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2月前半の日記

2022年2月1日(火)「力になること」の本質

2月になった。1月もあっという間に過ぎ去っていった。こんなふうに言語化して残していかないと、大切なことまで流れてしまうような気がする。

2月10日は私立高校入試、2月16/17日は公立高校前期入試の日だ。私は中3受験生を多く担当しているので、「ついに2月か、高校入試まであと少しだ…!」とちょっぴり緊張気味になる。ここ1ヶ月間、毎日どこかしらの入試問題を解いている。各学校の英語・数学・国語・社会の入試傾向が把握・予想できるくらいには。

生徒と関わるとき、よく、「力になる」とはどうすれば良いのだろう、と思う。もちろん、「勉強を教える」ということはわかりやすい「力になること」の手段のひとつである。しかし、全てを教えてしまっては、生徒の成長を妨げること(考えるというプロセスを奪うこと)につながるので、マイナスに働くことにもなりうる。主体は生徒であり、先生はあくまでサポートだ。

私にとっての「勉強」に関する生徒へのスタンスはある程度確立してきたが、その他のこと-たとえば進路相談や人間関係の悩み相談など-は未だに迷いながらやっている。寄り添いながら話を聞く、それ自体がその子にとって良いときもある。「話を聞いてもらったら気持ちが軽くなった」と言ってもらえることも多々ある。一方で、明確な解や方向性を欲している場合もあって、そういう子に対してどこまでのことができうるのか、模索しながらの現在である。

大学時代の塾講師4年と教員3年、塾に戻って今年度1年という、教育に携わって計8年。力になるとはどういうことか、ずっと考え続けている。生徒の力になりたい。でも、手段が正しいのか分からない。8年間迷いながら、葛藤しながら、やってきた。生徒のためと言いながら、もしかしたら、私のエゴなんじゃないか、とも思いながら。

今日も、宿題忘れの生徒に怒ってしまった。宿題忘れの理由をたずねると長々と出てくる言い訳。力にならないよ、と怒る。あなたの力になりたいよ。

2022年2月3日(木)ナナメの夕暮れ

オードリーの若林正恭さんのエッセイ『ナナメの夕暮れ』を読む。久しぶりに本を読んだ。最近、あまり本が読めなかったのだ。いっときは1日に1冊読むほど読書が好きだったというのに。仕事が終わって帰宅し、湯船で本を開く。本の世界に入ってゆける心地よい感覚。

第一ボタンを何の疑問も持たずにしめられる人は、きっと何の疑問も持たずに生きていける。だけど、疑問を持ってしまう人は「自分探し」と「社会探し」をしなければ、「生き辛さ」は死ぬまで解消されない。自分は何が好きで、何が嫌いか。自分が何をしたくて、何をしたくないか。「めんどくさい人」と言われても「考え過ぎ」と何度も言われても、この国を、この社会を、この自分を、解体して解明しなければ一生自分の心に蓋をしたまま生きることになる。
若林正恭『ナナメの夕暮れ』

わかる。全力で共感できる。
私もよく「考え過ぎだよ」と人から言われるのだが、その度に不機嫌になってしまう。「考え過ぎ」はやめようとしてもやめられるものではない。もうすでに考えてしまっているのだ。同じような人種がいることに安堵する。

人のエッセイを読むと、安心する。自分の思考は間違ってない、とか、仲間がいる、と思う。若林さんは、「考え過ぎ」や「ネガティブな思考」あるいは世界をまで肯定しようとしている。肯定されてゆく過程で、ちゃんと、息を吸える感覚になる。

ちなみにこのnoteは、若林さんと山里さんのお笑いライブ『たりないふたり』の音声を聞きながら書いている。

「たりなくてよかった」と胸を張って言いたい。そう思った途端、もしも自分がたりていたら得ることができなかったもの、たりないことで得ることができたこと、それらが頭の中にとめどなく溢れ出てきた。その瞬間、ライブのオチは決まると確信した。
若林正恭『ナナメの夕暮れ』(文庫版のためのあとがき)

