生存日記

平素よりコントロール型の親戚に「私の気持ちを理解してくれないの」という超絶メンヘラメッセージを超絶メンヘラが受け取ってしまった。この親戚は私がベッドから起き上がれない時に「自分が世界で1番不幸だと思ってる?」と言い放った人間である。もはや人間ではないと半分思っている。

ラランドの「お母さんヒス構文」を見る。理不尽や不条理を笑いに昇華させているところが素晴らしい。中には母を揶揄するなんて!とか母がこうなってしまったのには理由がある、子どもを産めば大変さがわかる、母は万能ではない、などといった意見もあるが、私にはこの「笑い」は自分が「親」という存在を認める(許す、許さないを越える)プロセスとして必要なんじゃないかな、と思う。

デジタルネイティブの世代(特にテキストではなく、動画でコミュニケーションをとる世代)は気軽に弱音を吐く、というか愚痴をいう機会というのはあまりないのではないか。ずっと感じよくしなければならない。LINEも。Instagramも。

学生時代、好きな漫画があって、『福屋堂本舗』というのだけれど(前にも書いたかもしれない。)、最終話を鮮烈に覚えている。京都の老舗和菓子屋に生まれた3姉妹の物語。上の二人は子を授かるのだが、それぞれ親から受けた心の傷を忘れて、そのまま子に同じことをしてしまう。

親のようにはなりたくない、と思いながら、無意識に同じ行動をとってしまう。親は親、私は私であるために、必要な時間。

YouTubeでおすすめに流れてきて思わず見入ってしまった。
彼女のことは初めて知ったのだけれど、お二人とも紡ぐ言葉が聡明で、私もかくありたいなと思った。映画も気になるので見てみよう。

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