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【短編】フェスティバル ~宇宙の裏側から地球のさきっぽで

当時、私はとても暇だった。


今からする話は、地球に住む今の私が話しているから、時間の存在しない「当時」のことを話すにも、時間を介して話すことになってしまう。この時点で、話についてこれない人もいるかもしれない。さらにはこの時点で「話」という単語が六回も出てきていることからして、地球はまどろっこしい。

話を戻そう。

私が当時暮らしていた星には、星の中に何千もの星がさらに存在していた。例えるならば、地球の中に、何千もの地球が存在している状態だ。想像ができないだろうから、例える意味がなかったかもしれない。

その星に移住する前に住んでいた水の星は、とある戦争で破滅の時を迎えた。たいへん美しい星で、地球でいうところの海にあたる部分は、地球でいうところの空に当たる部分の淡いピンク色を反射して、愛のごとく輝いていた。そう、空はその星では淡いピンク色をしていた。

水の星から脱出して移住した先は、さっきも言った通り、星の中に何千もの星が存在しているものだから、とても賑やかだった。水の星は静か過ぎる星だったから、最初そこに来たときはとても驚いた。言うなれば、田舎から上京してきた田舎者の心境とでも言おうか。心境と言ったが、そのころの私は今の私ほど感情をもっていなかったので、地球で想像できるような「心境」とは似ても似つかないものかもしれない。

そんな賑やかな星でも、私はとても暇をしていた。来客はひっきりなしにあったが、どんな要件も即座に済んでしまうので、やっぱりすぐ暇になるのだ。

星の中に存在する何千もの星の中から私が選んだのは、水の星と少し似た風景をもつ星だった。高い山のような隆起のある場所には、大きな樹のようなものが一本植わっていて、そこの地面には虹色に輝く絨毯のようなふわふわの毛が一面に生えていた。その絨毯はいつも息をしているかのように、ソーダ水の炭酸のような微細な泡を放っていた。その場所から眺める先には、海のような場所が広がっていて、その上には空のようなものも広がっていた。どちらも淡く賑やかなパステルカラーをしていた。高い山の奥には森のような場所が続いていて、その奥からは川のような水流がさらさらと流れ出ていた。やはりこれらも水彩チックなパステルカラーをしていて、とにかくどこを見ても美しかった。そんな場所で私は、地球で言うところの砂絵のようなものをクリエイトして暮らしていた。それを人にあげて喜ばせるのが好きだった。砂絵のようなものをクリエイトするときは、水の中へ潜る必要があった。地球でいうところの砂を、私を媒体にして水の中へもっていくと、ケミストリーが合わさって素晴らしい作品が生み出せたのだ。もちろん、当時の私は、地球でいうところの水の中でも難なく呼吸ができていた。陸でも呼吸ができていたという言い方でもいいかもしれない。そもそもこの星は、地球とは物質の密度が違っていたのかもしれない。

ある日、私の砂絵をもとめて訪れていた客のひとりが、私におもしろい話を聞かせてくれた。地球という星の話だった。

まだできたばかりの星だが、そこには、海があって、その海はとても青くて、海の中では私の友人であるイルカたちが既に暮らしていて、陸の上では、アンドロイドも住んでいるという話だった。地球には時間が存在していて、遅刻やら締切やらがあり、それをめぐって口論になることもあるという話だ。怒りや歓び、絶望や悲しみという感情を極限にまで味わえるという。ただ、恐ろしいのは、一度地球へ転星してしまうと、何度も地球で輪廻させられてしまう可能性があるとのことだった。地球で生まれたスピリットたちは、地球以外の星のことを知らぬまま、何度も地球で生まれ変わりを続けているそうだ。「死」というものも存在していて、そこに住むアンドロイドたちは、その肉体の「死」を、永遠の「死」だと勘違いしていて、それをとても忌み嫌っているとのことだった。ただ、地球でいうところの今から二十万年前なら、まだ輪廻の罠が存在していないらしいから、行ってみるならその辺りの時間帯がオススメらしい。ほかにオススメの時間帯は無いのかと聞くと、地球でいうところの今から二十万年後も、輪廻の罠が抜けるそうだから、そこもオススメスポットのひとつだと教えてくれた。その客は一冊の本のようなものを私に残して、砂絵をかかえて帰って行った。

