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小説:Backwash Detonation 001 プリミティブ・コンストラクト

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」
− 蝉丸 −

00 Re active

目覚めてから最初の一呼吸。
清々しい新鮮な空気とは裏腹に私の周囲では重苦しい空気が漂っていた。
周りの景色の白さから私は病院にいるようだった。事故?怪我?病気か?
押し寄せる疑問に私は体を起こし、自身の健全性を確認しようとした。

少しぼやけた視界に声が迫ってきていた。
心配そうな女性の声で
「・・・霧島さん」
名前を呼ばれた方を見たが、知らない女性が近くに立っていた。
まだはっきりしない視界。茫然としていると今度は男性が視界に入ってきた。当然、この医者らしき人のことも私は知らない。
「意識は戻ったようですね。霧島さん」
「・・・」
口を開いたが、うまく声を発することができない。
喋ることをド忘れてしまった。とりあえずうなずいてみせる。
「ご自分の名前はわかるようですね。無理せずに」
医者は白衣のポケットからペンを取り出し
「これが何かわかりますか?」
私がうなずくと次は今いる構成次元はわかりますか?と聞いてきた。
なんとも馬鹿らしい質問だった。
ここは第三構成次元のアジアグループ、転送都市ポートシティ
昔は新嘉坡と呼ばれていた、かつての明るい独裁国家。
医者はまだ喋ることができない私にデスクにあった手帳とさっきのペンを渡してきた。
今時、紙媒体のツールは珍しい。だがいい趣味だ。
ペンを受け取ると手帳を開いて、頭の中の答えを書き綴る。幸い手は口より自由に動く。字は上手な方ではなかったが、内容に自信はあった。
それを見た見知らぬ女性は驚き口を押さえ、医者は口を真一文字に結んで目を瞑った。
そんなに驚くことはないだろう。人の書いた字がそんなに珍しいのか。
「霧島さん・・・」
なぜかこの医者に名前を呼ばれる度、気分が沈む。
「落ち着いて聞いてください・・・あなたは記憶を盗まれてしまっているようです」


01 No name

不覚にも意識が飛んでしまった。
医者がそれから何を喋っているか全く耳に入らなかった。
(おそらく私がこの病室に至るまでの経緯の説明だったと思う)
目覚めた時よりも戻ってきた視覚で手帳を見つめ、それに反して茫然とした手は勝手に緩み、ページがパラパラ捲れると【TOKIKO.KIRISHIMA】の文字が裏表紙のページ下部に現れた。
「そのペンも手帳も、あなたのモノです」
もういい。今は、それ以上聞きたくない。
「霧島さん」
「・・・もういい!」
ようやっと口から言葉が出てきたが、想像より掠れた声でほとんど聞き取れない。受け入れられない現実を前にすると自分は怒り出すものなのか。混乱と恐怖で耳鳴りがする。やり場のない感情。
しかし、医者はお構いなしに次の質問を浴びせてくる。
また意識が飛びそうになる。
「どうか落ち着いて・・・。ここは第一構成次元の欧州グループ、構成都市プリミティブシティです。新言語ニュースピークスは喋ることができていますね。あなたはおいくつでしょうか?」
「十六歳」
掠れた声で即答した。しかし、医者の顔を見るにどうやら誤答のようだ。
それにしても、なんで私は第一構成次元の構成都市に?旅行にしてはつまらない行先だし、縁もゆかりもない。
「いいえ、あなたは現在十八歳です。それでは、この女性に見覚えは?」
十八歳?自分はハイスクールに入学したばかりのはず。
混乱する頭の整理が追いつく前に次の質問に答えなければならない。若干涙を浮かべ祈るように手を握り合わせている女性の方を見て、私は率直に答える。
「知りません」
女性は答えを聞くと泣き崩れてしまった。
・・・しまった。
「この方は宇佐綾乃さんですよ。あなたの・・・そうですね。所謂、同僚の方です」
少し言葉を選ぶような言い方だ。同僚?私はまだ仕事もしていない。
確かに宇佐と呼ばれた女性は大人びているが、私とどういう関係なのだろうか。
ぼやけた視界でさっきは気付かなかったが、よく見るとすさまじい美人だ。
宇佐のきれいな鼻の稜線を涙が伝って床に落ちた。
「失っている記憶は二年分で間違いないようです」
ふいに自分のOPUS※を探した。(私の記憶では)先週、新型端末にアップグレードしたばかりだ。ベッド脇の小机の上に置いてあるのを見つけ、手に取ると生体認証でロックが解除され動画配信サービスが起動した。
私自身が画面に映っている。それも大人数で歌って踊っている。
「これが今のあなたです」
驚いて動画に見とれる私に医者が手鏡を見せてきた。
自分が思っているより、大人びた二年後の【わたし】がそこにはいた。
気にしていた子供っぽい丸顔は少し線がきつくなり、前髪もぱっつんから軽く流すように変わっていた。




