【001】おいしいネルドリップコーヒーが飲める店
コーヒーくらいちゃんと淹れられるようになりたい
2013年のオープン以来、六角堂のコーヒーは毎日のように飲んできた。富山市の事務所は、豆の仕入れ先であるエコーレさんがご近所だったので、好きな「モカイルガチェフ」を中心に様々な豆を買って飲んでいたが、2016年に射水市に移転してからは、毎日必ずコーヒーメーカーで落とした「六角堂ブレンド」を1日最低3杯は飲んできた。
今までのコーヒーの味が好きで通ってきてくださっているお客様たちに、ちゃんと満足していただけるだけの味を出したい。新米カフェ経営者として、まず「おいしいネルドリップコーヒーが淹れられる」ようになりたい。何かあったときにさらっと、おいしいコーヒーを出せるくらいにはなっておきたい。オーナーの嗜みとしてはもちろんだが、根源的にコーヒーとふれあう時間をもっと増やさなければ、「カフェ」と名の付くいろんなものに申し訳がたたない気がする。
エコーレさんの豆がおいしいから、どう飲んだっておいしいのだが、2月のはじめからは、コーヒーメーカーを封印し、自分でネルドリップするようになった。
ドリップの前に豆の話を
改めて説明すると、六角堂のコーヒーは、オープン当初から富山市のエコーレさんのものを使わせてもらっている。焙煎師の草分け的存在である尾塩良明さん・真澄美さんご夫妻は、豆の流通方法の調査や生産地訪問なども行い、フェアトレード・オーガニックコーヒーを地道に広げてきた方々だ。六角堂ブレンドは今、息子の周さんが焙煎してくれている。富山に移住し、エコーレさんに出会ってからまる1年飲み続けても、体に負担を感じることのないコーヒーに出会った夫は「カフェをやるならここのコーヒーしかない」とほれ込んだのだ。
化学物質過敏症で嗅覚が犬並みの夫は、だいたいのインスタントコーヒーで体調を崩す。実は私も、胃腸が敏感で、苦いだけのコーヒーは1日1杯までが限界だ。それ以上飲むとお腹を下す。カフェオープンに先駆け、いくつかの県にコーヒー探訪の旅にでかけたのだが、某県では3件目くらいで二人とも体調がどうにも悪くなり探訪を中断したということがあったっけ。
六角堂で出しているコーヒーは、オーガニック栽培の「スペシャルティーコーヒー」という部類に入るもの。「素晴らしい風味特性」を持ったコーヒーをこう呼ぶそうで、一般にSCAA(Specialty Coffee Association of America)によるカップテストで、香味や産地特徴、個性などの評価が 80点以上のコーヒーを言うそうだ。(ここの文、六角堂のメニューよりコピペ。今の自分にはまだぜんぜん血肉になっていない説明である。)
うまく淹れる以前に、うまいコーヒーの味を知っているか
何にせよ、コーヒーを淹れるためにやったことは、まずYouTubeを開くこと。そして見よう見まねでやってみるところから。毎回コーヒーは夫に味見をしてもらい、毎日3~4回チャレンジ。お湯の量と温度と注ぎ方、豆の分量や挽き方、ネルの扱い方…たった一杯のコーヒーながらとても奥が深いことを思い知る日々だった。
うまく淹れる以前に、おいしいコーヒーとは何かを知らなければならない。まず、基準になるのは、なんといっても、現・六角堂店長の北原くんが淹れる「ワインみたいな芳醇なコーヒー」。香りと旨味が舌の上で複雑にからみあいながら少しずつ味を変え、最後に若干の苦みを感じた後に、すっと抜けが来るようなコーヒーが目標。ざっくりとしか描いていなかったコーヒーのおいしさを、夫が図にしてくれた。わかりやすい。夫はすぐに図解する。
安易に旨味とコクを出そうとすると、苦みも引き出されてしまう。ネルドリップらしいとろみがついても、粉っぽく濃さが引き立ってしまったりする。逆に苦みなくすっと飲める場合でも、ミドルの旨味をほぼ感じない場合もある。
「どう?どんな味?」と、毎度ネルドリップで淹れたコーヒーの感想を迫られる事務所のスタッフたちも微妙な味の違いに敏感になり、苦みや酸味、旨味、甘みなどの差を楽しめるようになってきた。都度、北原くんの淹れ方を見せてもらったり、飲ませてもらったりして、独自に研究を重ねてきた。
費やした豆が3㎏、普通のコーヒーなら300杯分(六角堂のコーヒーは1人分が12gなので250杯分)くらいのところで、なんとなく、自分らしい方法で淹れられるようになってきた。そして、豆の焙煎状態についても少しわかるようになってきた。
だいぶ味が安定してきた、3月下旬のルーティン
30gの豆をミルにかけ、ドリップケトルに入れた水を火にかけ、凍らせておいたネルを解凍して少し温め、挽いた豆を入れて少しならす。測りの上にドリップポットを置き、メモリをゼロにする。タイマーを4分00秒に合わせる。…能動的4分間のはじまり笑。
お湯が沸いたら85度くらいまで温度を下げ、ネルの中のコーヒーの真ん中に少しずつお湯を落とす。1滴目を落とす直前に左手でタイマーボタンを押したらネルのウッドネックを握りしめる。もう絶対この4分間は離さないぜ!よろしくね!という気持ちで握る。
右手にはドリップケトル。まずは、ポタポタと真ん中をねらって15~20滴ほど。水分と出会ったコーヒーが膨らみ、色が濃くなる。膨らむ瞬間に泡がキラキラとするどめに光る。美しいかわいい。おいしくなってね。…ここで一度ケトルを置き、そのまま20~30秒ほど蒸らす。この時点でしずくが出てしまわないように、まんべんなく豆に水分が行きわたるよう意識する。ここまでで1分ほど経過。
少し置いたあとは、ごく細く、よどみなく、ケトルからお湯を注ぐ。真ん中にねらいを定めながら、ゆっくりほそぼそと注ぐ。注いだ先には、クリーミーでこまかな泡がふんわりと立つ。周囲の黒さに対して真ん中に明るい月が浮かんだようでもある。黒いドーナツの穴の中にお湯を回し入れるようなイメージで、徐々にケトルの傾け方を変える。左手はこれ専用の蛇口を提供している気分で行う。この数十秒は、集中しすぎて息を吐き続けている状態になる。吐ききった後、蒸されたコーヒーから立つ香りのよさに思わず息を吸い込むと、めちゃめちゃいい香りの中で深呼吸をした状態になる。ここで、コーヒーを淹れている喜びをかみしめる。ある種ヨガ的。…たった数か月前には、この喜びを知らなかったなんて!
