人の言葉は深い水
学生時代、聖書に触れる機会があり、箴言の「人の口の言葉は深い水。 知恵の源から大河のように流れ出る。」という一節が心の中の片隅にずっとある。SNSが発達した、いや発達しすぎた現代、誰もが言葉を持てるようになり、抽象的であるが言葉の波長が合わずに疲れるといったことが顕著になってきた。
「リーマントリロジー」という舞台を映画館で見た。3人プラスピアノ伴奏、三幕構成というシンプルながらも圧巻の3時間強だった。リーマンブラザーズの栄枯盛衰を西部開拓時代から3人で演じ切る。そこにあるのはリーマンという名からみる、アメリカの歴史の一端である。
特に面白かったのはセリフ回しである。繰り返しや脚韻など、聞いていても面白い。二幕で綿花などモノを売る時代から信用など実体のないモノを売る時代へ移りゆく過程と、家族経営がもたらす老いへの恐怖、がよく描かれていた。迫害された人種が奴隷制のおかげで財を成したところとか経済が停滞すると戦争が起こるところとか、人類って人類だな、と思わされる部分もあった。
個人的なお気に入りは屁理屈をこねてラビを困らせ、ニューヨークの州知事になった彼だ。ああいう丁丁発止な物言いは政治家向きなのだな。
実体のないモノから共感という感情を売買する現代に、言葉という道具がより一層重要視される現代、注目を集めるのは鋭利なものか、あるいは耳に優しい飾られた言葉だ。それらで溢れていて、共感を押し付けられている気がして、本の世界に逃げ込む。老いていった彼らのようにまだ悪夢は見ていないが、温故知新という言葉に拘泥したいと思う。
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