見出し画像

No.547 火中の栗は拾わないけど、安全に取った上でじっくり味わいたいと思ったりもする

栗が好きな、フリーライターのaoikaraです。

ほくほく甘いの大好き。同じ理由でさつまいもも好き。でも、今日の話の栗は実体ではなくて、比喩的なやつ。

火中の栗を拾うと、火傷する。火傷が怖くて、「あ、栗だ」と思っても、見なかったことにする。そうする方が安全だと見てきて、覚えてきたから。拾ったら危ないよって、体が覚えてる。

燃え上がっている栗を見て、拾っている人を見て、もやんもやんといろんな感情が動いて私も拾おうかと気持ちが揺れ動くけど、やっぱり拾わない。火傷は怖い。

だけど、大事なことまで見なかったことにしてる気がして、そんな自分にも、もやもやとはする。


最近、よくわからなくなってしまっている。多くの人が怒りや批判をぶつけていることに対して、「でもなぁ…」って心の中で勝手に相手の立場になって、怒りや批判から遠ざけようとする。

でも「批判する」も「かばう」も火中にあるから、火傷したくないし結局どちらもしない。怒りもしないし、怒らない考えもあるよねとわざわざ言わない。何もしない。

客観的に見て、そのことに対して興味も関心もなく何も思わない、という姿勢に見える。そうではないけど、そうではない言って火傷するなら、そう思われていてもいいかと尻込みする。


私は全てのことに怒りや批判がわかなくなったのかなと思いきや、そうでもなくてちゃんと怒ることもあって、むしろほっとする。同じように怒っている人を見ても、ほっとする。

でも、これずるい。だって怒ってる人は、ちゃんと責任持って自分の言葉や怒りだと主張してる。でも、私は主張はせずに、自分と同じ感情を見つけてほっとしてるだけ。

匿名でひどいことをするのは卑怯だ、なんて言われているけど、匿名でひどいことをするのを匿名で見る、なんてのはもっと卑怯なのかもな、と自分に思う。


リアルでも、ここでも、人が見ているところではきれいでいようとする。きれいでありなさいと、裁かれているような気がするから。誰かに、大衆に?でも私もその大衆の一員で、私の中にも、きれいでありなさいと誰かに裁く気持ちもあるから。だから、自分も無意識に裁く。

でも、自分の卑劣さとか卑怯さとか、自分だけは絶対に気づいているよね。人間はきれいなところばかりじゃなくて、醜いところもたくさんあって、そこも愛しかったりするじゃんか、と思っちゃったりする。

だから誰かの、いわゆる一般的にはダメだと言われることに対しても、かばうというか責めるだけじゃない気持ちを抱いてしまう。心から本当にそういう気持ちがあるのも本音で、たぶん自分のダメさも知ってるから誰かに同じように思われたいというのも本音。

つまり、同じように怒れなかったり批判できなかったりするのは、私も自分の醜いところを怒られたり批判されたりしたくないからんだろうな。でも、自分のことは怒られても批判されても仕方ないとは思っているんだよ。ただ、「つらい」「苦しい」と思ってしまうのもあるんだよ。つらいことや苦しいことは極力避けたいじゃん。だから、そんな本音。


何かしら思っていても、「火中の栗」レーダーが働いているのか、すさまじいスピードで「あ、これ言わない方がいい」って判断することが最近は特に多い。

火中の栗を拾わないのは賢いと自分で思いながらも、でも安全に取ってじっくりと味わってみたいとも思うのよ。栗に関心があるし。味は好きだし、比喩的な意味でも、気にはなるから。

でも火傷するだけじゃなくて、熱々やイガイガの栗を投げてきて「投げられても仕方ないだろ!」とか言われちゃうんだよね。すぐに「おまえは敵か!味方か!答えなければ投げる!」みたいな。

えー、栗食べたいだけなのに…ってなっちゃう。私みたいに、ちゃんとトングで取ってさ、軍手してさ、安全にイガイガ取り除いた上でじっくり味わいたいなって人もたくさんいると思うのにね。

火中の栗を拾う仕事をしている人は大変だと思う。立場上、火中の栗を拾ってる人もいるのに、それを理解しないで投げつける人もいるからな。

見てると、やっぱりそこに足を踏み入れられない。だから、遠くからモンブラン食べとく。ずるいんだけどさ。自分が“火中”になったとき、手を差し伸べてくれる人がいなくても仕方ないってことなのかな。


火をくべて、燃え尽きてしまったことを知って、ぞっとしてずーっとそのことばかり考えていた出来事も最近あった。でも、また燃え上がっているのを見るのに慣れてしまっている自分もいて、怖い。私から火をたきつけたりはしないけど。あのとき問うていた人たちも、一心不乱に火をくべている。怖い。で、端から見てる私も怖い。一生このファイヤー見てるのかな。

みんなでおいしく栗を味わえる世界が私の理想だな。今は小規模でしかないし、結局は小規模でしかないのかもしれないけど、おいしく食べる世界が少し広がってくれたらうれしい。

2020年6月18日(木)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?