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大事なことは予告編の中で言ってる|映画「落下の解剖学」感想

 ⚠️注意 ガッツリネタバレしてます。

 この予告編を見て、なかなか面白そうだと思い見に行った。ゴールデングローブ賞を受賞してるようなので、アカデミー賞候補なんだろうね、きっと。アカデミー賞受賞作は割と好きなことが多いので、観ておいて損はないだろうってね。

あらすじ

人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。
はじめは事故と思われたが、
次第にベストセラー作家である
妻サンドラに殺人容疑が向けられる。
現場に居合わせたのは、
視覚障がいのある11歳の息子だけ。
証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、
登場人物の数だけ<真実>が現れるが──。

公式HPより

 最終的にミステリー作品のように一つの真実が明らかになって、ハッピーエンドへ向かうのかと思ったんだけど、そんなことなかったね。

感想

 公式にもYOUTUBEにも書いてあるとおり、「事故か、自殺か、殺人か」を裁判で明らかにしてくようなエンタメ型の裁判劇、逆転裁判とか、12人の怒れる男(知らなすぎて他に例が出てこない)かと思って見に行ったわけだよね。だけど、期待に反してそうはならなかった。藪の中だったんだよね。

 基本的な構造は、検事側が妻サンドラを殺人罪にしようとしていて、弁護側が無罪を、夫が自殺したと主張している。そして、目の見えない息子はひたすらに何も知らず巻き込まれる。

 紆余曲折あって、裁判が決着して、ハッピーエンドに見えなくもない終着点で映画は終わる。だけど、これは裁判がいい形で終わったというだけであって、真実は何一つ明らかになっていないんだよね。謎は謎のまま。ひたすらにモヤモヤが残る。あのベッドの中でサンドラは何も思っていたのか。それを想像するのは観客に委ねられる。なんとも後味の悪い映画だよね。

重要なことは弁護士が言っている

 しかも、予告編でも言っている。予告編を見れば早いけど、被疑者である妻のサンドラと弁護士のヴァンサンが現場である家で打ち合わせをしている際、サンドラが「私は殺してない」と言うと、ヴァンサンが「それは重要じゃない」と返す。

 これがこの映画の前提であり、全てなんだよね。さらに予告編ではここに別のシーンがくっつけられて、「問題は君が人の目にどう映るかだ」とヴァンサンが言っている。

 つまりこの映画はサンドラが被告人となる裁判だけど、実際に殺人が起きたかどうかが問われているわけではない。どう見えるかが問われており、それを検察と弁護側が争っている。

なぜ真実を争わないのか

 裁判劇といえばただ一つの真実を解き明かしていくわけだけど、この映画はそうはならない。

 なぜか?

 それは殺人を決定づける証拠もなければ、無実だという証拠もない。証言も目撃者もない。アリバイもない。状況証拠も消去法もなにもない。わからないんだよね。確かなことは何もない。最初から最後まで殺人なのかどうか不明なんだ。

 だから、検察はサンドラが殺人を犯したと導けるような証言や証拠を上げていき、弁護側は殺人ではなく自殺だと導けるような証言を出していく。

 検察の話を聞けばサンドラは怪しく思えるし、弁護側の話を聞けば、とはいえ確かな証拠は何もないよなと思い直す。

 この裁判は最初から、サンドラが殺人を犯したかどうかを問うているわけではない。殺人を犯したように見えるか、見えないかを決めているんだよね。真実を唯一知っているサンドラは被告人だけど、「殺してない」と言ったところで信用されるわけもない。

なんで裁判になったんだろう?

 僕は裁判のことはよくわからないけども、疑わしきは罰せず、疑わしきは被告人の利益に、という言葉は知っている。この映画の場合、サンドラが殺人を犯したということを検察が立証しなければいけない。

 だけど、すでに書いたように、サンドラが殺人を犯したという証拠はない。サンドラが疑わしく思える証拠はいっぱいあるけども、決定的なものはない。それなのに検察はどうして殺人が立証できると判断したんだろう。

 たしかに、事件前日のケンカの音声を聞けば、それが殺人のきっかけになったと判断したくなっちゃうかもしれない。だけどそれは動機があったかもしれないというだけであって、殺人の証拠ではない。

