【短編小説】画面の中の出来事

空港に到着した。
キャリーケースが流れてくるのを、ぼんやりと眺めていると、回転寿司が食べたくなってきた。

相変わらず我が国は、清潔で美しい。
英語、中国語、韓国語、その下には点字の表記まで、他国からも愛されていることがよく分かる。
細やかな配慮には、頭が上がらない。痒いところに手が届くとは、まさにこのことである。


しかし、どうしたことであろう。
画面の中では、女性が発狂し、それを民衆が取り囲み、動画を撮る様子が流れている。

店員の態度が悪いからという理由で、小銭を投げつけ、携帯を向ける人に暴力を振るう。
平気で異物混入をする従業員の動画や、職員の職員らしからぬ動画が流れたりもする。
この頃の我が国は、どうやら何か、おかしくなってしまったらしい。
いや、本当は、以前からおかしかったのかもしれない。

長くここを離れていたせいか、起こることの全て、自分に関係があるような気がするし、無いような気がする。
明日は我が身のようでもあり、そうでないようにも思える。

コンビニの店員は、"ありがとうございます"と言った私にニコリと微笑みすらしなかった。
なぜ、そんなにも不機嫌なのかと、単純に疑問である。
笑顔で過ごしていれば、ブーメランのように良いことが返ってくるのにと、宗教じみた考えまでしている。

これは、もしかすると、現在の私の機嫌がすこぶるいいからかもしれない。
私が満たされているから、満たされていない人間の気持ちが分からないのかもしれない。

満たされていない人間は、些細なことで粗末に扱われたと怒り狂い、満たされている人間は"あの人は、どうしてあぁなのだろう"と理解に苦しみ、その溝はヒマラヤ山脈のセティ・ゴルジュのように深まっていく。

きっと、微笑まないあの人だって、初めからそうだったわけではない。
少しずつ何かによって、まるでオセロのように、色を変えていったのだと思う。
元々は白が優勢であったのに、今ではほとんどが黒になってしまったようだ。

こう聞くと、私のような高潔な人間は生きづらそうと思われるかもしれないが、仕方がないと思う。
下の者が上の者に合わせるのは、非常に難しいことであるからだ。

我が国の人々が全員、あのコンビニの店員のようにならないことを祈るばかりだ。
まぁ、いずれにせよ、画面の中の出来事は今の私には関係のないことである。


私は、流れてきたキャリーケースを持ち上げ、出口へと向かう。

今住んでいる国では、ゴミ箱の中は空っぽで、周りにゴミ溜めができる謎の現象が起きているが、ここは、ゴミ箱がないのにも関わらず、ゴミひとつ落ちていない。

時刻は夕方6時。
外は2月だというのに、春の夜のように暖かく気持ちがいい。
この時間の電車は、帰宅ラッシュで潰されそうだ。これだけはずっと変わらない。

駅に着いた。
人々は、ある法則で歩いているようだったが、あまりの人の多さに、その法則も崩壊していた。
周りが急いでいるせいか、こちらまで気持ちが焦ってくる。
すれ違いざまに、激しく肩がぶつかった。
振り返ったが、相手の男はそのまま行ってしまった。
またすれ違いざまに、鞄の角が私に当たったが、またしても相手は行ってしまった。

そして、私の前を1人の男が横切った。
その際、男は私の足を思いっきり踏んでいったので、私はとうとう糸がプツンと切れてしまった。
私は、男を追いかけ、その肩を掴んだ。

「君、あまりにも失礼ではないか。
人の足を踏んでおいて、謝罪ひとつなしか」

「あ?ふざけんな。踏んでねーよ」

「いや、この目で見た。君が踏んだ」

「離せよ!!じじぃ!!」

男の叫び声で、人々はぴたりと足を止めて、私たちはぐるりと囲まれた。
言い合いをしていると、駅員が仲裁に入ってきた。

翌日のタイムラインは"駅で発狂するおじさん"というタイトルの動画で溢れていた。

"日本終わったwwwww"
"なんか可哀想になってきた。普段いいことないんだな。"
"ADHDとか?"
"これぞ老害"

動画を開いた。

「お前ぇ!何撮ってんだぁぁ!撮るな!動画を消せっ!」

そこには、タイトル通り、発狂する私が写っていた。

画面の中の出来事は、どうやら、他人事ではなかったようだ。




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