本当に意識が飛んでしまった。


OPUSオーパス:Object /Person Utility Systemの略。超次元情報通信端末のこと。


02 As real

私の覚醒からほどなくして、目もくらむような美人が訪ねてきた。
この病室は美人を引き寄せる何か特別な要素があるのかと、そう考えるのも束の間。
私はすぐに、この麗人が次元警察の捜査官であると知ることになる。
たおやかな指でOPUSを事務的に私の目の前にかざし身分を証明する。

『次元警察 特別犯罪捜査官 七国山 栞』

長い肩書だった。読みにくい名前。愛想や微笑みが欠落してしまっているのか、こちらの会釈には反応しない。氷にだってもう少し温かみがあるだろう。
凍てついた態度で事情聴取という名の取り調べはつつがなく進行し、医者から許されたタイムリミットの限界まで行われた。

「記憶泥棒をご存じですか?」

いくらニュースに疎い私でも『記憶泥棒』くらい聞いたことがあった。
そもそも、そのニュースを最初に聞いて間もない頃。とはいっても記憶の最後の断片が二年近く前では最近の話といえないが。
この話題は私の仕事関係、所謂”業界人”の間ではかなり有名なようだった。記憶を盗む突拍子もない犯罪者。
その最初の被害者が大人気女優のルイーズ・シルバーブレッドだったことは記憶に新しい。(約二年前のことになるが)
まさか私が三大犯罪者の一つの被害に遭うとは。
実は次元警察などの公的機関では存在を認められていない(ことになっている)。彼女なりのユーモアだとすれば氷塊並みに温かい。
しかし、私はこの取り調べマシーンに最後の方になってやっと人間味を感じ始めていた。
麗人は最後にこう言って去っていった。

「もし切るならボブくらいがいいわね。ではまた」

これも冗談だろうか?髪を切れとは?
他の構成次元の新言語ニュースピークスのスラングだろうか。新言語は次元ごとでスラングがよく飛び交うものだから。
率直に『生まれ変われ』とでも言われた気がした。不思議と取り調べの最中ほど嫌な気はしなかった。

私の仕事については例の宇佐綾乃が教えてくれた。
いくつかの仕事は疑似コンストラクト、つまり私の代理AIエージェントがこなしていることになっている。OPUSによって生体ログデータは常に更新されている為、肉体を必要としない仕事、つまり直接的なアイドル活動以外は代理AIが黙々と処理している。
生放送のネット番組ですらそこに私はいないのだ。巧妙に仕掛けられた映像トリックと高度な疑似コンストラクトが織りなす虚構を何百万というファンが見ていることに若干寒気がしたが、これでしばらくは自由に動けそうではあった(後にこの目論見は崩れ去る)。

そう私はアイドルになっていた。超次元アイドル、『Archetype12』の一員に。
全く覚えていない。それになった経緯も。なろうとした動機も。
事務所の社長からは『基本的には休業は認められないが、疑似コンストラクト稼働中は休業して良い』と実に温かい業務配慮を頂き、ほっとしているとOPUSにマネージャーから不穏な情報が飛び込んできた。
こういう時、残念な知らせも同時に届くことが決まっている。

OPUSのユーザーセンシング機能によって代理AIエージェントが二年分の記憶を失った【わたし】になりつつあるということだった。
しかも、期限は一か月。
それで世間に霧島 時空子キリシマ トキコは記憶泥棒被害に遭ったとバレてしまう。
バレてしまってはもう自由に行動はできないだろう。押し寄せる情報配達人メディアスキーターや旧来のマスコミの餌食になる。
この一か月をどう使うか思案していると、OPUSにマネージャーを名乗る人物からチャットが届く。
短い文章だったが私に必要な問いかけだった。

『これからどうする?トキコはどうしたい?』

このままアイドルを続ける気はなかった。
私は何よりも今置かれている状況について答えが欲しかった。


03 Fake as

それから数日が経ち、私はセミロングの髪をばっさり切った。
これまでの自分との決別。気軽に美容院にも行けないので、この思い切った断髪には宇佐綾乃に助けてもらった。(彼女にはかなり反対された)
ショートボブまで切って軽くなった頭にハンチング帽をかぶり、シャツにネクタイ、ベスト姿に身を包み。少し古風な新聞記者のような出で立ちに変身した。(OPUSはホルスター型のケースに仕舞い込んだ)
この姿で街を颯爽と歩いても誰も気が付かない。
私の優秀な代理AIエージェントは次のステータス更新まで公共の【わたし】を保ってくれる。
街のいたるところにArchetype12の異常なまでに拡大された拡張電子広告オーギュメントが流れていた。冷たい氷山の背景をバックにセミロングの髪をなびかせ歌って踊る【わたし】。