 まあ、フランスの司法制度もわからないし、専門家ではないから知らないことだらけなんだけど、現実でもこれぐらいのあやふやな証拠らしきもので、有罪にできるって起訴していることもあるのかもしれないね。で、裁判が始まってしまったら、白か黒かつけなくちゃいけないから陪審員も大変だ。

面白い点

 映画の序盤にあった夫を亡くした可哀想なサンドラという像が、裁判が進むにつれて徐々に崩れていき、最終的にこの女信用できねえ! ってなって、裁判が終わった後も、結局お前やったの? どうなのよ? っていう疑問点がまるで解消されないところだよね。モヤモヤするんだけど、スッキリしないことの面白さ、白黒つけられないことの面白さってのがあるんだろうね。

 サンドラの本性が全然思ってたのと違うのがビビったよね。そして、どんな人かわからなかった被害者の夫が出てくるのが、ある意味クライマックスともいえるケンカシーンの回想。あれを見たことで、サンドラに対する印象は思いっきり悪くなって、こいつやったんじゃねえの? って気持ちが拭いきれなくなる。

 弁護士も「本心を言えば解任される」と言っているように、サンドラが本当はやったんじゃないかと疑っている。それぐらいサンドラは怪しいんだよね。でも、確実な証拠はないから本当に白黒つけちゃっていいの? という気持ちもある。

 あと、人間が人間を裁くことの不完全さ、ってことを強く感じさせられるかな。結果的には無罪になったけど、こんな不完全な裁判で有罪か無罪か決めていいのかっていう司法への不信感はたしかにある。司法は正義であって欲しいってのは間違っているのかなあ。

結局、この映画はなんだったんだろう

 裁判をやっても何一つ真実は明らかにならず、永久に表に出ない秘密としてサンドラの中に葬られた。最初から最後まで謎は謎のまま。

 そこが面白いとも言えるし、じゃあこの映画で長々とやった裁判はなんだったんだ、とも感じられる。そしてこの文章も何も書いていいのやらフラフラしたまま。

 なんとも難しい映画でした。

追記(2024/03/11)

 アカデミー賞の脚本賞を受賞したみたい。この映画を理解しきれなかったのは僕が理解力や観察力が悪いということなんだろうね。小っ恥ずかしい限りです。もう一回見れば理解が深まるとは思うけど。

 それから、ライムスター宇多丸のこの映画の評論を聞いたんだけど、僕は重要な部分を見落としてしまっていた。それは、この映画の結末を決めたのは、ずっと翻弄されてきた息子のダニエルだということ。もちろん、最後の証言をしたダニエルが結末を決めたのは分かりきっている。しかし、それだけではなく、ダニエル自身がその結末を選んだということまでは理解しきれていなかった。

 今思えば、間違いなくそうだった。最後の証言前、ダニエルは本当はどっちなのかわからないと言って泣いた。つまり、母親が無罪とも有罪ともわからない。信じられない。それに対して、保護司?(肩書がわかんない)の女性は、「わからない時は、心を決めて選ぶしかない」(当たり前だけど正確な台詞は覚えてない)と答える。

 要するに、このときのダニエルは、母親を有罪にする証言も、無罪にする証言も可能だったということなんだろうね。そして、母親を無罪にする方を選び取った。本当はどっちなのかわからないのに。おそらくダニエルは自分のためにそれを選んだのだと思う。本当に母親が好きなら、有罪にするという選択肢はなかったはずだ。迷う必要がなかった。無罪を信じることができた。それができなかったのは、ダニエルと母親の関係がギクシャクしていたから。しかも母親はそうは思っておらず、ダニエルが一方的に苦手にしているようだった。母親をそんなに好きではなかったのかも知れない。

 そんな中でダニエルが選んだのは無罪。わからないのであれば、母親が殺人犯という未来よりも、無罪の方がいい。そういう打算があったのかもしれない。自分のために母親を無罪にすることを選んだものの、もしかしたら、父親を殺した犯人と暮らしていくことになるかも知れない。

 ダニエル視点きっついなあ。なんて深い闇を抱えてしまったのだろう。ダニエル視点を持つことで全く別の印象になった映画でした。

 

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