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「甘えていいよ」で甘えられるわけじゃない

甘えたり頼ったりするのが、たぶんそんなに得意じゃない、フリーライターのaoikaraです。

甘えたり頼ったり、したいなとは思うんだけどね。いや、私は強くはないので、甘えるし頼りも全然していると思う。

でも、頑なにぐっと抑えてしまうラインがあるなと感じる。誰にだって抱えきれないものはあるし、相手にとってその領域になるんじゃないかと思うと遠慮するし、私自身も委ねる勇気がない。


それって、

「甘えていいよ」とか
「頼ってほしい」とか
「心開いてね」とか

言われてできるもんじゃないよね。いや、言ってくれるのは優しいと思う。反対に「甘えるな」って人もいるわけだし。それに比べたらよっぽど、というよりものすごく優しい。何でも受け止めるよって器が大きいから、ありがたいことだよ。そう言われることで「甘えてもいいんだ」と心を許せる場合も大いにあると思うし。

でも、

「甘えられる自分」とか
「頼られる自分」とか
「心を開いてもらった自分」とか

相手を思っての言葉じゃないときは、いや相手を思っての言葉なんだけど、言った本人も気づいてないけど実はそうじゃないときは、言われた側はあっさりと大事にされなくなってしまう。だから、甘えられないし、頼れないって思っちゃうんだよね。

許してくれる存在がいて、えいっと委ねてみようと思ったら、沈み込んでしまったり、かたすぎて反発してしまったり、全然身を委ねられなくて、自分で強く立っていようって思っちゃうときはある。

だから結局、委ねず、頼らず、甘えず、一人で立つ強さが欲しいと思ってしまう。でも、甘えたい。矛盾だらけだけど、どっちも真意なのよ。


相手からも感じるときがある。あ、この人にも頑なに開かない部分があるんだなって。ぴしゃっと扉閉められちゃうときある。それは私にもあるから、開けようとはしない。

どこか開けてほしいと思ってるけど、呪いを解いてほしいと思ってるけど、誰かに委ねたいけど委ねることじゃないと自覚してるから、閉じたままにしておく。

お互いを知って、自分が成長して、少しずつ少しずつ扉が開いてきて、ここは身を委ねられるなと安心してから、ようやく甘えたり頼ったりできるんじゃないかと思う。言われたからってできるもんでもないよね。


というわけで今、私を甘えさせてくれるのは、おいしい食べ物とお風呂と睡眠。健康に過ごして、なるべく長く、おいしさも心地よさも感じられる人生でいたいわ。

2020年10月25日(日)

No.673

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