自分に自信がなくなったり、不安になったりしたら、思い出そう。お守りのように持っておこう。たりなくても、いやたりないからこそ、得られるものがあると。

2022年2月4日(金)未来は明るい

「なあなあ、聞いて」と高校時代の友人に連絡する。気軽に連絡ができる相手がいることは本当にありがたいことだ。「人生を味わいたいわ」「達観してるな」「煩悩だらけよ」みたいなラリーが続く。年齢を重ねても言い合っていたい。

怒るとしたら自分の大事な人、分かってもらいたい人に対してだけ発揮したいと思ってて。これからも関係を続けていきたい人。それ以外の人はどうでもよいのよ〜

と彼女が言っていて、思わず「最高!」と思う。私も怒るという感情は、大事な人にだけ使いたい。大事とは思えない、傷つけてくる人とは、距離を取る。自分の心を守るために。人生は有限だから、エネルギーは使いたいと思える人に使いたい。

彼女とやりとりをしていて、ふと思う。「めちゃくちゃいい人生の歩み方してるのでは? 私たち」と。私たち最高だね。未来は明るい。

***

そういえば昨日で算命学における天中殺の期間が終わった。占いを今までそんなに信じなかったけれど、「2020年2月4日から2022年2月3日の2年間は天が味方してくれない。波乱の2年間だよ」と2年前に言われて、信じざるを得ないくらい、本当に波乱の2年間だった。絶望的な出来事がいくつか起こって、暗闇の中にいた気持ちだった。(思いがけないくらい嬉しい出来事もたくさんあった。嬉しかった出来事は、暗闇に消されてしまいそうになるが、忘れたくない出来事ばかりだ。宝物として大事に取っていたい。)

そんな波乱の2年間がやっと明けた。何の根拠もないけれど、やはり明るい心持ちがする。なんだか、これからやってくる未来が楽しみだな。思わず、にやけてしまう本日であった。

2022年2月6日(日)村上春樹とチェーホフと濱口竜介

先週あたりから、映画『ドライブ・マイ・カー』をもう一度見に行きたいという衝動に駆られる。一度見るだけでは受け止めきれなかったものがたくさんある気がした。もっと味わいたい。第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞ほか多数の賞を受賞したこともあって、ありがたいことに今でも上映している映画館が多数ある。

映画『ドライブ・マイ・カー』の原作は、村上春樹の『女のいない男たち』に収録されている短編「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」である。また、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』が映画中の演劇に出てくる。二度目の映画を見に行く前に、こちらを読み返す。

どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃいけないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。
村上春樹「ドライブ・マイ・カー」『女のいない男たち』
おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。
村上春樹「木野」『女のいない男たち』

私は村上春樹の紡ぐ言葉が好きだ。日本語という同じ言語を持ち合わせているのに、このような表現が可能な村上春樹は唯一無二の存在だと思う。村上春樹の文章のほとんどは、話の本筋に関係がない。修飾である。効率的なものを求める人(ビジネス書や自己啓発本を好む人)からすれば「無駄」であろう。しかし、私はその一見無駄に見える修飾が好きなのだ。逆説的に言えば、生きる上での本質なのである。そもそも、「文化」というものは、そういうものかもしれない。

『女のいない男たち』の中で印象深い一節は、上記に引用した箇所だ。映画にもどちらも取り入れられている。この本を初めて読んだとき、私は傷心の最中であったためか、言葉たちが私の心に突き刺さった。「木野」の文章は映画内でこのように表現されている。

僕は、正しく傷つくべきだった

と。私もまた「正しく傷つくべきだった」と思った。自分の心を本当の意味で守るために、自分の心にもっと耳を傾けるべきだった。

そして、『ワーニャ伯父さん』をも読む。これは、ロシアを代表する作家チェーホフによる四大戯曲の一つ。1897年に地方で初演され、翌年モスクワ芸術座の上演で成功を収めた。絶望に陥りながらも死ぬことではなく、苦悩に耐えながらも生きることを選ぶ登場人物たちの姿を通し、人生とは、幸せとは何かを観る者へ問いかける演劇史上の傑作。

