白いモフモフの謎 葵の忘却のアポカリプスより
白いモフモフの謎 2898文字
モフモフ。それはアルカディアにおける最弱の召喚獣であり、その能力は──。
「未知数」
神官長はこめかみを抑えた。いくら研究してもイリアが召喚した珍獣・白いモフモフは何の力を秘めているのか分からない。
召喚術を試みる者は初歩の初歩と呼ばれるレベルの召喚獣だが、彼女は鳴き声も普通のモフモフとは異なり、明瞭な言葉を話す。しかも、人間族の言葉を。
ふわふわした長い毛並みと、つぶらな黒い瞳を持つ愛くるしさから、ただお供として側に置く者が多い中、彼女はハッキリと自分の意思を持つ。
言葉を話すモフモフなど、アルカディアが創生されて以来初だ。召喚獣と見せかけて違う種族なのか、または他国のスパイなのか。国の安全の為に彼女を研究する必要がある。
「もう一度エレナを連れてこい」
神官長は“影“にそう伝え、資料を片手で握りつぶした。
たかがモフモフ。しかし、それが“計画“に害なすものであれば、例え創世神の生まれ変わりと謳われるイリアのペットだとしても、早めに消去しなければ。
黒い割れた空を見つめたまま、男は眉を顰めた。自らをエレナと呼ぶモフモフが召喚された日、あの禍々しい黒い空が少しだけ広がった気がする。
あの空が割れてしまったら──アルカディアに未来はない。
男とて平穏な未来を望んでいるのだ。その方法が、例え違っているとしても──
◇
「エレナ? 知らないよ、あの子は束縛される事を嫌うから」
「カシム様がお呼びです。エレナを連れて行くのが無理でしたら、イリア様が直接──」
「い・や! わたしがカシムの事嫌いなの知ってるでしょう? エレナだってそうだよ、よくわかんない機械つけられて、頭の中覗かれて気持ち悪い。様子だっておかしくなるし」
イリアは灰色の髪を靡かせてふいっと従者にそっぽを向いた。これ以上は協力しないという明確な意思表示のつもりだった。が、彼らにそれは通用しない。
カシム配下の部下らは不気味な程任務に忠実だ。主人が求める物は例え荒い手段であろうと実行する。
「イリア様、エレナを呼んでください」
「嫌だって言ってるでしょ!」
いつもより強く腕を引っ張られたイリアは思わずエレナを呼びたくなったが、ぐっと堪える。大きな黒い瞳から涙を流して神官達に連れて行かれる彼女を見るのが辛かった。
エレナは自分がアルカディアで呼び出した初めての召喚獣。年上の神官が多い環境下で、イリアはやっと同年代の友達が出来たような感覚を得たのだ。
彼女の存在は癒しであり、かけがえの無い心の支えだ。大切な友達を売るような事は絶対にしたくない。
唇を噛み締め、瞳をぎゅうっと強く瞑る。
このままカシムのところへ連れて行かれるのか。
彼らが行う実験の対象にイリアも入っている。カプセルの中に寝かされているだけだが、聞いた事の無い言葉が頭の中を巡る。
記憶の海を彷徨い、全て終わった後はいつも頭がぼんやりとして何も考えられなくなる。きっと、エレナも同じように──
「ぐはっ!?」
イリアの手を引いていたカシム配下の男達が、前のめりに突然呻き、バタバタと倒れた。
「……えっ」
一体何が起きたのか、恐る恐る瞳を開く。
すると目の前には、ピンク色のツインテールを靡かせた赤い瞳の森人族が立っていた。右手に麻痺矢を構えて次なる獲物を狙っている。
『全く──アンタは私が居なきゃダメね』
「まさか……エレナ!?」
『この姿に戻れるのは、アンタが私を思い出した時だけ。あと三人』
