはないから。もう二度と会えないかもしれないとは思わせたくないから。とか、耳障りの良い理由を自分に言い聞かせた。

嘘だ。本当は悲しかったから。申し訳なかったから。そんな自分の気持ちに向き合うのが怖かったから。

刻々と迫る別れに向かっていく時間の中で、私は何も手に付かないほど動揺をしていたのに、動揺していないフリをした。じわっと目頭ににじんだ涙をなかったことにして、無理矢理引っ込ませた。涙をこぼさないようにした。

この決断が正しいのかはわからず、だけど「きっと良い方向に進むよ」と、どちらに転ぶかわからないのに良い方ばかり見据えていたのも、煩わしさを感じた自分への罪悪感を少しでも減らしたかったからだ。ろくでなしだ、私は。

自分で感情を整理できなかった。「さよなら、またね。元気でね」そう言えば良かったのに、最後に顔を見せれば良かったのに、私はそうしなかった。勇気がなかった。顔を見たら泣きそうで、泣きたくなかった。だからさよならと言えなかった。そのまま別れてしまった。

なんで、どうしようもなく強がってしまうのだろう。バカみたい。本当に本当に自分はバカみたいだ。大げさじゃなくて、本当に永遠の別れになるかもしれないのに。


そういえば、と昔の自分を思い出した。小学生の頃、感動的なドラマを家族で見ているときに、母がぼろぼろと泣いていた。私にとって母は“強い”存在で、今まで涙を見たのは身内が亡くなった一度だけで、そんな母が泣いているのに動揺してしまった。

当の私も泣きそうになっていた。でも、当時の私は「泣くのは恥ずかしい」と勝手に思っていて、ぐっと涙をこらえて、無理矢理引っ込ませた。

さらに、「こんな展開になるわけないよね」なんて強がって憎まれ口を叩いた。“泣く”とは真逆の行動を取ることで、泣きそうになった自分を帳消しにしたかったのかもしれない。

母は私をキッとにらみつけた。母は何も言わなかったけど、「心ない子だ」と思われたんじゃないか、と私は勝手に思った。心ないわけじゃないのに、そんなこと思ってるわけじゃないのに、強がってしまう。素直に泣けるのは自分らしくないなんて、どうして思ってしまうんだろう。


あの頃と比べたら、素直に感情を出せるようになったと思っていた。でも、今日の私はあの頃となんにも変わってなかった。どうしようもない強がりで、大切なものをこぼしてしまったような気がする。

思い切り泣けば良かったのに。「ごめんね」と言えば良かったのに。「すぐ会いに行くね」と言えば良かったのに。別れを惜しんで、姿が見えなくなるまで手を振り続ければ良かったのに。私は何もしなかった。しない、という選択をした。バカだ、と思う。

どうしようもなくて、でも誰かに言えるわけじゃなくて、身近にいる誰かにはやっぱりどこか強がってしまいそうで、noteに書いた。

ごめんね。今の状況が良くなったら、絶対に会いに行くね。さよならじゃなくて「またね」と言うね。私を思い出してくれる何かも持っていくね。もしかしたら、私をいつか忘れてしまうかもしれないから。私は何もなくてもあなたを思い出せるから大丈夫。本当にごめんね。

今、やっと泣けた。

2020年3月15日(日)

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