見出し画像

自由と貧しさを選んだ国キューバにも格差はある〜「表参道のセレブ犬とカヴァーニャ要塞の野良犬」を読んで

友達にすすめられていた本、お笑い芸人オードリーの若林正恭さんの著書「表参道のセレブ犬とカヴァーニャ要塞の野良犬」を読みました。

読みやすさ ★★★★★
情報量   ★★☆☆☆
主張性   ★★☆☆☆
感動    ★★☆☆☆
個性    ★★★★☆

なかなか面白かったですが、この本を他の人はどう読むのでしょうか?友達からは「キューバに行ったら広告看板がなくて異世界だった。面白いから読みなよ!」的なの紹介だったのですがぜんぜん違うように私は読めました。

たぶん友達も若林さんも「気軽に海外旅行にいく素晴らしさ」を伝えたかったと思います。一枚だけカラーの見開き2ページのカリブの海の写真がそれを特に物語っています。

なので最後まで、キューバに行った本当の理由が亡き父親の哲学を知るためというとこが伏せられています。本の内容としては先に述べていたほうが良かったと思いますがあえてそうしたのはやはり旅へ出る気軽さを押したかったからだと思います。

さて、この本には気になるテーマが2つあります。

一つは格差や競争社会は実はキューバも一緒ということ
「だれかに飼い慣らされるより自由と貧しさを選んでいた」と、芸人を選んだ若林さんとキューバを重ねているところがありますが、けっしてすべてが自由と言うわけではありませんでした。社会格差は社会思想が問題ではないと気づかされます。広告看板のない国にも格差はしっかり存在するのです。「自意識過剰」という言葉が何度か出てくるので、キューバでの体験を通して過剰な自意識や他意識をそぎ落としながら気楽に生きることを誓ったと読めます。

二つは言葉や知識ではなく体験を通しての学び
ブッダとゴータミーの話を思い出します。大切な人の死をすぐに受け入れるのは難しいのでそれを悟らせるような体験をブッダがおもむろに提案するというものです。若林さんの本の話では誰かに提案されるのではなく自分で気づいて見つけて実践したカタチになっています。

キューバに行こうと思ったいきさつは大方下記の通りです。

東京生まれ、育ちで、そしてお笑い芸人の下積み時代すら東京な根っからの東京っ子。東京という競争社会の中で育ちそれが全てのように思っていた若林さんが家庭教師に進められた本などを読みそれが一枠組みの悩みでしかないことに気がついていき他の国のことが気になり始める。そして、ずっと競争社会の東京で生きてきて数少ない味方のはずの父親が、最後に聴いていたのはアメリカのロックバンド・イーグルスの「Take It Easy」だったことに実は父のことを何も知らなかったと衝撃を覚える。また、父親の死をきっかけにかけがえのない肉親の死を悲しもうとするものの「俺は物心ついたころから父親はいなかった」「37歳まで父親が健在だったんだから幸運じゃないか」となどと言われて悲しんではいけない気がして「この街では肉親が死んだことさえ自意識過剰なってしまっている」と感じ、「ここから逃げることにした」ということで父が生前行ってみたいと語っていた国、キューバに行くことにしたということだそうです。

私は根っからの田舎者なので生まれ育った背景が全く違いますからはじめは共感しづらかったです。

私の地元における格差は、東京に比べれば穏やかなものです。せいぜいスポーツができなきゃバカにされるとか、勉強ができないと親に怒られるとかそれくらいしかないと思います。大人もブランド物を着ている人は皆無で、みんなだいたい一軒家に住んでいます。職業も一部上場企業に勤めているケースは極めて稀です。小学・中学受験というものはほとんどないですし、受験戦争についても同じ予備校生がどんな大学に受かってなんて関係ありませんでした。なぜなら地域に公立高校は2つしかなく県下で真ん中くらいの高校か底辺のヤンキー校くらいです。その他、高専や私立が一校づつありましが親の懐事情で選択肢から除外されました。そして通った地域で一番の県下で真ん中くらいのランクの高校すら6割は就職、国公立大学には8人しか合格しませんでした。だから学歴に関しては幼馴染とかで競争という見方はありませんでした。大学に入れただけでも特別だったのです。そしてたとえ有名大学に入って卒業しても地元ではそれほど大きな意味を持ちません。政治家になるなら別でしょうが。