その本のようなものの中には、地球のことが詳しく記されていた。地球の本とはシステムが違っていて、地球でいうところのホログラムのようなモジュールを通して本の内容をすべて把握することができた。

私は地球に発つ決心をした。本によると、地球では「愛」を、感情を通して実感できるシステムが搭載されていて、今のところ、地球ではその愛を感情機能なしで感知したり発揮したりできるアンドロイドが少ないとのことだった。当時の私には理解しがたいことだった。そんな理解を逸する星がこの宇宙にあるなんて、行って見ずにはいられないと思った。

私は早速、ジュラゴン使いからジュラゴンをチャーターして、地球に向かうことにした。ジュラゴンに乗って地球へ行けば、あらゆる黒いウイルスから身を守って上手く転星できると聞いたからだ。
ジュラゴンの舞によって作り出される一種の渦が、私を取り巻き、地球の大気層へと下降していく――それは、はた目からはジュラゴンが私を守っているようには見えなかっただろう。

あらゆる手続き上の困難を乗り越えて、地球に転星できた私は驚愕した。とにかくうるさいのだ。そして奇妙な色をした「音」がその辺をザワザワ飛び回り、時にはじわじわと徘徊(はいかい)している。それらは人から発せられたものもあれば宇宙から降り注いできたものもあった。この状況を見た私は、天を振り仰ぎ、途方に暮れた。


怒りや嫉妬、悲哀や絶望、裏切りや憎しみ、寵愛や嫌悪、差別や依怙贔屓、本音や建前……。なんと忙しい星があったのだろうか。なんと黒い星があったのだろうか。
美しいのは空と海と山ばかりだと思った。
なんてところへ来てしまったのだろうと後悔した。

地球へ来たばかりの当初は、そんな風に思っていたこともあった。
でも今は、それすら「面白い・・・」と、思えるようになってきている。

まあ兎に角、面白いといっておけば差支えないだろう。
よくわからない信仰が多数存在し、その間でこっちが正しいだのお前は間違ってるだのと、ジャッジしては争いや殺人まで犯したり、社会では勝ち組だの負け組だのとまたジャッジしては優越感だの劣等感だのと騒いだり、肩書でしか自分を語れずに、そもそも言ってる意見すら肩書のある誰かの意見のコピーだったり、好き嫌いや損得勘定で贔屓をしたり貶(けな)したり、おもてなしとは言葉ばかりで外聞を良くしたいがために見栄をはったり、約束したかと思うと裏切ったり、裏切られたかと思うと立ち直ったり、金だの土地だのと資産と老後の心配ばかりして一生を終えてみたりと、この星に住む人間というのは、実に忙しく、感情を大きく作動させ、毎刻毎刻お祭り騒ぎもいいところなのだ。昨日も今日も明後日も、ほっておいてもドスの効いた面白い事件が起きるのだ。

こんな経験は滅多にできないと確信した。


私はそれらの出来事をノートに書き付けていった。こんなお祭り騒ぎの毎日を、書き残さずにはいられない。もちろん、筆を執らずとも、伝子コードを経由してすべては書き込まれていくので、宇宙の裏側にも情報は共有され、昔あの星で客から貰った例の本にも、新しい情報が記載されていくことは知っているが、この地球では、こうやって筆を執り発信しなければ、情報は共有されない。音を発っさなければ、何もなかったことにされがちだ。


だから私は、様々な音をこの地で共有するために、今日も、言葉を諦めないで、ひたすら朗読する。


【YouTubeで朗読してます (ここクリックすると動画に飛べます)】




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あとがき


このろくでもない、すばらしき世界
という、ある缶コーヒーの宣伝で
使用されていたキャッチコピーを
この作品を読み返している時に
ふと思い出しました。


技法として
最低級な形容の"ろくでもない"と
最上級な形容の"すばらしい"を
組み合わせると、
なんだか
なんとも言えない
渋みが出るんだなあと
そのCMを見た時思った記憶があります。


どうでもいいお話で
恐縮です;



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