時間がかかっている事でまた更に増援を呼びつけたのか、イリアの居室にカシムの配下が慌ただしく侵入してくる。
中には神官ではない武装した人間もおり、それはカシムが外部から金で怪しい者を雇っているという決定的証拠だった。
『──レディの部屋に、ノックもしないで入るなんてクソ野郎供』
「がっ、は……」
エレナの放つ弓矢は百発百中、元々森人族の国シャルム出身の彼女は弓と短剣に強い。本来の姿でいるほんの僅かな時間とは言え。
『やば……タイムアップ』
エレナの身体が次第に白い光に包まれる。最後の侵入者に渾身の矢を放ったと共に、ツインテールの森人族は光と共に消えた。
残されたイリアはへなへなと座り込み、目を回して気絶している白い召喚獣をそっと両手で抱きしめる。
「……ありがとう、エレナ」
◇
「知らないにゃ」
白い耳部分をパタパタ動かしたモフモフはぴょんぴょんと自由気ままに部屋の中を飛び回る元気を取り戻した。
しかし、あのクールな森人族と同一人物には到底見えない。
「……だからあ〜、エレナは森人族なんだよ、部屋に入ってきた神官達に弓を向けてバシバシ〜って!」
ジェスチャーも交えて熱く語っても、当のモフモフは一切興味がない様子で瞳を閉じて半分眠っている。
「エレナの昔を思い出せるかも知れないじゃない、モフモフになる前の!」
「エレナはモフモフじゃなくて猫にゃ。前世も立派な猫にゃ」
己をエレナと呼び、つぶらな瞳をキラキラ輝かせてドヤ顔をしているが、迫力はない。そして決まり文句のようにエレナは猫に対しての思いを馳せる。
語尾が「にゃ」な事と、ひとの言葉を話すモフモフ。しかし口癖がそうであろうとも、手足のないモフモフを猫と見るのは相当難しい。
「あのね、エレナはモフモフって召喚獣なの。だから猫じゃなくて……」
「エレナが猫じゃないのは、イリアの召喚が失敗したからにゃ! きちんと猫として召喚されたら猫だったのにゃ」
猫の召喚を願ったつもりは一切ないのに、召喚を失敗と言われ、温厚なイリアもぷつんと切れた。
「なんでわたしの所為になってるのよ! 大体エレナはねえ……!」
「ポンコツイリアの所為でエレナはキューティクルな猫の姿に戻れないのにゃ。乙女の身体をこんな風にした責任は取るにゃよ!」
「だから、モフモフは猫じゃなくて──」
「お二人共、喧嘩はそこまで」
噛みつきそうな勢いの子ども地味た喧嘩の仲裁に入ったのは銀髪の青年だった。
イケメン好きのエレナは、俊敏に移動し、彼の肩にそっと毛並みを寄せてうっとりしていた。
自慢の白い毛並みを撫でてくれる彼の温かい指先が大層お気に入りらしい。
「ディオギスにゃ♡」
「ふふっ。エレナは今日も可愛いね。ちゃんとイリア様の言う事を聞いているかい?」
「勿論にゃ! イリアはエレナが居ないとダメにゃ」
「ちょ、ちょっと! 何でディオギスの前だけいい子ぶりっ子してんのよ」
毛並みを撫でられて眠りだしたエレナはすっかりおとなしくなった。いつの間にか眠ったエレナをイリアの手に返したディオギスは、穏やかな顔を引き締め、彼女の前に跪いた。
「──ハミルトン教皇が何か企んでいる様です。最近、見知らぬ兵士が」
「でしょうね。でも、わたしにその辺りをどうこうする力は無いわ」
全く慌てる素振りもなく、巫女としての顔に戻った彼女は静かにそう話した。
「護衛を増やしましょうか?」
「いいえ、必要ないわ。もうすぐ星が巡る。大丈夫、“あの人“がわたしの側に来てくれるから」
イリアは眠るエレナを抱きしめたまま、空に広がる割れた空へ祈りを捧げた。
「もうすぐ逢えるわ、リーシュ」