スクリーンショット (3)

公共の【わたし】の偽物となった私は、とりあえず他の記憶を盗まれた被害者に接触しようと考えた。
このまま何もせず期限の一か月を迎えることは、生来の好奇心が許さなかった。


04 Back up

記憶を失った私にとって宇佐綾乃という味方は心強かった。彼女には業界のこと、世界のこと、私自身のことを教えてもらった。何より上っ面の心配ではなく親身に私の相談に乗ってくれた。
この業界に虚構が多いことは疑似コンストラクトの件からも明白で、メディアで語られるほとんどの事柄が代理AI同士の合意によって作られたものだと知らされた。
そして、凄惨な競争社会であるということも。
私と綾乃はArchetype12のフロントメンバーだが、シャドウと呼ばれるバックアップメンバーがおり、虎視眈々とフロントメンバーの座を狙っているという。
他のメンバーの見舞いや連絡が無かったことからも事実なのだろうと納得した。
彼女が三つも年上なことにも驚いたが、多くの虚構が支配する業界で友達という関係であったと聞いた時は少しだけ涙が出た。
OPUSのチャットログは彼女とのやりとりが多く、目覚めて最初に「知らない」と言った事について深く謝罪した。

ちなみに私の家族は誰一人面会しに来ていない。
そのことを綾乃は言いにくそうにしていた。だからあえて聞かなかった。
これは私の家族の問題なのであれば、これ以上彼女に心労をかけるわけにはいかない。

そして、敏腕マネージャーの後藤忍。この人は頭がキレすぎる。
私がやりたいことを最優先で叶えてくれる。かなり広い人脈と強力な後ろ盾があるようだったが、これもあえて聞かないことにした。いつも絶妙のタイミングでOPUSに連絡が入る。
記憶を盗まれてすぐ仕事を代理AIへ切り替えてくれたのも彼女だ。
その彼女からOPUS CALLで着信があった。
「アロー、トキコ?元気?今から送る次元座標にルイーズ・シルバーブレッドがいる。覚えてないでしょうけど一回だけ彼女とネット番組で共演があるからね。次元移動の許可は取ってあるから。何か質問は?」
彼女はいつも矢継ぎ早だ。
「アロー、シノブ。ルイーズの件は了解。ありがとう。そっちはどう?」「社長が交代人員の選抜を始めてる以外は平穏かな」
「露骨ね」
「交代劇のシナリオも代理AIに作成させ始めてる」
社長には私がアイドルを継続する気がないことがなぜか伝わっているようだった。
経営のリスク管理の一環だとわかっていても、あまりいい気はしない。
「シノブは私に付いてて大丈夫?」
「私は自由契約フリーエージェント。やりたいことを、やりたいようにやるだけよ」
本当に機械か何かなのかと思うほど受け答えは淡々としていた。
「また連絡するわ」
そういうと忍はOPUS CALLをOFFした。


05 Transport with

忍から送られた次元座標の中身は第三構成次元のアジアグループ転送都市ポートシティのある場所。
まさか地元へ里帰りか。
私の記憶的には約一週間。綾乃の話では半年ぶりらしい。

まずは第一構成次元のポータルへ向かわなければ。近くの転送都市は欧州グループに一か所だけ。フライングスキッパーという弾丸鉄道に乗ることになる。
すでに忍によって最寄り駅までのルートと乗車チケットはOPUSにインストールされている。相変わらず仕事が早い。
フライングスキッパーの最上級座席エクシオールシートに腰を落ち着けると約三時間の旅が始まった。
座席の正面にモニターがありオープニングセレモニーが始まる。
この最上級の座席に深く腰掛けたことが災いする。
私はそのまま眠り込んでしまった。周囲に全く気付かれないが、気を張った旅路に変わりはない。

