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同調圧力に負けないで

私が小学6年生の時にクラスで30人31脚に出場することになった。
私は走るのが遅かったので、みんなの足を引っ張りたくなかったし、中学受験が控えていたので足を引っ張られたくもなかった。
しかし大会にむけて登校時間より1時間早く集まって皆で練習することが決まった。
大会当日参加するかは一応選ぶことができた。それでも参加しない人間がいることは、宇宙人の存在よりも信じられないような扱いをクラスメイトからは受けた。担任は練習はみんなでしようと有無をいわせなかった。
私は朝起きるのは苦手だったし、走るのも嫌いだし、勉強に支障しかきたさないその練習は嫌で嫌でたまらなかった。
12歳の私には進学校への合格とそのための塾の勉強が人生のすべてだった。

練習とサボりが3回ずつになった日の朝担任は、クラスメイト全員の前で大声を出した。
「なんでお前練習にちゃんとこないんだ」
「僕は当日参加しません。練習する意味がありません」
「みんなで練習することが大事なんだよ」
「僕が練習に参加したり、参加しなかったりすると皆のスタートを切る足が変わります。練習になりませんよ」
「屁理屈いうな。それに記録のためだけにやってるんじゃないぞ」
「それなら走るたびタイムを測るのはやめたらどうですか」
「・・・もういい。お前はこなくていいよ。」
「わかりました」
同調圧力に負けて練習に参加したり、担任を煽り散らかしたりの不安定さがいかにも小学生という感じだが、とにかく私は目的を達成した。
引く足が変わるから~という話は、本心からでた言葉だ。思い出づくりで走っているクラスメイトと、結果が全ての受験戦争に身をおいていた私ではどれだけ話してもわかりあえないことに気づいたのはだいぶ後になってからだった。

20歳になった年に同窓会があった。上座にはたくさんのクラスメイトに囲まれ談笑している担任がいた。私は挨拶もせず遠くに座った。しかし担任は会の中盤あたりにわざわざ近づいてきた。
「大きくなったな~」そう言って有無をいわさず並々ビールを注いできた担任に「先生は変わらないですね」というと「そうか?ありがとう」と笑った。次はジンジャーエールを飲もうと頑張って3分の1まで減らした努力がビールの泡になるのを見ながら、私は心の中で「先生は変わらないですね」と繰り返していた。
そして「あの時は悪かったな。お前に対してあたりが強かったよな」と近況報告のついでに謝る担任にほほえみながら私は答えた。
「何言ってるんですか。許しませんよ」
最初は冗談だと思って笑っていた担任の目に、もしかしてこいつは本気で言っているのかと疑いの色が交じるまで私は目をそらさなかった。

もう二度と会うことのない先生へ。
多様性を認めようという同調圧力に負けずに今も頑張ってますか?


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