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カフェで朝食を

田舎にいた頃はカフェでモーニングなんて考えられなかった。早朝から開いてる店もなければ、400円も出して朝食を食べる余裕もない。コーヒーもサンドイッチも家で用意すれば安く済む。

このお店は東京じゃ珍しくもないカフェチェーンのひとつで、内装もチェーンごとに全く同じ仕様で既視感を感じる。上野のサラリーマンはみんな同じようなコートを着て咳き込みながら席について新聞片手にブレンドコーヒーだけ頼んで出社前のひと時を楽しむようだ。それが当たり前の日常なんだろう。新聞に飽きたら文庫本を読み始めたり、手帳を開いたりして物思いにふける。いつもと同じ朝の始まりを少しでも違うものにすべく考えているようにも思える。

朝から「金平糖の精」が流れてる。カフェチェーンではごくごくありふれたクラシックかジャズかの有線の選曲。うちの実家は朝食の時間はテレビをつけてニュース番組を流してるのが普通だった。そして時より挟まれる時報と共にすごく退屈な朝の始まり感じるのだった。気だるいお馴染みのアナウンサーたちの掛け合いを聞きながら、星座占いが来る頃には家を出られる準備をしなけければならない。

そこまでして出かけていく学校というものに私は居場所をみいだせなかった。かといってここ以外に生きていく道を探すのは難しく流されるまま味気ない学生生活を送った気がする。

美術室で絵なんか描いてる僕は地元では変わり者で友達もいるようでいなかった。家に帰ればすぐに日は暮れて、何処へも行く場所なんかない。そんな日々を送っている昔の自分にせめてこのモーニングを食べさせてやりたい。正直なところ今の僕にもコーヒーとサンドイッチの朝食に400円はきついところだ。

昔の僕にご馳走したらたぶん「バカげてる。」と思っただろう。しかしこの400円の朝食がもたらす効用は大きい。

自分でつくる質素な朝食でもなく、はるかに豊かな母親の手料理でもなく、見知らぬ誰かがマニュアル通りに作った朝食が実は自分にとって最も必要なものなんだと思っているこの心情を、十代の自分に伝えたい。

言葉ではなく、舌や鼻や耳で感じてもらいたい。そうすれば彼の人生への興味はもっと違うものになったと思う。

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