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No.459 私が“苦手”なことが“得意”な人はすごい

子供は“苦手”なことがたくさんある。いわゆる“一人前”ではないから、何もかもを十分にこなすのは難しい。「克服しなさい」と何度も何度も繰り返して、“得意”になるまで頑張るか、あるいは“苦手”にはならないほどまで習得させられる。

でも、大人になっても“苦手”なことはたくさんある。子供の頃に克服できなかったことや、大人になってから苦手だと気づいたことまで、たくさん。人によって得意不得意があるから、苦手はあるものだ。“苦手”があるのが悪いわけじゃない。

でも、「できない」「わからない」「得意じゃない」っていう気持ちは、「こんなことも」という枕詞がついてしまって、劣等感を植え付けられてしまう。単に“苦手”という事実があるだけなのに、コンプレックスになってしまう。だから“苦手”を隠そうとする。

あるいは“苦手”を責めて、正当化しようとする。「こんなことができたって何の役にも立たない」「こんなことが得意な人の気が知れない」とかバカにする。たとえ自分が“苦手”だからって、自分をおとしめる価値がないと、“苦手”なことをおとしめることで安心する。

悲しいことだけど、自分の心を守ろうとすると、人は自分以外に残酷になる。他人のことじゃない。私だって、そんな心の動きをするときもある。

だけど、“苦手”は“苦手”なだけだ。ただ、それだけ。「やらない」という選択肢もあるし、やらなければならない状況ならラクな方法を考えるという選択肢もある。

誰にだって得意と苦手があって、たくさんの人が得意で自分が苦手だからって卑下する必要はない。逆に自分が得意で相手が苦手だからってバカにするのはみっともない。

指をさしたら、自分が指をさされる側になる。だから、指はささない。代わりにその手を広げて、拍手しよう。「すごい!」って。

私は、私の“苦手”なことが“得意”な人は、純粋に「すごい!」と思う。私は淡々と同じ作業をするのが苦手だから、いろんな作業を組み合わせて仕事をしてモチベーションを上げている。それを「単純作業しかできない」と罵るのはみっともない。集中力を持って同じ作業に淡々と取り組めるのは、それはすごい。本当にすごい。うらやましいと思う。

私は片付けが苦手だから、部屋をいつでもぴしーっと部屋をきれいに保っている人はとても尊敬する。私は前向きに考えるのが苦手だから、ポジティブな人は素敵だなと思う。私は絵を描くのが苦手だから、イラストレーターさんや漫画家さんや画家さんは上手に描けてうらやましい。

自分の苦手を認めることや、自分の苦手を得意とする人を認めることは、決して自分の価値を下げない。たぶん自分の価値が下がっちゃう気がするから、いろいろと認めたくないんだよね。

でも、いろんな人の得意と苦手が組み合わさって、社会が動いているから、得意も苦手もどっちも大事だと思う。どっちも認め合えたらいい。

だから“苦手”を見つけたら、劣等感を抱くし、コンプレックスにもなるけど、それを“得意”とする人がいたら「すごい!」と思える気持ちだけは忘れたくない。

2020年3月22日(日)


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