最初の3分間は、コーヒーの香りとふくらみと戯れる時間。その時間の重なりが甘みと深みと華やかさを増してくれるようなイメージを持ちながら、あくまでもしずしずと注ぐ。ここで、よい香りが立つとたいていおいしくなる。
タイマーをチラ見。残り1分になった頃にバックキャスト思考に切り替える。ちゃんと分量のお湯を注げるよう、焦らずしかし無駄なくお湯を注ぐ。時間が経ちすぎると苦みの原因になるので、タイマーが鳴ると同時に前にポットの上にはネルがない状態をつくるイメージ。…〆切や納品はギリギリより少し前のほうがスマートだしね。
ポットをそっとくゆらし、中に落ちたコーヒーたちをやさしくまんべんなく混ぜる。そしてカップに注ぐ。…ここまでのルーティーンが、たまらなく楽しい。たった4分のルーティーンは、まるで瞑想時間のように、心を落ち着けてくれる。…あぁなんと、豊かな時間なのだ。すごいなネルドリップ!…というのが3月下旬の私の気持ち。
門前の小僧は、お坊さんではないから
しかし、何分!何秒!…と、時間を気にしている時点で、まだ全然コーヒーと向き合っているとは言い難い。時計と向き合っているにすぎない。時間も重さや量も、一定のものさしである。個体差のある豆や毎日違う温度や湿度、淹れる自分の体調や気分も含めて一定でないものを測るには限界がある。あくまでも目安でしかない。
習得というものは「できた」と思った瞬間に次の扉が開き、まだまだスタート地点でもなかったと思い知るのだ。無知の知。
今の私の状態は、門前の小僧がお経を読めるようになった程度の習得だと思っている。だってそこにコーヒーがあったから、くらいの。自分の意思で学び始めると、まだまだ知らない世界が無限に広がっていることに打ちのめされる。だから、お店に立ち続け、コーヒーを淹れ続けてる方々は、何にしたってめちゃめちゃかっこいい。いろんなコンディションを経験した上での3~4分の抽出時間。そのベースには自分の人生分の深みが、どうしたって入ってくるのだ。…5年後、10年後に、私はどんなドリップをしているんだろう?…とても楽しみだ。
改めて、ネルドリップのおいしい店
あくまでも、私の個人的な練習の話を書いてきてしまったが、六角堂で働くスタッフたちは、このようにコーヒーとの蜜月的な時間を経てようやく、お客様にお出しできるようなコーヒーを淹れられるのだ。味を知り、コツを覚え、試行を重ねていく。ある程度型ができても、先述のように豆や焙煎の違いは必ずあるので、まったく同じ1杯というのは出ない。常に虚心坦懐に向き合い、初心を持って取り組むべき深い世界である。
ネルドリップで抽出したとろりと芳醇なコーヒー。今までの歴代店長たちも現店長の北原くんも、ほんとうに大切にしてきた六角度の核のひとつだ。もちろん、何年もやっているスタッフにとっては、すでに当たり前にできることにもなっているだろう。しかし、「できる」というのはおごりに結びつき、死角を増やす。柔道の伝説ともいえる名人・嘉納治五郎は、白帯をつけてこの世を旅立った。偉大すぎる逸話と初心者ネルドリッパーの私の気持ちを引き合いに出すのも失礼な話だが、大切な初心を忘れないようにしたい。
六角堂は「古民家」「リノベ」「おしゃれカフェ」みたいな括りで紹介していただく機会が多いが、「初心」の塊になっている私が、なによりもまず確認するとともに改めて約束したいのは「ネルドリップコーヒーがおいしい店」であるということだ。いつも、この一杯をしっかりお出しできる店でありたい。リニューアルして、「コーヒーの味が落ちたね」と言われるのはとてもくやしいから。コーヒーとはもっともっとふれ合っていきたいと思う。