と、こんな風に私も若林さんの感情に寄り添うことよりも自分のことが浮かんできてしまいました。こんな風にして私も誰かの人生を聞くとき、自分の人生をぶつけたくなります。わたしも自意識過剰なのかもしれません。

若林さんは現地で暮らす日本人マリコさんにキューバに来た理由を「広告のない街を見たかったから」と話していますが、「あー、そいう人多いです」と軽く返されています。何となく「特別な理由があってきた自分」を伝えたかったのでしょうがそれが軽く裏切られたカタチになっています。

「亡き父親のことを何も知らなかったことに気づき、生前行きたいと言っていた国に来たかった。」素直にこう言った方がリアクションが違うものになったと思います。でもこれを言わないのが若林さんなのだろうなと思います。

これを始めとして異国の地での体験を通して若林さんの気がつかなかった自意識や無意識の固定概念と向き合う描写がいくつかでてきます。「きっとキューバの人はこうだろう」「きっと人は私をこう見るはずだ」という宛がどんどんはずれていくのです。

そして、結局キューバでも競争や貧富の差は存在したというところが描かれています。社会主義のキューバでは家や土地は国の持ち物です。豪華な家を割り当てられ豊かな暮らしをするには、社会的な影響力のある友だちどれだけ多いかによるようです。これは東京でも、日本の片田舎でもある意味同じであり、社会主義は「競争のない国」というのはイメージにすぎなかったということを物語っています。むしろコネがなくても金で手に入れられる日本には選択肢が多いと言えるかもしれません。

しかし彼の求めていたカリブの美しい海の感動は伝わってきます。美しい青い海のカットだけがこの本で表紙以外唯一カラーで載っています。この場所に行っていない私にとっては白い砂浜とエメラルドグリーンな海は地元でも見慣れたものなので写真を見てもピンとくるものがありません。ただ彼にとってはこれが特別なんだということはなんとなくわかります。とにかく憧れの景色を自分の力で手に入れた感動はひときわ素晴らしいものがあったのだと思います。

私もドイツ旅行で行ったポツダムの街やサンスーシ宮殿が忘れられません。でもこの感動は行った人にしかわからないのです。

私のような田舎者は東京とか大阪みたいな都会の生活で自分と向き合うわけですが、若林さんは自分と向き合うため、父親の死と向き合うために行かなきゃならなかった場所はキューバだったということです。大切なのは自分の行きたい場所へ自分の足で行くこと。自分と向き合うための場所は人それぞれなのだと感じました。

父親の死について悲しみに浸ることも許されないかのような。まわりの人の声は東京で生きた一人の男の人格人生やその人を愛した自分がまるで否定されているように聞こえたと思います。しかし若林さんにとって大きな父親の存在は他人にとって、ましてや早くに父を亡くした人や、もともといなかった人には受け止めるのは厳しいものだったと思います。だから人に受け止めてもらうことに頼らず。自分自身で父親の悲しみを受けとめる方法を見つけたのは素晴らしいことであると思います。とにかく「相方のかすがの芸の『鬼瓦』が嫌いな人」というイメージしかなかったので、一読できてよかったです。

そして、私の知っている東京は「この街では肉親が死んだことさえ自意識過剰なってしまっている。」かといえばそんなことはないです。本当に様々な人がいます。

私はいつか、東京都郊外、中央線で1時間ほどのあきる野市にいったことがあります。ここは渓谷のある自然に住宅街が広がり、農地が広がり、路上販売でとりたての野菜が買えるような田舎に近い環境です。その市のある神社で宮司さんに「どこから来たのか」と聞かれたのでとっさに「東京から来ました!」と答えると「いやいや、ここも東京ですよ!」と怒られました。東京はあくまで23区とその周辺だけじゃないんですね。東京都という括りで捉えても山あり谷あり、限界集落あり、火山島ありすごくバラエティに富んでいると思うのです。若林さんにも、キューバじゃなくても、東京の中でも、日本のどこかでも「Take It Easy」な生き方が見つかる日が来たらいいなと思いました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?