愛しのやきいも

最近は全然来なくなったが、昔は夜になるとよく石焼き芋の販売車が町を走っていた。
マンガなどでは定番のものだが、夜に走っているものだから子どもの頃には実物を見たことがなく、憧れていた。

母親に買ってみたいと言うと、高いからダメだと言われた。たしかにスーパーの惣菜売り場に売られているものと比べるとだいぶ高いのでもっともな意見だ。かといって焼き芋をスーパーで買うことはなく、我が家で出るさつまいものおやついえば、もっぱらふかし芋だった。そうなると焼き芋を食べる機会なんて全くなく、憧れの気持ちが強くなるばかりだった。

ある時母から、次に石焼き芋が来たら買っていいよとお許しが出た。焼き芋が食べたかったのか、社会経験を積ませようとしたのか、真意はわからないけどともかく嬉しかった。
数日後、いよいよその時が来た。夕食を終えた19:00ごろ、石焼き芋の声が聞こえた。私は母に「来たよ」と慌てて告げ、1000円を預かった。そして家を飛び出した。門限をとうに過ぎた、真っ暗な夜の道を、恐れもなく懸命に走った。だが、追いつけなかった。私の家は通りから一本入ったところにあり、石焼き芋の販売車は路地から子どもが懸命に走ってくるのなど知らずに真っ直ぐと進んでいってしまったのだ。
私は泣いた。悔しくて泣いた。車に追いつけなかったこと、焼き芋を食べられなかったこと、チャンスを活かせなかったこと。色んな思いが押し寄せた。1000円を握りしめ、悔し涙を流す私が帰宅すると、母は笑っていた。クレープの時もそうだが、ケンカで涙を流したわけではなく、食べられなかった悔しさで泣いているのが平和で面白いのだろう。私はこんなに悲しくて悔しいのになんでわかってもらえないのだろうと、しゅんとした気持ちで眠った。
翌日のおやつは焼き芋だった。なんだかんだいって用意してくれるのが母の優しいところである。本当は焼き芋の販売車から、熱々の焼き芋を買ってみたかったが、母が私のことを案じて焼き芋を用意してくれたことが嬉しくて、少し溜飲がおりた。苦くて甘い、焼き芋のような思い出だった。


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大人になった今こそ買ってみたいのに、全然売りに来なくなったので、今だに焼き芋未経験です。あと、ラーメンの屋台も食べたことがないので、もし来たらダッシュで買いに行きたいです。門限もお金の心配もないってすばらしいことです。



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