この時、まさか寝たことを後悔することになるとは思っていなかった。


06 In the dark

鏡張りの広い部屋の隅に女の子が何人か座っている。
綾乃の後ろ姿も見える。話しかけようとしたが声が出ない。
座っている固い板張りの床は冷たい。なぜだろう。座っているが妙に浮遊感がある。
そこで『これは夢か』、と気がついた。
床を手でコツコツ触ってみたが、誰もこちらに気が付かない。
それ以外何もできない。
おそらく、Archetype12のメンバーであるはずの女の子たちはじっと鏡を見つめている。
何もできないまま足を抱き寄せ、組んだ腕に頭を預けていると、一人の女の子が立ち上がって鏡の中に消えていく。
すると、次々に女の子たちは鏡の向こうに消えていった。
自分も続こうとして立ち上がると、後ろから誰かに呼び止められる。
入院していた病院、”あの”医者が立っていた。彼は無表情で自分の左手の鏡を指さすと下を向いてしまった。

鏡に映った自分を見て、声が出せないまま絶叫した。
全く知らない女の姿がそこにはあった。


07 Before arrival

飛び起きた。

車内に転送都市ポートシティ到着のアナウンスが流れ、列車が減速を始めていた。
一瞬、また記憶を盗まれているのでは、という恐怖が襲う。
OPUSがチャット通知を奏でている。私のマネージャーは悪夢からの帰還までわかるのか。
メッセージは『たぶん寝てると思うから、起きて』というものだった。
慌てて列車を飛び降りると、転送都市のごったがえしたホームへ投げ出された。
さすが転送都市。様々な人で溢れかえっている。普段は嫌いな人混みだったが、少し安心してしまった。
その人混みに身を任せて、駅の外へ出てOPUSを頼りにポータルへ向かうことにする。

転送都市は概ねどこも著しく発展している。
次元の往来は経済も文化も引き寄せる巨大な引力となり、構成次元の動きを制約していた。構成次元は広がると同時に質量を増し、鈍重になっていく。
十六(十八)歳の私でも感じている閉塞感。
持続可能な物質世界には取捨選択が起こり、精神世界も取捨選択される時代。
それを守るコミュニティ。それを推進する見えない力。
次元開放戦争によって国家は消滅し、多数のコミュニティによって世界は運営されている。
ハイスクールの授業を思い出しながら足早にポータルへ向かう。
陽が落ちて少し肌寒くなってきていた。

ポータルは各構成次元同士を繋ぐ装置のこと。もしくは、それが設置されている施設のこと。つい先日授業で習ったばかりだ。
十二ある構成次元をこのポータルで行き来できる。
もちろん移動には許可が必要で、申請から一週間の審査を経て許可を得ることができる。(でも忍は三日で取り付けてきた)
OPUSで認証を済ませ、簡易的な入場審査を終えるとポータル施設内部へと入ることが許される。
薄暗い濃紺の室内は厳格な寺院や仏閣の雰囲気で、中央に佇むコンソールボードと規則正しく複数設置してある転送甲殻コクーンに息をのんだ。
フライングスキッパーの最上級座席エクシオールシートが高級の極致ならば、こちらは高度テクノロジーの極致に位置しているだろう。
過去に何回か利用したことがあるがこの雰囲気は慣れない。
詰襟のCAが近づいてくる。胸にはNACのバッジが輝いていた。ここのポータルは運営元のNewAgeCompanyの直轄管理のようだ。
「本日はご利用ありがとうございます。霧島様。F列二十番のC席になります」
CAの丁寧な案内でコクーンに収まる。
「転送開始までしばらくお待ちください」
知っている。なぜ待つのか。なぜ許可が必要なのかも。
次元転送には莫大なエネルギーが必要だ。次元転送に必要な転送能力を持つ覚醒者アノマリーと、エネルギー消費を考えれば、許可制なのもうなずける。
空席が目立っていたコクーンが時間の経過とともに続々と埋まっていく。
先ほどのCAがコンソールボードに立ちアナウンスを始めた。
いよいよ『離陸テイクオフ』というわけだ。
「本日はNACポータルをご利用いただきありがとうございます。第一構成次元発、第三構成次元アジアグループ転送都市へ皆様をお送りいたします。転送途中はコクーンのシェルを上げずに座ったままでお待ちください。それではよい旅を」
コクーンのシェルが音もなく閉じた。同時に注意喚起メッセージが流れる。
それは主に転送に関するもの。

全ての行程でアノマリーの行使を禁止します
安全のためシェルの開放は厳禁です
次元移動後、最低四時間は次の次元移動ができません
次元移動後に発生した、いかなる身体の変調にもNACは責任を負いません

次に転送開始を知らせるメロディがなり、虹色のスケールが表示され転送の進捗を客に案内し始める。

さあ、と。
私は声に出して顔を両手ではたいた。
いよいよ始まる。私の探偵活動が。

次元移動中を知らせるメロディが鳴り響き、それぞれのコクーンが虹色の閃光を放つ。

その時、すでに第一構成次元に私は存在せず。その瞬間、第三構成次元に着いていた。


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