なぜだか分からないけれど、失意の中にあるワーニャのこのセリフが印象的だ。

もしおれがまともに暮してきたら、ショーペンハウエルにも、ドストエフスキイにも、なれたかもしれないんだ。
チェーホフ『ワーニャ伯父さん』

そんなワーニャに声をかけるソーニャのラストのセリフが響く。

でも、仕方ないわ、生きていかなければ。ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。
チェーホフ『ワーニャ伯父さん』

自分の心に目をむけ、つらいことをつらいと自覚し、それらを繰り返しながら、この先も生きていく。村上春樹『女のいない男たち』と、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』の両作品に通ずる点である。

このような壮大で繊細な世界観を持ち合わせる作品を、映画化してしまう濱口竜介監督は、なんという偉業を成し遂げたのだろうか。

私は、好きな原作の映画化はあまり好きではない。原作を超えないからだ。映像になることによって、ディテールが省かれてしまう。深く味わうべきシーンがあまりにも淡々と短く描かれていると、悲しくなってしまう。

しかし、濱口竜介監督が描く『ドライブ・マイ・カー』は、期待を裏切らないどころか、軽やかに超えていってしまった。一度目の鑑賞でも「ああ、村上春樹だ…!」と思うくらい、村上春樹の世界観がふんだんに散りばめられていた。
また『ワーニャ伯父さん』は多言語演劇として演出されている。登場する言語は、日本語、韓国語、韓国語手話、タガログ語、北京語と多種多様。特に韓国手話によるソーニャの「生きていきましょうよ」は、発する言葉以上の重みがあった。

そして、撮影された広島や瀬戸内海も本当に美しかった。一度目の映画の鑑賞のあと、瀬戸内海を見たくなって広島へ一人旅をしたくらいだ。

一度目とこの二度目の映画鑑賞の間に、濱口竜介監督のことを知る機会が多かったのも良かった。濱口竜介作品『偶然と想像』『寝ても覚めても』を見たことによって、この監督は、表現のディテールに意味を持たせる人なんだな、と知った。あらゆる表現に意図が含まれているというのは、見ていて楽しい。解釈の余地があるからだ。味わい深い。

二度目の映画鑑賞は一度目よりもいっそう、村上春樹もチェーホフも濱口竜介も、感じられる鑑賞となった。

素晴らしい作品に触れる機会に恵まれて幸せだな。そもそも、このような深みのある作品を楽しめる力が、自分に身についているのに気づけたのも嬉しい。このような作品を、味わい楽しむために教養を得てきたと言っても過言ではない。あらゆることを学んできて良かった。そうしみじみ思う日曜日であった。

2022年2月12日(土)違ったとしても

大学時代の友人と飲みに行く。このご時世もあって、最近は人と飲む機会が滅多にないので、なんだか嬉しい気持ちになる。

16時に河原町に待ち合わせ。「5分くらい遅れるかも」と連絡が来る。彼女の遅刻はよくあることなのでたいして気にもせず、河原町のマツキヨでコスメを見ていると、時間通りに「そろそろ着きそう」との連絡が。彼女が時間通りに来るなんて珍しい。

なぜ待ち合わせの話をわざわざ取り上げたのかというと、飲んでいる最中、この「時間に対する価値観」の話で盛り上がったのだ。4年前、別の友人Yが遅刻した際、Yに対して私はめちゃくちゃ怒ってしまった。その経緯を知っていた彼女はそれ以降、私との待ち合わせに敏感である。今日改めてその話をすると彼女は、「あおいちゃんには嫌われたくないからできるだけ遅刻しないように気をつけている」、一方で「大幅に遅刻してしまう癖は昔からで、普段は遅刻に対してあまり罪悪感を持っていない」とのこと。

それに対し、私は事情がない限り遅刻をしないし、4年前にYに対して怒ったのは「私の時間に対して軽んじられていると感じた」からである。私の価値観は何に起因するのだろう。理由を探るため過去を振り返る。行き着く先はやはり家族。育った家が時間に厳しかったからだ、と思った。

