case-11- 問題児との戦い〜その2〜
case-11- 問題児との戦い〜その2〜
※スタッフの名前は全て私が便宜上適当につけた仮名ですので、ご安心ください。
「おい、ふざけんじゃねえよ! なんで外運動俺だけ減らされてんだよ!」
後藤さんは今日もリハビリ室前まで自力で車椅子を動かし、PTの課長に怒鳴りつけていた。
脳神経外科のリハビリは3種類、病気によって理学療法(運動メイン)にウェイトを割く人と、高次脳機能障害の改善の為に言語療法(脳トレ)に振る場合がある。
彼のケースは見た目に反する広範囲の麻痺と、高次脳機能障害、空間無視と細かい動作が出来ないことだ。
最初から暴言が多かったのは性格の変化と元々の気質もあったのだと思う。彼の三度目の担当は「あなたには言語療法(自立支援)が必要なので、わたしの方で単位をこれ以上増やせない」と暗に伝えるのだが、全く納得しない。
「俺はバカじゃない!なんであんなくだらないプリントなんてやらなきゃいけねえんだ。お前がやれないなら、他の担当に変えろ!」
「後藤さん、いい加減にしてください」
他の患者の担当もしているのに、いつまでもリハビリ室で吠えられると他の患者も怯えるし、相乗効果で高次脳機能障害の人達は同調する。そうなると、リハビリ拒否が増えたり、ST(言語療法士)のやっていることは確かに紙面上ではこんな簡単なこと、と思われるかもしれないが、その「簡単なこと」すら遂行能力が落ちているのに本人達が気づいていないことが問題なのだ。
とはいえ、私が尊敬しているSTは2人しかいない。後はやっつけ仕事のオッサンと、あまり患者さんを見ない頭ごなしの若いSTしかいなかった。
この担当についていたのは、STの中でも超絶美人の桜庭さんという方で、若いのに私の尊敬するもう1人のSTさんである武田さんを崇拝していた。むしろ、武田さんに教えてもらいたいという想いだけで、わざわざ給料の低いこっちに移動してきたとか。
桜庭さんは、後藤さんの好きそうなロングヘアの身長も小さい美人さん。年齢は20代後半でまだまだ伸びしろもあるが、患者さんとの関わりは、武田さん(神)の次と思えるくらいしっかりしていた!スキ!笑
そんな桜庭さん(単純に私の推し)に対して辛辣に接する後藤さんの存在は嫌いだった。
私は仕事に対して真摯に向き合う人をとにかく全力で応援する。理不尽なことは嫌い。専門分野でなくとも、相談されたら全力で助ける。これをモットーに仕事をしている。
「あの……葵さん、相談があるんです」
「おう、どうした?どうした?」
可愛いコの相談なら何でも聞くよ!私はせかせかと処置に向かっていたが、彼女に忙しいところごめんなさいと言われて速攻止まった。
「後藤さんがSTのリハビリを拒否するようになってしまったので、せめて自己課題としてプリント渡して貰えませんか?」
「桜庭さんから渡したらいいんじゃ無いの?」
「それが、目の前で何回も破かれて、『こんなの意味がない、おれは歩いて帰りたいだけなのにいつまで牢屋に入れるんだ』って」
あーなるほど。ちょっと心が折れちゃったか。そうだよなあ、桜庭さんは仕事が出来るこなので、ハッキリ言うと成功しか歩いていない。
わたしは泥沼で生きてきた人間なので、侮辱もセクハラもパワハラもモラハラも慣れている(それはそれで問題だが)
「よしわかった。あの頑固オヤジにどこまで効くかわからんけど、やってみるよ。その代わり、桜庭さんは一旦担当から退いて、もし可能だったらOTに時間振れる?」
「えっ?OTですか?PTじゃなくて?」
「うん。だって、あいつがST断って運動増やしたら何でもワガママが通用するって思うじゃない。そんなの腹立つよ。わたしの桜庭さんを悲しませておいて、そんなワガママが通用すると思うな。絶対PTの単位は増やさないよう先生に言っとく笑」
彼女は相当驚いた。てっきり、彼の望むように理学療法が増えると思っていたのに、私が注文したのは作業療法だった。
人間の脳みその面白いところは、このリハビリ、どれが欠けても上手く機能しない。
後藤さんが望んだように、理学療法だけを進めると、確かに「歩く」筋力は維持できるだろう。しかし、彼の脳みそは歩く手前で障害されている。つまり、脳みそから「歩く」という指令が来る前に本能で勝手に体を動かしているだけ。
それは、若い今ならば実用的かもしれないが、フィリピンの奥様が呟いたように、旦那が動けないなら困る、だろう。
どう考えても、あの綺麗に着飾っただけの奥様が尿器の取り扱いや、車椅子を押して歩く姿は想像できない。
OTとSTがやっていることは何か。脳みその障害にアプローチして、自分がここに気づいていない、ということを「気づかせる」作業だ。
はっきり言って、内容は小学生レベルの問題からスタートするし、人によっては「おれをバカにしているのか?」と喧嘩になるケースも多い。それでも、箸を使って豆を拾う、とか、鉛筆を並べるとか、プリント問題に名前を書くとか、我々が当たり前に出来ることを、感情の中では「こんなバカにしやがって!」と思うかもしれないが、いざ紙面に向き合うと『できない』のだ。
後藤さんは、名前を書くことしか出来なかった。しかも麻痺と空間無視のせいで、マスの中に文字を書けない。
携帯で色々出来るから日常生活に困らないという自分なりの結論に至ったのだろう。
とはいえ、出来ていたことが何も悔しくて、こんな低レベルなことを出すから出来ないのだと匙を投げた。携帯だけで過ごすのは彼にとって無理だ。元々肉体労働関連の仕事をしていた人なので、確かに本人が言うように身体が動かないとどうしようもないが、このまま脳みそが衰えていくと復職どころか夫婦関係すら危うい。
OTも男の子が担当だった。ほとんど会話もなく、淡々と仕事をするわたしと同年代の方で、その人が担当の時は後藤さんも何も文句を言わなかった。
その様子を見てわたしはやっと気づいた。彼は出来ない自分をまだ認めたくないだけなのだと。
桜庭さんは何に対しても一生懸命だった。一生懸命が故に、もしかしたら彼にとってデッドワードを言ってしまったのかも知れない。
そこにふと気づいたわたしは、もう一度STやってみないか後藤さんに相談してみた。
「後藤さん、作業療法どうっすか?」
「んあ?くっそつまんねーよ、大体、あの男さただプリント置いてやれって黙って見てるだけなんだよ。これが何のために必要なのか聞いても無表情のままでよお、聞いても無駄だから渋々やってるだけだ」
OTくんへの文句はつらつら出てきたものの、彼は桜庭さんからOTへ渡されたプリントをこなしていた。実は、OTの作業プラス、残りの10分くらいはSTで確認したい項目を入れてくれていたのだ。
わたしはこの無言くんが担当になって喜んだ。こういう感情を撒き散らす人に必要なのは、意見や答えを導く相手ではなく、ただ吐き出したものを受け流す人だ。
後藤さんは、自分にこのプリントや作業が必要だと頭の奥底では理解している。けれども、思うように身体が動かない、こんな簡単な問題すら出来ないのか、と自分にイライラしてぶちまけていたのだろう。
2ヶ月目。
彼が怒鳴り散らしていたSTをやめて、OTを増やした作戦?は成功した。
彼は日に日におとなしくなり、リハビリ室で吠えることが無くなった。
→その3へ
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