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近代化と孤独

高校生のとき、現代文の授業で夏目漱石の『こころ』を読んで、「ああ、このひとは孤独なひとだ」と思った。
分かり合いたいのに分かり合えない、そんな気持ちが滲み出ていて、寂しさを享受しているひとだと思った。

“私はさびしい人間です。自由と独立とおのれに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。”
“私は死ぬ前にたった一人で好いから、ひとを信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか。”

日本では江戸時代から明治時代にかけて大きな変革があった。
西洋から輸入されたさまざまな概念は、人々の思想や行動様式を一気に変えた。近代化していく中で、日本にも「個人」というものの概念が生まれた。
江戸時代までは個よりも共同体が重視されていた。江戸以前は生まれながらにして職業は確定しているから、「自分が何者であるか」など悩まなくても良い時代であった。しかし、近代化した日本において、人々は「自分が何者であるか」という問いに直面していくこととなる。

アイデンティティの揺らぎに直面すると、とてつもなく苦しい。何者にでもなることができるぶん、責任を伴う。自分で自分の人生を背負うことになる。
この苦しみはわたし自身、身をもって大学時代に経験した。一時期は外へ出ることや人と関わることさえ億劫になったほどで、自己に対する悩みや葛藤を抱え、足元がぐらつくような感覚であった。自己と向き合う時間があったから、いまが形成されている。あって良かった時間だと心から思う。しかし、あの頃はほんとうに苦しかった。


近代化によって、時間の概念もまた変化した。江戸時代はゆるやかに時間が流れていた。江戸時代までは時間を表すものとして、十二支が使われてきた。一日をまず十二個に分ける。子の刻や丑の刻など。一刻あたり約二時間。約二時間、といってもだいぶ曖昧なもので、各家には時計がないので、お寺の鐘の音を聞いて、時刻を知る。お寺はどうやって時間をはかっていたかというと、線香の減り具合で見ていた。なかなかに曖昧だ。幕末に来た外国に「日本人はルーズだ」と言われてしまうくらいに。二時間の遅刻は遅刻ではなかったらしい。
しかし、明治に入り、現在の時計が導入された。「時間を厳守すべき」ということを福沢諭吉らが訴え、電車の開通とともに人々に「時間を厳守すべき」が浸透した。時間を区切り、労働や勉強をさせること。国民を管理するために便利な概念であった。しかしまあ、時間というものは人を苦しめることがある。
わたしは基本的に遅刻をしたことはないし、締め切りに遅れたこともない。上手に近代の波に乗り切れているように思う。それでもたまに、雁字搦めになってしまう。ゆったりとした時間を過ごしたいと思ってしまう。正確すぎる時間の区切りが、たまに息苦しくなってしまう。


時間だけでなく、日付を表すさいも十二支が利用されてきた。十二支は古来、「甲子」「丙午」のように、十干と組み合わせて用いられてきた。十干十二支を合わせたものを干支(「かんし」または「えと」)といい、干支(十干十二支)が一巡し起算点となった年の干支にふたたび戻ることを還暦という。日本史をしていると、ナチュラルに干支が史料に出てくるので無意識になりがちだが、先日「還暦」の由来が干支だということをふと伝えると驚かれたことがあった。言語化していくうちにこういうことが起こりうるので面白い。


さらに近代的資本主義は、大量生産・大量消費をもたらした。便利になってゆく世の中で、人間関係が希薄になってゆく。最近友人から教えてもらって知った言葉として、「ハイコンテクスト」「ローコンテクスト」がある。

ハイコンテクスト(high-context)とは、
コミュニケーションや意思疎通を図るときに、前提となる文脈(言語や価値観、考え方など)が非常に近い状態のことで、 民族性、経済力、文化度などが近い人が集まっている状態である。

江戸時代の共同体はこれに当たるのではないだろうか。

ローコンテクスト(low-context)とは、
コミュニケーションがほぼ言語を通じて行われ、文法も明快かつ曖昧さがない状態であり、英語がその筆頭である。文化や価値観が違うことが前提で、一から十まで全てを説明する。

西洋の概念が輸入された明治期というのは、ハイコンテクストからローコンテクストへの移行期なのではないだろうか。わたしは、理解をしてもらうためにもよくローコンテクスト的に文章を書く。「わたしは、」とわざわざ主語を明確化しているのも、そのためである。だけれど、言葉で全てを説明仕切らなくても良いハイコンテクストをほんとうは求めていたりする。ありがたいことに、少し話すだけで十を分かってくれる友人がいる。あの理解力はほんとうにすごいと思う。エスパー?と思ってしまうが、その友人と長い間たくさんの話をしてきたからこそ分かり合えているのだとも思うし、前提としている価値観が似ているからだとも思う。他者は他者であると割り切りながらも、溶け込むようなハイコンテクスト的な関係を求めてしまう。

しかし、言葉足らずで分かり合えることは稀で、基本的には一から説明しないといけない。仕事ではもちろん一から報告・連絡するし、タスクは明確でないといけない。「はじめまして」の場では、お互いのことに関して説明が必要になってくる。大学時代から割とイベントを主催したり参加したりしてきたが、新しい人と出会うのは刺激あるぶん、自分を知ってもらうことや相手を知ろうとすることにかなりエネルギーを使う。「えー、そうなんですねえ、すごいですねえ」とへらへら笑いながらどこか寂しさを抱えながら場を流すことも何度もあった。もちろん、新たな場での出会いによって、今こうして本を書こうと思えたり、出版したりすることができているのだから、人見知りながらでも新たな場に顔を出していった自分は褒めたいと思うし、そうした初対面の場を否定するわけではない。

また、いくら分かり合える相手だと思っていても、他者は他者であるのだから違うことも出てくる。そうした時に、ちゃんと話し合えたり向き合えたり認め合えたりすることも重要な点だと思う。そういう意味では、ローコンテクスト的な姿勢も忘れずにいたい。

話は戻るが、明治期というのは、ハイコンテクストからローコンテクストへの移行期なのだと思う。そして、夏目漱石が感じ取っていた寂しさというのがまさにこの移行の弊害なのだと思う。

我々は自由を獲得した。何者にでもなれる自由。しかし、それには不安も付き纏う。自分で切り拓いていかねばならないという、強さも持ち合わせねばならなくなった。何事をするにも責任も持たねばならない。気持ちが強く在れるときは良いかもしれないが、一旦不安定になると、寂しさでいっぱいになる。そんなにときに信用したい一人が欲しいと願ってしまう夏目漱石の気持ちが痛いほどわかるのだ。

“あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。”

と、つい、懇願してしまいたくなる気持ち。わたしもまた、そんなひとを求めてしまっている。あなたはなってくれますか。


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