思い出すのは、まず小学2年生のとき。放課後教室に残って友人と喋って時間を過ごしていた。急にドアが開く。慌てた担任がやってくる。「あおいちゃん、おばあちゃんが心配して学校に電話してきたよ。早く帰らなきゃ。」と。放課後に残る時間が好きだったけど、時間通りに帰らなきゃいけなくなった。

あるいは高校1年生のとき。レベルの高い高校に入学したので勉強についていくために必死で、休日にカフェで勉強していた。集中していたためか、気づくと夜19時に。携帯を見ると母から連絡が入っていた。「今どこにいるの?」と。集中して勉強することは良いことだから褒められるとばかり思っていたが、連絡をしなかったことで母を心配させてしまい、挙げ句の果てに帰宅したらとてつもなく怒られた。10時間勉強していたことさえも信じてもらえなくて、実は遊んでいたんじゃないかと責められた。

上記の2件の出来事は、家族が私のことを心配して起こった出来事だということはわかっている。わかってはいるが、私にとって時間を守らないこと・連絡をしないことは、家族を裏切る行為となり、怒られる対象であり、恐怖の経験として残った。

この原体験の話をすると、彼女は「うちと全然違うな。私の母親は時間にルーズな人だったし、母の遅刻しても許される姿を見てきたから、だから遅刻に対して罪悪感がないのかも」と言う。

価値観は育った環境に大きく影響しているなと思う。実家から出た後の後天的なもの、のちに修正された価値観も多く存在するが、実家で形成されたものはやはり大きい。

彼女と私とでは育った環境が異なっているため、価値観もかなり異なっている。それでも約7年、友人として続いているのは、彼女が私を尊重してくれているからであるし、その逆も然りだからである。私は彼女に価値観を押し付けようと思ったことは一度もない。自分と違ったとしても彼女は彼女として在って素敵だと思っているし、私もまた私自身として軸があるから迎合もせず、「違うね〜」と言いながら違いを楽しんでいる。

彼女が「あおいちゃんのこと好きだし、尊敬しているし、失いたくない」とことあるごとに言ってくれる。他者の心の中に自分がいるという事実が、とてつもなく嬉しい。
いつも、彼女が私に対して最大限の敬意を払ってくれているのがちゃんと実感できるから、私は安心して話すことができる。私もあなたのこと、好きだし、尊敬しているし、失いたくないと思っているよ。彼女と飲んで話す時間は、人生の楽しい瞬間だな、と思う。

彼女とのように違う価値観を持ち合わせていても友人として在り続けられることは本当にありがたくて、むしろ「伝えたけど伝わらなかった」ということの方が往々にしてある。前述したYもそうで、4年前に私が怒った一件以降、Yは私に対してよそよそしくなって距離ができた。2/4(金)のnoteにも書いたが、私は「怒るとしたら自分の大事な人、分かってもらいたい人、これからも関係を続けていきたい人に対してだけ発揮したい」と思っているし、当時も思っていたが、結果的には関係は途切れてしまった。

伝わるには時間を要する。結局のところ、その人が気づくタイミングでしかその人に届かないのだ。その人が気づかなかったら、いつまでも届かない。

いつか、Yに届くといいな。Yは私にとって大切な友人だったし、本当は関係性を続けたかった。でも、私1人の意思じゃどうにもならないから、いつか気づいてくれたら、と願うことしかできない。友人で居続けることは案外難しい。お互いの意思と尊重の努力がないと続かない。意思を持ち続けること、尊重の努力をすることは、サボっちゃいけないところだな、と思う。

ちなみに、価値観がかなり異なる彼女だが、共通して一致したことがある。それは、文末に(笑)を多く使う人のことが苦手だということ。(笑)に頼って言い訳しようとするなよ、誠実に自分の意見を言えよ、というのが私たちの共通の価値観である。「今日とかどう?笑」は最悪な口説き文句だ。(笑)に逃げるな、断られて傷付くかもしれない事実から逃げるなよ。

傷付く可能性を持ちながらも、誠実に向き合ってくれる人と関係性を続けたい。それができる相手だから、私は彼女が好きだなと思う。彼女が友人としていてくれて本当に良かった。



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